帝國建つ
九月二三日
一方、神科城から報告を受けた柴津の高時は決断を下した。
「敵の本隊の狙いは、神科城であったか。まんまと陽動作戦に引っ掛かるところであった。柴津には最低限の兵を残し、神科城へ援軍を派遣する」
彼の決断は誤りではない。一万人を越す大軍が迫っているとすれば、総兵力を結集したに違いなく、この敵主力軍を打ち破れば後々まで柴津は安全に過ごせる。守備に必要な二千人の兵士だけを残して、彼は援軍を朝の内に船で出立させた。
昼頃、ついに力也が率いる三千人の部隊が柴津の近隣に到着した。この部隊には八山からの増援部隊二千人が付き従い、併せて五千の兵力がある。彼らは何の妨害も受けず、柴津の南に広がる丘陵地帯に陣取った。
「何か、呆気ねぇな」
力也は目前に迫る柴津の城壁を見ながら、妙な雰囲気を気にしていた。
「それに兵の数が思ったよりも少ねぇな。俺様たちを誘い出す罠か?」
彼らしくもなく慎重策をとって、布陣したまま動きを見せない。その様子を窺っていた柴津の高時は、自らの判断が正しかったと確信する。
「やはり仕掛けて来ないか。そうやって援軍を待っているフリをしながら、我々を釘付けにしようという腹であるな? その手には掛からぬぞ」
何しろ、柴津を攻めるのであれば、船が必要だ。柴津の主力軍は水兵なのだから、陸上から攻められたとしても、一時的に退却しようとも反撃は可能だ。そして事前に調査させた情報によると、真津と八山で建造されていた船が、いつの間にか行方不明になっているのだ。
「恐らくあれは、ここを攻めると思い込ませる、偽りであったのだろう。そうすると、ここを攻めるという情報も偽情報であった可能性が高いな」
高時は自らの思考に破綻がないことを確認しながら、考えを深めていった。柴津攻略の情報に従って、機先を制しようと部隊を繰り出せば、その兵士たち全てを失ってしまった。あれは当陣営の兵力を奪おうとする策略だったに違いないと彼は判断する。そして兵力を失えば当然の如く、次の目標である柴津に兵力を集結させる。そうさせておいて、神科城を襲えば、苦もなく攻略できるといった算段だ。
「敵にも多少は切れる者がいるようだが、所詮は我らの敵ではない」
高時は不敵に笑い、策略の全てを打ち破ったと確信していた。
「柴津に敵の攻撃はない。そう確信する」
彼の言葉に兵士たちは安心して、この後の任務を疎かにしてしまう。将軍の一言が、軍隊を敗北に導こうとしていた。
その頃、神科城の北に布陣していた瑞穂たちは思わぬ災難を受けていた。
「小癪な!」
瑞穂を狙って刺客が襲って来たのだ。彼女は手にした錫杖で応戦する。二人がかりで襲いかかって来た刺客たちは、連携して彼女を仕留めようとしていた。
短い棒を持った長身の男の動きは緩慢ながらも、打ち込みの速度は素早く、緩急差が彼女を苦しめる。
一方の小柄な男は二本の短剣を巧みに突き込んで来る。間合いの違う二人を相手に瑞穂は翻弄される寸前だ。
「危ない、瑞穂!」
叫び声とともに、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響く。声で隼人が来たのは分かったが、彼女にそちらを見る余裕はなかった。
「瑞穂は、俺が守る!」
隼人は一挙に間合いを詰めた。襲いかかって来た三人目の男は、彼の攻撃を受け止める。
「退くぞ」
隼人の剣撃を受け止めた男が主格だったのだろう、暗殺に失敗したと判断して、退却を命じる。そんな隙を見逃す瑞穂ではなかった。
離れようとした小柄な男の腹部に錫杖の石突きを突き入れた。くの字になって弾き飛ばされた相棒を見て硬直した長身の男に、容赦のない一撃を首筋へ食らわせる。あっと言う間に二人を失神させた彼女は、隼人の加勢に向かった。
「もはや、これまで」
主格の男は自決する覚悟を決めた瞬間、後頭部に衝撃を受けて意識を失った。
「隼人、無事か?」
「……普通、逆だろ」
助けに来た方が心配されては立つ瀬がない。それでも隼人は駆け付けた兵士たちに、刺客の捕縛を命じていた。
「一体、どこから来たのか?」
「それは、こやつらに聞けば良い」
瑞穂の答えは単純明快だ。縛り上げられた男たちを、喝を入れて無理矢理起こす。
「さて、どこの手の者か、それを聞きたい」
「言うと思うのか?」
「言いたくなければ、これで殴ってでも聞く」
彼女が錫杖を構えると、長身の男が口を開いた。
「お、俺たちはこの近辺の村の者だ。お前たちが俺たちの村を襲うと聞いたから、先手を打って……」
「それ以上言うな!」
主格の男が怒鳴ったが、既に瑞穂は欲しい情報の一部を手に入れた。
「なるほど、御子柴の陣営から、偽の情報が流されているのか」
「偽の情報?」
彼女の言葉に主格の男が食い付いて来る。隼人はこれから彼女がしようとしていることに、察しがついた。
「私たちはこれから神科城ではなく、津見に遠征に行く途中だ。そのような時に、お前たちの小さな村を襲う余裕があると思うのか?」
彼女の言葉に、男たちは顔を見合わせた。
「本来ならばここでお前たちを処断せねばならないのだが、今は一刻を争う。解放もできぬ故、ここに縛り付けるしかあるまい」
「ま、待ってくれ。命が助かるなら、この部隊の行き先は誰にも喋らない。だから……」
瑞穂を襲撃した長身の男が命乞いを始めた。
「そうは言っても、果たしてそれが守られる保証もあるまい。迂闊に解放して、神科城と津見から挟撃されては、たまらぬからな」
「絶対に喋らない、約束する」
「やめよ、見苦しいぞお主ら! 風の誇りを忘れたか?」
主格の男はあくまでも毅然とした態度で、命乞いをする他の二人を怒鳴りつけた。その態度には瑞穂は感心する。
「まあ、良かろう。それでは気が進まぬが、この男を捕虜にする条件で、お前たち二人を解放してやろう。良いな、絶対に他言無用だぞ」
「命が助かるのなら、何でもする」
「風の面汚しめ!」
主格の男が罵っても、二人は縄が解かれると、米つきバッタの如く頭を下げて、尻に火が点いたように逃げて行った。
「さて、それでは人質として、お前にはついて来てもらうぞ」
瑞穂は全軍団に出立の命令を下した。向かう先は北。
「北に向かい、目的地を目指す」
陣地に設けた柵などはそのままに、出立する。
「瑞穂、あいつら絶対に神科城に報告に行くぞ?」
「別に構わぬ」
隼人の指摘にも、彼女は動じた様子はない。
「かえって好都合だ。何しろあいつらはいるはずもない部隊を探して、走り回らなければならぬのだからな」
彼は彼女の本当に意図した内容を察していなかった。
「右に行くぞ」
瑞穂は部隊を東に向ける。それは津見とはまるで反対の方向だった。
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