序章 第四話 江戸時代
「さっきは何処に行っていたんだ?」
食器を洗いながら葵は美代に疑問をぶつけた。
「さっき?」
「美代さん朝食の時途中で消えただろう? 何処に行っていたんだ?」
「葵ちゃん意外と目ざといんやねぇ……」
美代はえらく感心している。
「あの時は芹沢はんの所に行ってたんよ」
「あの酔っ払いの所に?」
「葵ちゃん!!」
美代は慌てて葵の口を手で押さえた。
「???」
そして小声で囁く。
「どこで芹沢一派が聞き耳立ててるか解らんねんからいらん事は言わん方がええで。『芹沢局長』『芹沢先生』最低でも『芹沢さん』くらいは言うとき。しょうも無い事で命落としたないやろ?」
葵はコクコクと頷いた。
それを確認すると美代は手を離し、ふぅ〜と息を吐いた。
「それで、芹沢……先生の所に言った理由は?」
葵は再び質問をしたのだが……
美代はゆっくりと葵の方を見、目を見つめた後……
「それ……どないしても言わなあかん……?」
「え……」
真っ直ぐ見つめてくるその瞳はどこか寂しそうで……
まるで自分が美代を虐めてるような……そんな錯覚に陥ってしまう。
それほどまでに言いたくない理由なのだろうか……?
まさか何かで脅されて無理矢理……?
葵が返答に困っていると急に美代の顔が歪んだ。
泣きたい程辛い事があったのか……?!
と葵は思ったのだが……
「プアッハッハッハ!! なんちゃってなんちゃってなーんちゃって!!」
「……は?」
美代は片手で葵の肩を叩き、もう一方の手でお腹を抱えて笑っている。
「嘘や嘘。なんもあらへん。言うてみただけや」
「なん……?!」
「こんな手に引っかかるやなんてアンタほんま可愛いなぁv その内悪い男に引っかかってしまうで」
「ま、まさか美代さんがこんな事するだなんて思わなかったんだ!」
「せやからソレがあかんねん。その思い込みが怖いんやで。善人面した獣のような男なんかいっぱいおるで」
「う……」
美代の言っている事は正論であり、葵は反論が出来ない。
「でもまぁ、ウチの事をそこまで信用してくれてんのは嬉しいけどな」
美代は葵の頭をぽんと撫でた。
「…………。で? 結局なんで芹沢……先生の所になんか行ったんだ?」
「葵ちゃん……気持ちは解るけどちゃんと『芹沢先生』って言えるようになっといた方がええと思うえ」
「……努力する」
美代はクスッと微笑んだ。
「ウチがさっき芹沢はんの所に行った理由は至極簡単なんよ。なんせ朝ご飯を届けに行ってただけやねんから」
「朝ご飯を?」
「そ。ちょうどアレくらいで起きる思うてたでな。六人分のご飯と味噌汁持っていったんや」
芹沢一派……芹沢、新見、平間、平山、野口、佐伯は近藤達とは別館で生活している。
もともと出身が違い、組が結成させた当時から班を分けられていた為で、深い意味はない。
(もっとも佐伯は後から加わったのだが)
だが、現在組内は芹沢派と近藤派に分かれており、二つのグループが顔を会わせるとあまりいい空気とはいえない雰囲気が漂ってしまっているので、結果的には住む場所が違っていて良かったと言えるだろう。
もっとも、結局は同じ敷地内で過ごしているのだからまったく顔を合わせないなんていうのは到底不可能な話なのだが……。
「だったら声をかけてくれれば……一人では大変だったのでは……?」
葵は心配そうに美代を見つめた。
「せやかて、近藤はん達の世話もせなあかんから葵ちゃん連れていく訳にはいかんし、だいたい近藤はん達に比べたらこっちは六人やもん。葵ちゃんの方こそ大変やったんちゃう? 四十人近くの男達の相手一人でさせて堪忍な」
近藤達というのは主な近藤一派……原田・永倉・藤堂を始めとする約10人程の者と、どちらにもまだ属していない平隊士の事だ。
「平気だ。騒いでいたのはほとんどあの三馬鹿トリオだけだから」
「三馬鹿……何?」
「ああ、すまない。『三人組』という意味だ」
「三人組ってもしかして……」
「原田・永倉・藤堂の三人組だ。結局ご飯と味噌汁が底を尽きるまで『おかわりおかわり』と五月蝿かった」
「容易に想像出来てしまうわ」
