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オーラ・コミュニケーション  作者: 友城にい
第四章 真実(うそ)から出た嘘偽(しんじつ)
47/55

4-12

 俺は五歳のとき、両親からネグレクトを受けた――。


 ――ネグレクト。主に育児放棄や児童虐待のことを指す用語。


 俺の両親が、育児に対して初めから意欲がなかったのかと問われれば、答えは否だろう。真逆に熱心であったはずだ。それがなぜネグレクトに陥ってしまったのか。理由は至って簡単で、すべての原因の一端は、やはり俺自身にある。


 そう――このオーラを視る能力チカラが、すべての元凶であり、俺の人生の始まりだった。

 いつからだっただろう。この能力チカラを認識したのは――。

 四歳ぐらいだっただろうか。それ以前から視えていたのかもしれない。もしかしたら、生まれたときにはすでに――。


 話を戻す。俺の摩訶不思議な言動が目立つようになったのは、四歳になり幼稚園に通いだして、言語力を身につけたあたりだ。

 幼い知性で赤は怒り。青は不安。緑は穏やかだと本能でわかっていた。でも当の本人からしてみれば、なんら不思議な現象でもなくて、むしろ当たり前のことだと思っていた。

 毎日どんよりと重苦しいオーラを身に纏いながらも、子供たちと笑顔で遊ぶ先生に、俺は子供心ながらに気を遣ったつもりで言った。


「せんせい、つかれてるの?」


 って。先生は、そんな俺に顔ひとつ変えず、「先生はいつも元気よ。気遣ってくれてありがとう」と俺の頭を撫でた。でも先生のオーラは変わっていない。当時の俺からしたら、不思議でなかった。

 次の日も言った。「せんせい、ねてないの?」と。今度は質問を変えて。それでも先生は、「大丈夫よ。心配しないで。ほら、元気元気」そう言って、俺の手を握る。オーラは変わらなかった。

 それから俺は、毎日のように先生に訊いた。体調のことを。純粋に心配だったから。たまにある体調のいい日は、普通に遊んだ。

 それが逆に不自然だったみたいで、俺に不審を抱いていたのは先生だけじゃなく、両親や親御さんも同じだった。

 これぐらいからだろうか。環境に変化が生じ始めたのは。

 あるとき。一緒に遊んでいた男の子から、こう言われた。


「おまえ、へんな子だって、ママがいってたぞ」


 と。すぐに先生が止めに入った。先生はフォローするように、「こら。州くんは、全然変な子じゃないでしょ。ダメだよ。そんなこと言っちゃあ」と、その子に言い聞かせる。そのとき、俺はひとつの色を憶えた。


「せんせいのうそつき! うそだ! ぜんぶうそだ!」


 指を差して、大きな声で張り上げた。当然、周りにいた先生たちで俺は、なだめられる結果に終わる。

 それからしばらくのあいだ家にいた。俺の奇行が知れ渡り、母親が元気をなくしていた。それを慰めるために、俺は声をかけた。


「ママ、げんきだして。ぼく、わらってるママが……」


 こっちに振り向いた母親は、犯罪者でも見るようなおぞましい目で、幼い俺を睨めつけたのだ。とてもじゃないが、少なくとも我が子に向ける目つきではもうすでになかった。

 そうした中で、刻一刻と狂っていく歯車の日常は、着々と俺を迫っていた。

 幼稚園に復帰しても、俺は完全に居場所を失っていた。言わば幼稚園生にして、『孤立』していた。それでもかまってほしくて、ついつい突発した行動を取ってしまう。


「あか! きいろ! あおおおい! もも! くろこわい! みかんもいるー、あれわー」 


 翌日、精神科に連れていかれた。といっても、まともに取りあってもらえるはずもなく、両親は頭を抱えていた。

 俺はなにを思ったのか。不意にこんな質問をしたのだ。


「ママ、ぼくのこときらいなんでしょ?」

「そ、そんなこと、ないわよ……」

「ママも、うそついてる……いしと、おなじ色がみえた。たくやくんもこのまえ、その色でうそついてたよ……」


 不用意な発言した次の日、幼稚園を即刻辞めた。正確には、行かせてもらえなくなった。半年も通っていないはずだ。

 けれども、狭くなっていく範囲の中で、平日の昼間だけ外出が許された。同年代。社会人に鉢合わせないためだ。だが、そう長くは持たなかった。

 独りで遊んでいれば、当然といえば当然の結果なわけで。つまりはそういうことである。両親はキツイ叱責を受けた。

 今回の件に関しては、俺に非がない。なのに、ついに外出までなくなった。家で暇を持て余す俺の相手をしてくれるのは、母親しかいない。しかし、その母親は完全に病んでいた。

 遊びたい、という当たり前の欲求を満たすために、無理を承知に強請った。「あそんで」「これしよ」と何度も強請った。

 母親は、疲れ切っているような顔で俺の顔を覗きこむ。「お前なんて――」ためらった表情で数秒固まる。そこに迷いがあったが、意を決した感じに我が子に言った。


「――シッパイサクよ」


 そうはっきり言ったのだ。

 そこから、食事も入浴もまともに与えてくれなくなった。日中は隔離された物置部屋に閉じこめられて、たびたび父親か母親が入ってきては罵声を浴びせられ、暴力も少なくなかった。

 シッパイサクよ――これが引き金だったように。

 最後には、家にさえ入れさせてもらえなくなり、庭で――一年間過ごした。

 両親はその後逮捕された。でも、両親はうつ病を患っていることが判明し、カウンセリングを受けながらの獄中生活が始まった。

 俺は身寄りのすべてに受け取りを断られ、孤児院で二年間過ごしたのち――今の父さんと母さんの養子として引き取られた。

 両親は、罪の償いは終わったものの、カウンセリングのほうを八年受けたらしい。それが終わったのが二年前。

 俺とやり直したいと言ってきたのは去年。

 俺は、両親の顔や声を忘れた。けど――頭や心に刻まれた。あふれるほどの、


「言葉」は忘れられないでいる――。


州の過去の過去編ですね。ここらへんは難しかったです。


友城にい

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