帝國建つ
人名と幾つかの漢字にフリガナを付しました。
令和二年二月十日
星暦一四二四年九月一○日
「隼人、起きてるか?」
一人の男が部屋の中に入って来た。扉を開けて入って来た髭の男は旭野昇と言い、この街、日郷を治めている地方領主だ。一方の隼人と呼ばれた男は、端正な顔立ちを更に引き締めた。彼はこの街に、昨夜やって来たばかりだ。
「昇兄さん、おはようございます」
「元気そうだな」
「ええ、すぐにでも戦いに出れます」
隼人は鋭い眉根の下から、更に鋭い視線を昇に返す。その彼に対して昇は肩をすくめて見せた。
「慌てるな。無事に帰って来れたんだ、今はゆっくりとしていいぞ」
「そうも言ってはいられません。聞けば、兄さんは次に柴津を攻めようとしているとか?」
「……誰から聞いた?」
昇の視線も厳しい光に変わった。隼人は動ぜずに答える。
「綾女を問い詰めました」
「……、実の妹を問い詰めるなど、お前らしくないな」
隼人の答えに彼は興を削がれたような表情になった。その彼に隼人は食い下がる。
「しかし兄さん、俺は貴方の手伝いがしたくて、戻って来たんだ。柴津を攻めるのなら、先鋒として働いてもいい」
「……、考えておこう。しかし、それならば今はゆっくりと休め。疲れた身体では、戦場に出ても役には立たん」
昇は彼の肩に手を置いた。その手からは彼の心の温もりも伝わって来る。
「お前の気持ちは、よく分かった。期待しているぞ、隼人」
隼人はやっとその表情をほぐした。そこへ誰かがやって来て扉を叩く。
「入れ」
昇の声に導かれて、一人の男が顔を出した。その頭には髪の毛がない。
「やっぱりここにいたか。昇、会議の時間だぜ」
「もう、そんな時間か? それならば急ぐとしよう。隼人、お前の気持ちは、確かに受け取った。悪いようにはせん。だから、大人しくしていろよ」
「分かりました。昇兄さんも、お気を付けて」
隼人は、迎えに来た男と去って行く彼を見送った。
その彼らと入れ違いになるように、隼人の部屋に一人の女性が訪れる。
「時間はあるか?」
「瑞穂か、余ってるぐらいだ」
「そうか、ならば邪魔するぞ」
瑞穂と呼ばれた赤毛の女性は、室内に堂々と入った。
「ふむ。あまり内装などは変わらぬのだな」
部屋の中を一通り見回して、彼女はそう感想を漏らした。
「まさか、他の部屋も見て来たのか?」
「当然だ。私はあの昇殿の度量を知らぬ。そこで私達にあてがわれた部屋を見て回り、それを推測しようとしたのだ。隼人は不快やも知れぬが、許せ」
「素直に謝られると、何も言えないな」
彼は瑞穂のそういう部分が好きだった。真直ぐでいて、不器用な彼女の行動原理が。
彼女は、断りなく寝台に腰掛ける。隼人は立ったままで彼女に尋ね掛けた。
「それで、どうだった?」
「だから最初にも言ったように、内装が変わらぬと言うことは、昇殿は私達を丁重にもてなしていると思う。見ず知らずの、ただ単に義理の弟と一緒に旅をしていたというだけの私達にとっては、破格の扱いだ」
「そうか」
先にも述べたが、彼らは昨夜この館に一泊したのだ。
「こうなると、何か昇殿の役に立たなければ、私としては居心地が悪いな」
「そう言うと思った」
隼人は心の裡の喜びを隠せず、忍び笑いとして漏れた。彼女には自らと同じように昇に協力して欲しかったから。しかし、彼の態度は瑞穂の内心に悪印象を与えた。
「なぜ笑う?」
「俺も同じように考えたからさ」
「……、ここに座れ」
命令口調で彼女は、隼人を自らの隣に座らせた。しばらく無言で見つめ合う。
「隼人は、私をどう思っているのだ?」
「女だと思っているよ」
「そうではなく……」
あっさりとした答えに、瑞穂は苛立ちを隠せない。しかし隼人は二の句を継がせなかった。
「いいじゃないか、瑞穂には瑞穂の良さがあるのを俺は知っている。世の中の全てがお前を非難しても、俺だけはお前の味方でいると約束しただろう?」
「それは、そうだが……。しかし、口では何とでも言える。私は、真依にだけは負けたくないのだ」
瑞穂の口から思わず本音がついて出た。彼女の強敵、真依もこの館にいるのだ。
「真依は真依、瑞穂は瑞穂だ。俺の中では二人とも死線を潜り抜けて来た、大切な仲間だ。だから……」
「だから、そういう問題ではない!」
彼の言葉尻を捕えて瑞穂は怒鳴りつけた。
「もういい、隼人には期待せぬ!」
彼女は立ち上がると、隼人が引き止める間もなく荒々しい態度で出ていった。残された彼は軽く溜め息をつく。
「やれやれ、毎度ながら気の短い奴だ。それでも好きなんだから、仕方ないか」
隼人は苦笑しながらも、瑞穂が残して行った温もりに触れていた。
暫くして、部屋の扉を誰かが叩いた。
「開いてるぞ」
隼人は寝台の上で姿勢を正す。
「兄さん、起きてた?」
「綾女か」
「失礼します」
次の訪問者は妹の綾女だった。彼女は一人の男性を伴っていたが、彼は椅子に腰掛けたままで移動している。
「智顕、やはり足はダメだったのか?」
「ええ。ですが、こうして小型の車に乗れば、移動には困りません」