美代はクスクスと本当に楽しそうに笑った。
「副長助勤というのは副長……つまり土方さんを助ける為のものだろう? あいつらで大丈夫なのか?」
葵は既に洗い終わったお皿を手拭いで拭きながらほとんど独り言のように呟いた。それを聞いていた美代が少し考えた後に呟く。
「それやったら……――――」
「これは……」
葵は道場の中で驚きの声をあげた。
先程美代は、だったらあの人達の訓練風景を見れば良いと言ってきた。
お昼頃から道場で訓練している筈だからと。
その言葉に素直に従い、葵は昼食の下ごしらえを早めに済ませ道場までやってきたのだった。
美代も一緒にどうかと誘ったが、これから出かけなくてはいけない所があるから……と断られてしまった。
そしていざ葵が道場に入ってみて目にした物、ソレは……
「オラァ!! お前らもっと気合いれやがれ!!」
「おいそこ! 腰が引けてっぞ!」
「他に俺に挑戦する物は?」
道場に入って最初に聞こえてきた声は順に原田・永倉・藤堂だ。
三人とも声からも解るように先程とは明らかに雰囲気が違う。
いや、三人だけではない。
沖田や他の副長助勤も朝食の時とはうって変わって厳しい雰囲気になっている。
そして何より驚いたのは……
「木刀?!」
皆、竹刀は使わずに木刀で打ち稽古をしている。
簡単な武装はしているものの……アレでは打ち所が悪ければ骨折もしかねない。
「竹刀では甘えが生じてしまいますからね。それに威力が強ければ強い程、皆必死で避けようとするでしょう? 私達が欲しいのは実戦で使える人材です。竹刀で訓練していた為、刀もうっかり避けそこなった……なんて言い訳にもなりませんからね」
「沖田さん……」
いつの間にか沖田総司が隣に立っていた。
「って全部近藤さんが言ったんですけどね♪」
葵が来た為だろうか?
沖田の雰囲気が若干昨日感じた物に変わりつつあるように思えた。
沖田の説明に葵は素直になるほどと感じた。
葵の時代では『銃刀法違反』とかいう法律もあるので、街中でいきなり刀で斬りつけられるという事もなければ、刀を持った者同士で斬り合うなんて事はまずありえない。
だが……此処は違うのだ。
この時代は葵の生きてきた時代ではありえなかった事がごく日常で当たり前のように成されている。
葵は自分が江戸時代に来てしまったという事を改めて痛感させられた。
「おや? いいんですかな? 女子なんかをこんな所に入れてしまって」
不意に葵の後ろから声が聞こえた。
その言葉にすぐさま反応する葵。
「女子なんか……だと?」
振り返るとそこには、散歩で通りかかったのか芹沢の下僕……ではなくて、部下の佐伯又三郎が立っていた。
あからさまに葵を見下しているような、嫌な目をしている。
「女子は男の言う事を聞き、家事さえしていればいい。剣術なんかに興味をもたない方がいいですよお嬢さん。怪我をしたくなければね」
内容もさながら、一々上から物を言うやりかたにも葵は腹を立てた。
何故自分がこんないかにも虎の威を借りている狐のような男に馬鹿にされなければならないのか。
「あんたこそ訓練にも参加しないなんて、実戦で命を落としてもしらないぞ。それとも、皆より実力がないのを知られるのが怖いのか?」
「な……! お嬢さん、口の利き方には気をつけた方が良いですよ。女子がいきがっても良い事などありません」
「ならば、試してみるか? 私と貴様、いったいどちらが強いのか」
「は? 君は自分が何を言ってるのか解っているのですか?」
「もちろんだ。ついでにいうと己の力量も充分理解している」
佐伯だけでなく周りの他の者もまた唖然としていた。
葵の発言が突拍子がなさすぎて誰も止めようとすらしない。
いつのまにか、道場にいた者が全員葵のいる入り口へと集まってきていた。
やがて佐伯が薄ら笑いを浮かべて答える。
「いいでしょう。お嬢さん、君がどれほど愚かしい考えを持っているのか私が教えてあげましょう。手加減はしませんよ」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。後悔するのは貴様だ」
二人の間に火花が散った。