黒瀬の子
タメジは祖父と二人、海辺で暮らしていた。
サスケは島の地主の息子だった。
二人はウマこそ合わないが、その漁の腕前だけは、お互いに認めていた。
火山灰が堆積してできた伊豆諸島では作物もロクに育たぬ。それ故、江戸幕府の年貢には、米のかわりに海産物を納めていた。
ある年、幕府は、石高をあげるためとある事業を試みた。
生産性の低い海産物の他、日持ちがよく、安定した収益を得ることができる農作物を育てる……
幕府は、米の代替品として、各島々に芋の苗を送ったのだ。
苗は8種。各島で一種ずつ育て、安定して生産できる種を見極め、全島に再配布し、将来的には年貢として徴収する計画だ。
サスケの父は畑を耕し、苗を植えたが、できた芋は、とても食べられるものではなかった。
サスケは父から、島を二つ挟んだ向こうの種が、年貢として徴収されることになるだろうと聞かされた。
来年、いや、まだまだ先になるかも知れないが、いつか幕府が船を出して二つ向こうの島の苗を届けてくれるだろう、と。
その年は、困窮だった。
山は枯れ、近海の魚はとりつくされた。
サスケの父が育てた芋は枯れなかった。
毒を食らうよりマシ、と芋を掘り起こして島民に配ったが、それでも餓えを凌ぐには足りなかった。
島の沖合いに流れる黒潮の潮の流れは速く、魚はいるが危険だった。が、タメジは毎日小舟を出した。
来る日も来る日も舟を出し、漁った魚を皆に配った。
ある日、飛び魚の群れを見つけて近付いたタメジの小舟が、黒潮の荒波に飲まれて転覆した。
運よく岸辺に流されたタメジ。舟を失ったものの、舟を貸してくれるものは幾人もいた。
近海ではもう魚は取れない。そして、黒潮を小舟で渡れるほどの腕をもつ若者は、タメジとサスケくらいしかいなかったのだ。
タメジが借り物の舟を出そうとした日、同行に名乗り出る者がいた。サスケだった。
「お前のことは好かないが、二人ならばもう沈むことはないだろう」
「俺もお前は好かないが、餓えている皆を放っておけぬ。毎日黒瀬を渡るなら、お前がいると心強い」
それからは、二人で小舟に乗り漁をするようになった。
漁った魚は、すべて島民へ。
二人が連日黒瀬を渡り、幾日分かは島民が餓えを凌げる蓄えを作ることができたある日、二人は黒瀬に呑まれて遭難した。
これはサスケの計画だった。島外へ渡航することが許されぬ身分の二人は、二つ向こうの島で育っているという芋の苗を調達するため、遭難を装い渡航したのだ。
今年の困窮を凌いでも、次はどうなるかわからない。
二人は、幕府が大型の帆船で渡航するような黒瀬の荒波を、小舟をこぎ続けて越えていった。
途中の島に立ち寄るわけにもいかず、ひたすら小舟をこぎ続け、二つ向こうの島に到着したタメジとサスケは、岸辺に上がって同時に尻餅をついた 。
疲労困憊で足下のおぼつかないその様子は、潮に流され、命からがら流れついた遭難者だった。
二つ向こうの島は、その芋のおかげか、餓えている者はいなかった。
芋の苗を分けてもらい、無事故郷に帰りついたタメジとサスケは、翌日からまた舟を出した。
苗が収穫期を向かえ、種芋を作っても尚、毎日舟を出し続け、島民を餓えから救った。
勇敢に黒潮へとこぎ出すタメジとサスケを見送る島民たちは、この命知らずな二人に感謝と敬意を込め、「黒瀬の子」と、呼ぶようになった。