帝國建つ
九月二二日
柴津では敵軍の来襲に備え、軍備が増強されつつあった。昨日に発した津見への増援依頼も滞りなく用意され、今日中にも出発するだろう。そうすれば到着は明後日だ。
「柴津常駐の五千の兵に、津見の援軍も五千。併せて一万の大軍、打ち破れるものならば打ち破ってみよ」
不敵に笑う高時。その彼の執務室へ伝令兵がやって来た。
「申し上げます。八山、日郷の連合軍がこちらへ進軍して参りました。その数、およそ五千です」
「その程度ならば、ここが落ちる心配はないな」
彼の安心感も当然だった。通常、攻城戦には守備兵力の三倍は必要とされる。同数であれば、苦戦はしても勝てなくはない。それに真津からの援軍を併せたとしても、凌ぎきれると判断した。
「増援部隊が到着次第、敵の軍勢を蹴散らしてくれよう」
高時ならずとも、多くの将軍は安全策を採るだろう。希望的観測は時として、取り返しのつかない結果をもたらすと、彼らは後に知る。
そのような御子柴陣営の動きは、既に日郷にいる昇の耳に入っていた。
「そうか、津見では柴津に向けての増援部隊を編成していたか」
「はい、あの様子ですと、明日までには出航するかと思います」
報告を行っているのは綾女。昇は隣に座っている智顕へ振り返った。
「智顕、これでも大丈夫だというのか?」
「ご安心下さい。増援部隊に対しては、既に手を打ってあります」
自信満々の彼に、初戦の圧勝もあって昇は納得せざるを得なかった。
「隼人殿と瑞穂殿にうまく立ち回って頂ければ、策は半ばまで成功です。あのお二方ならば、まず失敗はありますまい」
「そうだな、隼人は信頼に足る男だ、それに瑞穂とかいう女も、只者ではないな」
昇は大きく頷く。彼女の軍議での発言や態度を思い出し、その独特の雰囲気に期待していた。智顕も旅の仲間として、二人の力量を把握しているはずであるので、不安要素はほとんどない。
「思わぬ拾い物をしたのかも知れないな」
昇は自らの幸運を天に感謝した。もしもこの智顕が敵の陣営にいたならば、彼らの命運は既に尽きていたかも知れない。
「それでは殿、そろそろ出立致しましょう」
「そうだな」
椅子から立ち上がり、昇は出陣の用意を整える。智顕の車椅子を押すのは綾女の役割だ。
「それでは衛輔、留守を頼むぞ」
「ええ、ですが、早く帰って来て下さいよ」
「案ずるな。攻められる心配はない」
不安げな彼を余所に、昇の表情は明るい。彼らが目指すのは、東の真津である。既に鈴は二千人の部隊を率いて真津に向かっている。今頃は完成した船を前に、彼らの到着を待っているはずだ。柴津を攻略する準備はほとんど整っていた。
さてその頃、西へ展開中の瑞穂たちは神科城の近くまで迫っていた。城の北側に陣取り、柵などを設け始める。
「この辺りが、敵から見えるかどうかの位置だな」
隼人は遠くにかすむ城壁を見ながら呟いた。
「全く、智顕の策はいつも突拍子もないからな」
彼は愚痴りながらも、智顕に全幅の信頼を寄せている。彼らの軍勢は横に広がり、大軍勢が迫っているかの如く見せ掛けていた。各部隊の間隔を広く取り、一見すると実際兵力の五倍はいるように見える。しかし、その実態を察知されてしまえば、一蹴され兼ない危険な布陣だ。
「敵が騙されてくれればいいが……」
「見えるかどうかだろう? だったら炊事用の焚き火を増やして、そこら中で煙を立ち上がらせろ。そうすれば大軍勢がいるように見えるだろう。それから、馬に何かを引かせて、樵採の部隊が大量にいるように見せ掛けろ」
瑞穂の指示を実行に移す前に、隼人は感心して見せた。
「いつも思うんだが、瑞穂の発案は、根拠があるのか?」
「お前、私が何もしておらぬとでも思っていたのか? 今だから明かすが、私は智顕から兵法を少し聞き出しているのだ。これで納得できたか?」
「……いつの間に」
隼人は彼女の向学心を見直したけれども、実際に講義を受けている彼女の姿は思い浮かばなかった。それではなく、彼女が智顕を締め上げながら無理矢理聞き出した様子は、容易に思い浮かぶ。
「まあいい。訓練だと言い聞かせてあるから、どんな変な命令にも従うだろう」
隼人はそう割り切ると、彼女の命令通りに兵士たちを動かした。
神科城では上を下への大騒ぎである。何しろこの城に常駐している兵力は、二千ほどだ。それが物見の報告では地平線上に広がる敵部隊が、一万人を越す大軍だと言うのだ。今は進軍を止めているが、いつこちらに向かって来るのか分からず、常駐軍だけでは防ぎ切れないのは明白だった。すぐに本拠地の津見に向けて、増援の依頼が発せられる。柴津へ向かうはずだった兵士たちは、急遽この神科城へ向けられることとなった。
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