1-6
あのオーラが、ほかのオーラと一緒じゃないのはわかってはいるが、心境の変化で微動だにせず、ずっとオーラは固定ってことなのか? ますます謎が深まるばかりだった。
その後、落ちこむ菅野さんを観察しつつ、今の菅野さんの気持ちは、どんな心境なのだろう。オーラが変わらない今、そんなことを考えてしまっていた。
不安や、心配、罪悪感か、責任感、それとも、もっと深いなにか――。
表情から読み取れる情報にはかぎりがある。
午後の授業もそつなく進み、帰りの時間を迎えた。こんなにも心が読めなかったのは、生まれて初めてかもしれない。これが普通なのに。俺には普通じゃない。それがこんなに心許ないとは……。
先生の合図とともに菅野さんは一番に立ち上がり、挨拶もまばらに教室を駆け足で出ていった。黄色いオーラがそう急かすように。
あのまま放置してていいのだろうか。俺の中でまたイヤな予感が掠める。
ダメだ――二の舞を演じるような事態は避けたい――。
しかし、足が動かない。俺はこの後に及んで迷っていた。――菅野さんを助けることに。
やっぱり、俺には人助けなどできやしないんだ……。
拳を握りしめ、背を見せようとした、次の瞬間、
「行って」
「――え?」
俺が見上げると、新樹が神妙な面持ちで立っていた。
「私が行ってもなにもできない。けど、州の力なら、絶対みんなを幸せにできる――私はずっとそう信じてるよ」
「買い被りすぎだろ、俺なんか、ちっぽけでただの腰抜けだよ」
自虐する俺に、新樹は怒気を込めて、
「まだ気にしてるの。今朝のこと」
「…………べつに」
そっぽを向いて、俺は気にしていないフリをした。
「嘘つき……私、知ってるよ。州が私のことを想って、黙っててくれたこと。州は腰抜けなんかじゃないよ。州ならだいじょうぶ。だから」
「ちょ、ちょっと……」
イスに深く座る俺の脇に腕を滑りこませて無理やり立たせようとする。
「コウも手伝って!」
「お安い御用だよ、新樹ちゃん」
「え、え、コウまで?」
二人がかりで俺を立ち上がらせて、新樹が俺のカバンを取って胸に押しつけられる。
「愛ちゃんを助けてやって」
新樹がそう言い、俺はコウの顔を見た。
「そうみたいだよ、州。やってみたらどうだい?」
どうだい、と言われても困るが……。
「次は、私も仲間に入れてね、絶対だよ」
まったく、困った友達だ。俺は思わず笑みを漏らし、
「ふっ。ああ、もちろんだ。新樹は頼りになるから約束する。じゃあ、ちょっくら行ってくる」
「うん。まかせたよ、州」
「いい結果が出るように、健闘を祈っておくよ」
「ありがと、二人とも」俺は二人を見送り、菅野さんを追った。
菅野さんは午後の授業からずっと、うずうず先生の話は上の空で外を眺めていた。
仲間想いで、心配そうにしている彼女だ。行く場所の目星はついている。考えなくてもわかる。宮坂さんが運ばれたであろう、病院しかない。
学校から少し離れた場所に病院はあり、走っても三十分ぐらいの距離だ。
夕方で多少なり、日が影っているとはいえ、夏本場の時季だ。どう考えても、普段平均的な運動量しかこなさない俺にはキツイものがあった。
息を切らし始めたころ。朝も通った広場が目に入った。
「ここを通れば、近かったよな……」
広場を横切ろうと入口に立ったとき――広場がほかとは違う妙な雰囲気を醸していた。
入る前に、広場内を軽く見渡す。すぐに異変に気づいた。
「おかしい……おかしすぎるだろ……」
まだ十六時を回ったあたりだというのに、広場内に人の気配がしない。
まるで祭りが終わったあとのような静けさが蔓延している。
「いったい、なにが起きて……」
足を一歩置く。広場内のアスファルトに足を踏みこんだ瞬間――違う。広場内に身体を入れた瞬間に全身が、温かいお湯に浸かったような感覚に襲われだす。
