帝國建つ
「とにかく、話を聞こう。それから考える」
「有難うございます」
智顕は頭を垂れた。それから一同を見回して、話を続ける。
「今回の柴津攻めは、諸侯に頼まれての出陣だと伺いました。まず、この点が中止を申し上げます大きな理由です」
「ほう、そこまで情報を得ているとは侮れんな。いかに綾女に柴津の内情を探らせているとは言え、その話はしていないぞ?」
「私の情報源は、綾女殿だけではありません」
智顕はサラリと流すと、話を続けた。
「諸侯が狙うのは、我々の戦力を大きく削ることです。柴津を攻略できるか否かは関係ありません。戦力を削り、自らがここ日郷を攻略できれば良いと考えております」
「諸侯を疑うのか?」
「左様です。それでも柴津を攻略すると仰るのであれば、私には一つ、腹案があります」
智顕はそこで口を閉ざした。彼の話は、最初とは方向性が変化していたが、隼人は口出しせずに沈黙を保つ。
「よし、その腹案とやらを聞こう」
昇はしばらく考えてから答えた。智顕の口が再び動く。
「それでは。まず柴津を攻める際には川を渡らなければなりません」
「柴川だな」
力也が地図を睨みながら唸った。柴川とは、この列島最大の湖・有真湖から流れ出す川で、流れは急ではないものの川幅が広く、水深も深い。大軍を渡すには難渋する川だ。川は東から西に向かって流れ、柴津はこの下流、河口付近にある商業都市だ。
その柴津と利権を争うのが、上流域にある八山と真津である。今回の柴津攻略は、この二つの都市から共同提案された作戦だ。
「柴川を渡ろうとすれば、多くの資材と資金を費やします。そうなれば国力が疲弊するのは必然と言えましょう」
「確かに。それでは、どうする?」
昇は頷き、尋ね返した。
「真津、八山から船を供出させます。それができないと言うのであれば、柴津の前に双方を攻略すると脅せばよろしいでしょう。彼らは、こちらの戦力を脅威に感じておりますので、この脅しには屈伏するはずです」
「しかし、それでは殿の人望が……」
昇の後ろで黙って話を聞いていた女性が口を開いた。彼女は昇の妻で、舞という。彼女の言葉に智顕は答えた。
「なくなりはしません。むしろ、昇殿の毅然たる態度に、威光は増すでしょう」
「なるほどな。船があれば柴津まではすぐだ。それにあいつらの懐も寂しくなるだろう。この案は意外と行けるな。昇、どうする?」
力也に尋ねられて彼は頷く。
「ふむ。確かに柴津を攻略するように頼んで来たのは彼らだ。その彼らも協力するのが筋。それができないと言うのならば、柴津攻略を中止するのも致し方ないとして、それでも強行せよと言えば……」
昇はそこで右の拳を左の掌にぶつけた。
「その案を採用しよう。それと智顕に隼人、お前らも次の軍議からは常に参加せよ。柴津攻略の作戦を、一から練り直しだ」
唐突に話を振られた隼人は、それでも自らの主張を発言した。
「兄さん、一つだけ我儘を聞いて頂けますか?」
「それを聞かなければ、軍議には出ないと言うのだろう? いいだろう、一つだけ聞く」
「瑞穂も、参加させて下さい。あいつはああ見えて、集団を統率する能力がある」
「瑞穂というと、お前と共に来た赤毛の女だな?」
昇が問い掛けると隼人は黙って頷いた。彼が推薦するぐらいだから、よほどの自信があるのだろうと昇は判断し、それを許可した。
「よかろう、次の軍議の時に連れて来い。それと今回の軍議はこれで終了だ。次は昼過ぎから行う。解散」
昇の宣言に従って、一同は部屋の中から出てゆく。しかし隼人と智顕は残った。
「お前ら、無茶しやがって」
昇は口調を崩して話し掛けて来た。
「まぁ、的確に問題点と、その解決策を指摘したから良かったようなものの、あれで何も策がなければ、この俺でも怒ったぞ」
「兄さん、その点は大丈夫です。こう見えても智顕は、兵法を学んでいますから」
「ほう、それであれほど見事に指摘できるのか。師匠の名は?」
「辰巳武と申します、彩華出身の軍略家です」
「できればその先生にも、我が陣営に来て頂けると良いのだが……」
「残念ながら師は現在、大陸に渡っております。帰還される可能性は、皆無です」
「そうか、それでは智顕には十二分に活躍してもらわねばならんな」
「過分なご期待、感謝致します」
三人は相互に笑い合って、その場を離れた。しかし、隼人は次に待ち受ける難問に、この時点では気付いていなかった。
