帝國建つ
九月二四日
「なんと、それは真か?」
早朝、神科城からの報告を受けた柴津の高時は、驚きを禁じ得なかった。神科城に陣取っていた部隊はおよそ二千人ほどで、既に本隊は津見を目指して進軍しているという。現在の津見の兵力は四千足らず。時を同じくして西の綾小間から攻め込まれたので、そちらの防衛に兵力を割いてしまったからだ。この上に、日郷の一万人を越える大軍が津見に迫れば、陥落は時間との戦いだろう。神科城からは追撃しようと部隊を繰り出したが、未だに敵の影すらも掴めないと言う。
「二段構えの陽動作戦とは、敵もやりおる」
高時の頭の中では、既に柴津攻略は敵側の偽装との認識があるので、津見が攻められると信じ込んでいた。彼は柴津の目前にいる軍勢をどうにかしようと、ここに至ってようやく策を練り始める。
その頃、神科城の東に進軍した瑞穂の部隊は、城内に残る兵士数が僅かと知って、兵士たちに初めて実情を打ち明けた。
「現在、我々は敵に囲まれている。生き残るにはこの先にある神科城を奪取し、我が方の主力軍が到着するのを待たねばならぬ。皆の者、ついて来てくれるか?」
瑞穂の言葉で、兵士たちに動揺が広がる。その様子を見ながら彼女は更に言葉を繋いだ。
「いいか、今ここで神科城を奪わなければ、遠からず全滅する。ここで絶望的な戦いをするか、城に立て籠って僅かな望みでも己の命運を託すか、好きな方を選べ!」
言いつつ彼女は錫杖を地面に突き立てた。それは陽光を反射して輝く。
「俺は、指揮官の命令に従うぞ!」
兵士の一人が立ち上がって叫んだ。それを皮切りに、他の兵士たちも次々と、賛同の意を示すよう片手を突き上げながら立ち上がる。
「よし、それでは戦いの準備を始めろ!」
「おお!」
兵士たちの士気が大いに上がる。戦闘の準備を整えに散った兵士たちを見送り、瑞穂は次の行動に取り掛かった。
「お前はここで解放する。好きにしろ」
彼女は人質として捕らえていた刺客を解き放った。彼は驚いたような表情をしている。
「どうした? 早くどこへでも行け」
「何故に?」
追い払うようにする彼女に、男は質問をぶつける。
「お主を殺そうとしたのだぞ、何故に殺さぬ?」
「お前一人の命を奪ったところで、この戦は終わらぬ。それにお前がどこに行こうと、これから私が城を奪うのには、全く関係せぬからな」
瑞穂の口調はいつも通りだ。横で聞いていた隼人にしても、彼女の性格を知っているから全く疑問はない。しかし、刺客はどうにも腑に落ちない様子だった。
「分からぬ、お主の行動原理が分からぬ」
「瑞穂の行動原理は、側にいないと理解できないぞ」
「隼人、それはどういう意味だ?」
瑞穂が聞き咎める。しかし男にとってその言葉は救いだった。
「よし、これから好きにしても良いというのなら、拙者はお主について行こう」
「は?」
ケンカを始め掛けた二人は我が耳を疑った。
「この立風、これからお主らについて行く」
「まぁ、好きにしろと言ったのは瑞穂だし、俺はどうでもいいぞ」
「……好きにしろ!」
瑞穂はそう言い捨てると、指揮官の表情に戻った。
「指揮官殿、準備が整いましたぞ」
「諾、それでは行くぞ」
瑞穂は兵士たちを率いて神科城の近くまで進む。城門まで後一息の場所で彼女は部隊を止めた。
「我らの命運はあの城にあり。全軍、掛かれ!」
上に伸ばした腕を、素早く前方に振り下ろす。彼女の指令に従って、死に物狂いの兵士二千人が神科城目がけて殺到した。この時、主力の出払っていた神科城には、僅か五百の兵士しかいなかった。しかも全くの奇襲である。あっと言う間に、瑞穂たちは外門を打ち破り、城内へなだれ込んだ。
「隼人、倉を占拠しろ!」
瑞穂は彼を本隊から分けて城内の制圧に回した。隼人の部隊は倉に火を放とうとしていた敵兵士を切り伏せ、倉の周囲を制圧する。