しかし、覚えた味は中毒のようで一瞬で身体から逃げだした。
「なんだ……ぽかぽかしたと思ったら、いきなり力が抜けて……」
そう、「脱力感」だ。ここに立っているだけで何者かに自分を奪われ、蝕まれているような感覚だった。
疲れ目に前方を見やる。遠目にだが、ベンチにピクリとも動かず、腰をかけている女生徒らしき人がいた。
「あれ、菅野さんだ……」
たしかにそうだ。茶髪のセミロングで、細身な体型がよくわかる。でも一番の理由は。
上空を見る。この異変の原因がそこにあった。俺の頭頂部にツタが差しこまれ、黄色い泡が引き抜かれている。「そうか。俺も『なにか』を抜かれているわけか」
呑気に分析している場合じゃないが、この気だるさにも宮坂さんの事故にも、これで合致がいった。
ここでやっと確信した。このツタのようなものの正体は――。
まずは頭を思いっきり左右に振った。案の定、ツタははずれ、菅野さんのオーラのところに縮んでいく。「ここにいたら、ヤバいよな……けど」歯を食いしばる。菅野さんは、もっと危ない状況なのだ。
俺は恐怖を振り払い、菅野さんの座るベンチに一歩。二歩。と近づき、距離をなくしていく。「このまま、見過ごすわけにもいかない」
菅野さんと目と鼻の先になって、起こそうと手を伸ばした途端――
「な、なんだ……!?」
俺の手が菅野さんに触れると、覆っていたオーラが巨大化しだした。びっくりし、後ろにもたつく足で下がると、その場で尻もちをついた。
痛みなんかより、目の前の光景に絶句した。もくもくと雲のように膨らんでいき、そこいらの木ぐらいの高さまで成長が進む。
これにはさすがに、身の危険を感じた。直ちに立ち上がろうと足に力を入れる。だが、
「はは……腰が抜けて、た、立てないって……」
逃げだしたい。けど、オーラから目を離せない自分もいた。
しかし、俺の心とは裏腹に、オーラは更なる変化を遂げようと段階を踏む。膨らんだオーラは、スリムに絞っていき細長くなる。そして、頂上の部分がもしゃもしゃと揉みしだき、なにかに模られていく。その姿はまるで――
「ひ、人……?」
最初に顔。性別はどうやら男性。短髪に太くたくましい眉毛。ナイフのように鋭い目つき。服装は、和風で袴を着ている。黄色の物体というのに、非常に凛々しい。
姿が完全に整うと瞬きをし、口をパクパクと喋っているように見える。でも俺にはなにを言っているのかサッパリわからない。
そんな俺の視線に気づいたらしく、顔をこちらに向けてくる。視力もあるようだ。なら、と俺はこう言った。
「お前は一体なんだ」
聞こえるのか、とか日本語が通じるのか、色々と疑問だらけだが勇気を振り絞り、どうにか投げかけた。
オーラは俺の声が聞こえたのか、かなり驚いたリアクションをする。でも、それだけで向こうも目や口が静かに動いているだけ。
これを察するにどうやら、「ダメか。聞こえてないよな」とわかった。こいつに訊きたいことが山ほどある。しかし、どうもできない。俺はどうしようか、考えるが方法があるわけもなく、治った腰を起こして向かいのベンチに座った。
はあ……、とため息を吐いた、そのときだった。
「っ!?」
声を出す暇もなく、いきなり意識が遠のき景色が朦朧とする。深い闇の海に沈み、困惑した。でも異様に身体が軽い。
さっきからなんなんだ、と憤慨していると瞼が騒がしい。目を開け、「あれ……なにこれ……」と自分の手を見る。
え、なんか……光ってる。気持ち悪いくらいライトブルーにテカってるんですけど、これって……。
「ちょっと待ってよ……」
俺は地面を見やる。ベンチに腰かけて、ぐったりしている自分を見つける。信じがたいが、魂が抜けて、宙に浮かんでいた。
ということは俺……死んだのか?
「そ、そんな……嘘だろ……」
まだやり残したことはたくさんある。今の両親にも感謝していない。コウにも、そして――新樹にも――。