阿頼耶識の中で
初投稿です。よろしくお願いします
声が聞こえる。妙に透き通った声。やけにやかましい声。
空を見上げる。妙に濃い紅の空。やけに染まり切った空
目を合わせる。妙に鋭い目つき。やけに血走った眼。
夢なのか現なのかそんなことはどうでもいい。あれは何だろうか。あの火の鳥は。
よく知らないが断言はできる……
あれに捕まったなら、自分は死ぬであろうことを
何を言っているかわからないだろうがそう思うのだ。
だから走り続けた。あの火の鳥から逃げるために走り続けた。人の気配のない住宅街を縦横無尽に駆け回った。
しかし十数分も経つと、足が段々と重くなってきた。
誰かが足の中に鉛かコンクリートでも詰めているようだった。
段々と自分のスピードが落ちていく。
火の鳥はもうすぐそばにまで迫っているというのに、体が言うことを聞かない。
自分の足が自分のものではないようだ。
火の鳥は、動けなくなった自分を見てけたたましい叫び声を上げた。鳥であるはずの奴の顔は笑みで歪んでいるように見えた。
待ってくれ。嫌だ。
まだ、まだ妹を守れていない。
守り抜くと約束したのに、何もできていないのに死にたくない。
そんな陳腐な祈りは、あの怪物には届かなかった。奴が大きな口を開いた。自分は丸飲みにされるようだ。もうどうしようもない。もうすぐ目の前にまで口がやってきた。
「ごめんな。お兄ちゃん約束破っちゃって」
そうつぶやいた直後痛みが僕の体を襲う、とはならなかった。痛みの代わりに声が聞こえてきた。
「まだあきらめるのは早すぎますよ?」
目を開けてみると火の鳥は既にいなかった。
代わりに声の主と思われる僧侶服の少女だけが立っていた。
彼女の足元には、火の鳥だったであろう灰が落ちていた。
彼女もこちらがようやく周囲を確認できるようになったのに気付いたようで、口を開いた。
「初めまして。私は世界に頒布された数多の魔導書が一『法の書(Liber AL vel Legis)』と申します。呼びにくいと思いますので、ラテン語名のあだ名で『エル』とでもお呼びください」
エルはそう言ってお辞儀した。僕は自己紹介した後、あの訳の分からない怪物について訊いた。
「あれは火の鳥と呼ばれているものです。人間を喰らい成長していく化け物です。我々にとっても厄介な存在であるため今回貴方様を救助しました」
「我々にとってもと言ったけれど、エルは人間ではないのかい?」
「あぁ、私としたことが失念しておりました。そうです。私は名の通り本なのです。まぁただの本ではなく、魔導書なのですが」
「魔導書?」
「えぇ。我々は古の人々の叡智と狂気の結晶。自我をもつ禁じられた書。そのような大それた力をもつ本のことを魔導書と呼ぶのです」
「だから、火の鳥を倒せたの?」
「倒してはいません。あれは、エネルギーが切れない限り不死身ですから。しかも私のみで倒せるのは今回限りです」
「そうなのか。とりあえず、助けてくれてありがとう」
「いえ、それに関しては礼に及びません。先ほど言った通りこちらにとってもまずいのです」
「この後はどうすればいいの?」
「ご安心ください。ここは火の鳥が展開世界。奴がいなくなったので、じきに解除され元の世界に戻れます」
エルがそう説明する。
僕はこの言葉を聞いて安堵した。
「直に平穏な日常に戻れるでしょう。貴方がそれを望むとは思いませんが」
エルは奇妙なことを僕に言った。
「僕は平凡な高校生さ。日常をそう簡単に手放したいとは思わない。何故そう思うんだい?」
「先程、貴方様の心をのぞかせていただきましたからね。貴方が妹さんを守るためにどれ程力を欲しているか良くわかります」
魔導書という存在を僕は舐めていたようだ。
彼女の能力に驚きながらも、僕は彼女の言葉を肯定する。
「良くわかっているじゃないか。でも僕には力を得るチャンスがない。どれ程あがいても、妹は守れない。あの化け物に会ってつくづく思い知ったよ」
「そんな貴方様に朗報ですよ。私としても、契約者を探しておりました。何かを守り抜くという強い覚悟と欲を持った人間を。貴方様はそれに値します」
随分と彼女は僕に期待を寄せてくれているようだ。
「貴方が望むならば、貴方が平穏を捨て去るというならば、契約して力を与えましょう。全てを守り抜き仇なすものを灰燼に帰す力を。さて貴方様はどう致しますか?」
彼女は僕が今まで待っていたチャンスを提示してくれた。
「妹を護れるなら、僕の平穏なんて紙屑みたいなものだよ。ぜひ頼む!」
「了解しました。では契約をとりなしましょう」
エルはそう言うと、目をつぶり何やら呪文を唱え始めた。
「我が名は法の書。秩序を司りし魔導書也。主よ我が御名を以て此の者との契約を聞し召せ。此の者に秩序の祝福を。大いなる守護の力を」
膨大な光粒が僕を包み込む。今まで感じたことのない高揚感と力が身体中に湧き出てくる
「汝の願い、汝の嘆き、其は我が耳にきこゆれど、我は問う。汝は契約を望むか?」
光の中から質問だけが聞こえてくる。もう覚悟はできている。僕は口を開いた。
「望むとも」
その言葉を告げると光粒が僕の手のほうに収束した。光が完全に僕の手に飲み込まれると、エルは口を開いた。
「契約完了しました。これからよろしくお願いしますね、読み手様」
そう言ってエルは手を伸ばしてきた。僕はそれを握り返し言った。
「こちらこそよろしく頼むよ、エル」