「よし、お前たちは、ここを守れ」
隼人は倉に守備隊を残して、城の本丸に向かった瑞穂と合流する。
「意外と、てこずっているようだな」
僅かな兵士でも、城の防禦機能を用いて奮戦すれば、それなりに保ちこたえる。しかし多勢に無勢、半刻もしない内に、城は瑞穂の軍勢によって制圧されていた。
「兵糧は思った通り、たっぷりとあるな」
城内の倉を点検していた隼人は、笑みがこぼれる。何しろ、本来ならば七千人の兵士たちを一ヵ月は賄えるだけの兵糧である。二千人には単純でも三ヶ月は下らない。
「更に軍資金も頂けるとは、智顕の策は完全に的中したな」
彼らがこれだけの大成功を収めたのだ、柴津攻略の本隊は更に楽な戦いを展開できるだろう。
「敵の主力が引き返して来る前に、交替で休息しておけ」
神科城内は、門の修理班と、休息する部隊に分かれて動き出した。
昼過ぎ、神科城奪取の報が昇の元に届いた。
「そうか、隼人たちは成功したか!」
船の上で彼は満面に喜びの色を浮かべた。
「それでは我々も、何が何でも柴津を攻略しなければならないな」
「殿、河合将軍の部隊を、すぐに神科城に向けて下さい」
「良かろう、神科城の防衛は、あいつらだけでは無理だからな」
昇は智顕の献策に従って、鈴の部隊に命令を伝達させる。彼らと共に柴川を下っていた船団の一部が、速力を増して抜き去って行った。その様子を柴津の物見櫓からつぶさに観察していた兵士たちは、ありのままを指揮官に伝える。
「なるほど、かなりの速力で下って行ったのか」
高時は思考を開始した。数隻の船が柴津を素通りして神科城、或いは津見に向かったのだとすれば、本隊を援護する部隊と考えられる。しかしあからさまに通り過ぎるのを見せつけるなど、行動が怪しい。もしもこの部隊を追えば、備えの薄くなった柴津を奪われるのは目に見えている。ならば答えは一つ。
「手の込んだ陽動であるな」
彼はそう判断すると、北側の防備を厚くするように命じた。南側の力也の部隊を陽動だと思い込んでいるからこそできる命令である。
「それにしても、一万の大軍を動かしながら、更に増援を派遣できるとは、日郷の兵力は、それほどであったのか?」
兵士の数が彼の予測を大きく上回っている。それだけの部隊を動かすには、見合うだけの兵糧がなければならない。幾つかの計算を繰り返して、彼はある重大な仮説に気が付いた。
「まさか、元々大軍を率いていない?」
神科城の北から津見に向かった大軍がいないと仮定すれば、全ての帳尻が合う。そして次に攻められるのは、この柴津であるとの解答も得られた。
「いや、ならばどうして先ほどの船団は通り過ぎたのだ?」
考えれば考えるほど、彼の思考は迷路に入り込んでしまう。彼の初歩的な過ちは、全ての情報を正確に把握していない点にあるのだが、そこには全く気付く素振りすらない。思考の迷宮にはまり込んでいた彼の元に、新たな報告が飛び込んで来た。
「神科城が落ちました!」
「何だと?」
伝令の報告を受けて、高時は冷静な思考能力を失ってしまった。後はただ、報告される言葉を聞いているだけだ。
「分かった下がって良い」
おおよその実情を聞き、高時は椅子に深々と身を沈めた。何がどうなっているのか、彼には分からない。ぼんやりしていた彼は、不意に騒がしくなった部屋の外の雰囲気で我に返った。そこへ伝令兵が駆け込んで来る。
「閣下、大変です!」
「一体、何事だ?」
もう何が起きても驚かんぞという心構えで、高時は問い質す。けれども彼はその報告に、天地が引っ繰り返るほどの衝撃を受けたのであった。
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