「もう一度言え、隼人!」
瑞穂は眉毛を吊り上げて彼に詰め寄った。
「だから、昇兄さんの手伝いをするから、瑞穂も共に来てくれ、と」
「なぜ私が共に行かなければならぬのだ!」
「なぜって……」
隼人には彼女の怒りの元凶が何なのか、全く推測できなかった。
「それは、瑞穂が昇兄さんの手伝いをしたいと言っていたから、てっきり……」
「それで私の許可もとらずに、勝手に決めて来たと言うのか?」
彼女は幾分か怒りが収まったのか、落ち着きを取り戻しつつあった。その彼女をなだめようと、隼人は言葉を継いだ。
「そうだな、それは俺が悪かった。瑞穂の許しがないのに勝手に決めて来た俺が悪かった。昇兄さんには後でよく説明しておくから、瑞穂は次の軍議には顔を出さなくてもいい」
「そうやって、また勝手に決める!」
隼人が謝まりながら述べた内容が気に入らず、彼女は再び爆発する。
「それでは、どうしろと言うんだ!」
ついに隼人も切れた。彼女の暴虐ぶりに切れない方がどうかしている。彼が怒り出すとは思ってもいなかったのか、流石の瑞穂も瞬時、気圧された。しかし、すぐさま態勢を立て直して、激しい口調で捲し立てる。
「大体、いつも隼人は私のすることに口出しし過ぎだ! ああしろこうしろと、私の行動を制限ばかりして、私こそ、どうしろと言うのだ!」
今にも掴み合いのケンカになる寸前で、水を差す者が現れた。
「私の隼人様に手を挙げないで!」
二人の間に割って入ったのは小柄な色白の美少女だった。彼女はその大きな瞳を潤ませて瑞穂を睨み上げている。思いも寄らぬ闖入者に、二人の興奮度は下がった。
「何が、『私の隼人様』だ、莫迦莫迦しい。それほどまでにその男が欲しければ、いつでもくれてやる。それよりも私は次の軍議に行かなければならぬのだ。お前たちと話している暇などない」
瑞穂は悔し紛れにそう言い残すと、さっさと部屋を出て行った。後に残された二人の内、災難だったのは男の方だ。少女は身を翻すと、隼人の身体を触り出した。
「おケガはありませんでしたか? 全く、あの方は女性としての節度に欠けますわ。いつも隼人様とケンカばかり。どうして隼人様もあの方と……」
「愛姫、どこにもケガはない。もう、いいだろう?」
彼は苦々しく見下ろしながら冷たい口調でそう言い放つ。彼女が更に触ろうとする手をそれとなく逸らした。そこへ二人目の訪問者。
「は・や・と! 軍議が始まるよ~」
金髪の彼女は真依だ。いつもの如く脳天から突き抜けるような声を出している。彼女に誘われて、隼人は踵を返した。
「軍議に行って来る」
「お食事を用意して待ってます。たとえ来られなくても、用意して待ってますから!」
愛姫は去り行く彼の背中にそう言うのが精一杯だった。果たしてその想いはいつになったら届くのか。ギュッと下唇を噛み締めた彼女は、燃える瞳で真依を睨み付けていた。
「隼人って、モテるよね?」
「あまり、嬉しくはないがな」
廊下を歩きながら二人は言葉を交わしていた。真依はいつも何を考えているのか分からないほどに明るい。彼女と話しといると不思議と元気が湧いて来るので、彼も彼女を遠ざけようとはしていなかった。
「あたしも隼人を好きだけど、愛姫みたいには、できないかな?」
「おいおい、真依まであの調子だと、俺の安息の地がなくなるだろ?」
「あはは、そうだよね。何しろ瑞穂もあの通り、素直じゃないしね」
真依はおかしそうに笑った。笑ったのが彼女でなければ、隼人は鉄拳をお見舞いしていたかも知れない。それほどまでに、瑞穂の性格については誰にも触れて欲しくないのだ。
「あいつが素直ではないのを分かってはいても、先ほどのような対応をされると、疲れる」
「ま、頑張ることね」
真依はそう言うと彼の背中を叩いた。彼女に励まされて、隼人は沈みそうだった心がやや軽くなる。
「真依に言われると元気が出るな。やはり真依は……」
「その先は内緒の約束でしょ? 誰に聞かれてるのか分かんないんだから、迂闊に言ったらお仕置きよ」
「おっと、それはすまない」
彼は慌てて口を閉ざした。指摘した真依が微笑んでいるので、どこまでが本気なのか分からないけれども、言わないと約束しているので、それは守らなければならない。
二人は他愛ない会話をしている内に、目的の場所に辿り着いた。
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