静かな声で答えた智顕が座っているのは、いわゆる車椅子だ。彼の両足は膝から下が機能していない。
「不便な点は、誰かに押して頂かなければならない点ですけれども」
「その点は、ご心配なく。あたしか、あたしの代わりになる良い娘を見つけて来ますから」
綾女は明るく告げて微笑んだ。その彼女に、智顕が振り返る。
「隼人殿と二人で話がしたいので、席を外して頂けますか?」
「いいですよ。じゃね、兄さん」
綾女は軽く答えて部屋から出て行った。扉が閉まったのを確認して、二人の表情が引き締まる。
「話とは、昇兄さんのことか?」
口を開いたのは隼人。
「そうです。どうやらあの方は柴津を攻略しようとしていますけれども、今回は見送った方が良いのではと思いまして」
「それは、お前の学んだ兵法に則ってか?」
「そうです」
智顕が頷いたのを見て、隼人は腕組みして考えた。
「だが、やめろと言って、聞くような人ではない」
「それは重々承知しております。そこで、隼人殿の口添えを借りて、的確に論ずれば諦めて頂けるかと思い、こうして相談に参ったのです」
「なるほど、理詰めで説けば、兄さんも少しは考えるか」
隼人は昇の性格を良く知っている。一度決めた事柄は必ず最後までやり遂げる人だ。だからこそ、多くの人々が彼を慕って集まってくる。隼人は、仲間たちにも昇の手伝いをするよう願っていた。
「よし、会議中だと言っていたが、これこそ良い機会だ。智顕、行くぞ」
隼人は立ち上がると、智顕の車椅子を押して部屋を出た。しかし、廊下を進む彼らの前に立ち塞がる影が一つ。
「あ、二人揃って、どこ行くの?」
能天気な口調で、金髪の女性が近づいて来る。
「お天気がいいから、散歩かな?」
「そんなところだ」
隼人は彼女に対して、やや突き放すように答えた。その彼とは対照的に智顕が問い返している。
「真依さんこそ、どちらへ行くご予定だったのですか?」
「あたし? あたしは……」
彼女は瑠璃色の瞳をさまよわせた。隼人が硬直したのにも気付かず、彼女はにっこりと微笑む。
「別に予定もないから、ご一緒するわ」
隼人は彼女の微笑みに負けている。
「……行こう」
疲れたような声で進行を促す。三人は連れ立って廊下を進んだ。真依は普段と違って口を閉ざしたままでついてくる。
昇の屋敷は長い廊下で日郷の政庁と繋がっている。より正確には、昇の屋敷の離れが日郷の政庁として利用されているのだが。
廊下の突き当たり、扉の前には二人の衛兵が立っていた。三人が近づくと、槍が交差されて行く手を阻まれる。
「何用であるか? これより先は立ち入り禁止である」
「火急の用件で、昇兄さんに話がある。通してくれ」
隼人は説明ももどかしく、通行許可を求めた。しかし衛兵は聞き入れない。
「まずは説明して頂きましょう。取り次ぎも我らの役目」
「そんな暇はない」
「隼人殿」
押し通ろうとした彼を智顕が引き止めた。
「時間がありません。我々だけでも、脱出の準備を致しましょう」
「脱出? それは聞き捨てできない言葉だぞ」
智顕の言葉に、衛兵は驚きを隠せていない。しかし言った当人は涼しげな顔だ。
「一体、何事か?」
「申し訳ありませんが、これは領主様に直接伝えて判断して頂く事柄。それも叶わないなら、引き下がるのみです」
思わせぶりな彼の言葉に、衛兵は苦虫を噛み潰した表情になる。それでも相方に目配せして室内に向かわせた。
ややあって相方の衛兵が戻って来た。耳打ちされて、残っていた衛兵の表情がくもる。
「話を聞こうと言うことだ。通れ」
衛兵は道を開けた。隼人は黙って車椅子を押して進む。その後ろを真依が続いた。彼らが室内に入ると、背後で扉が閉められる。部屋中の視線が三人に注がれた。
「火急の用件だと聞いた。一体、何事か?」
昇が隼人に訊ねかけた。彼らは大きな卓を囲んでいる。卓の上には地図が広げられていた。
「用件は、智顕より伝えます」
隼人は、智顕の横顔を窺った。彼は表情を変えない。
「閣智顕と申します。この度は、隼人殿の口添えを借り……」
「口上は良い。端的に述べよ」
昇は先を急がせた。
「それでは端的に申しまして、今回の柴津攻めは、中止なさいませ」
「何?」
昇は片眉を釣り上げる。その彼が続けて言うより早く、禿頭で筋肉質の大柄な男が口を開いた。
「こいつは面白ぇ、どこでその話を聞いたか知らねぇが、いきなりやめろとは、なかなかに度胸のある奴だ」
「力也、面白いなどと言ってる場合じゃないよ。昨日今日来た人間が知っていると言うことは、この話は向こうにも筒抜けだってことだろ?」
彼、力也の向かいに座っていた赤毛の女性がきつい口調で咎める。
「機密保持の為に、死んでもらうしか……」
「鈴、滅多なことは言うな。この男は隼人の仲間だ。それに情報源の見当はつく」
昇がその場を収めなければ、更に事態は複雑になっていたかもしれない。
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