3-18
青晴れた空が山の彼方にまで広がっている。着慣れた服を四股に通して、暑さ対策に帽子だけ被って、十三時の十五分前に、広場にたどり着いた。
リラには、新樹と一緒に来るように言ってある。さすがに殴られる姿を見られるのは、気が引けた。
日曜の昼間だと言うのに、ひと気が少ない。そのためか広場内を見渡す手間もなく、久三野はベンチに険悪な顔をして佇んでいた。オーラからもその存在感は、他を圧倒している。
鋭い目つきをギロッとし、一瞥して俺を視界に入れたのか。のそのそと近づいてきた。
「来たか。さすがに度胸だけはあるようだな。まあ、いづみが認めた器だけはある。褒めてやるよ」
「ありがとよ。それで、本当に殴るのか?」
「なんだ。今になって、怖くなったのか」
久三野は、手をパキポキ鳴らして準備をしつつ、俺の真正面に立つ。
「そんなことはない。ただ、ひとつ忠告しておくとすれば――」
「なんだよ……」
「俺を殴っても、いづみはお前の元には帰らないってことだ」
わざと挑発する。それに堪忍袋の緒が切れたのか。久三野は、細い腕を思いっきり、後ろに引いて、俺の顔目がけて拳を利かせた。
「てめぇ! あんまりチョウシにノってじゃねぇ――――ッ!」
ドゥス、と鈍い音が頭に響く。
久三野の拳は、見事に俺の頬に入った。反動で帽子が脱げて、噴水に落ちる。
倒れなかったものの、覚悟していた以上にやはり痛い。貧相な身体をしているくせに、力だけは一人前に備わっているようだ。
帽子を拾いあげて、頬に手を当てる。「くっ……」ヒリヒリして、腫れているようだった。
「腫れたようだな。言っとくが、おれは悪くねぇからな。悪いのは、全部お前だ。痛いんだろ? ここで引いてもいいんだぜ。その代わり――」
「けっ……そんなことしない。どんどん来いよ。全部受け止めてやるから」
口腔内に固まった血溜まりを吐き捨てた。こんなことでへこたれやしない。久三野に突きだした掌を天に向け、指を曲げて手招きをする。
「舐めたマネを……。でもそれがお前のケジメか。そんじゃあ、遠慮なくお前をサンドバッグにさせてもらう」
久三野は、いつでもパンチを繰りだせる態勢――ファイティングポーズを取る。そして、自信にあふれているような態度で、俺に揺さぶりをかけてきた。まるで――。
「二発目。いかせてもらうぜ。オラッ!」
刹那――。
久三野は容赦なく、俺の腫れあがっている左の頬に右ストレートを打ちこんでくる。さすがの俺でも、これには耐えきれず地面にうずくまった。「いっ、つぅ……」今ので腫れが酷くなったのは、言うまでもない。それにしても……。
「ほら。さっさと降参して、家で冷やしてろよ。こっちの手も……」
久三野は自分の手を見つめつつ、俺に白旗を命じてくる。当然、そんな気などサラサラない俺は、「降参? 笑わせるな。言っただろ……。全部受け止めるって」
よろつきながらも立ち上がって、挑発的な視線を送る。
「くっ……。そっちがその気なら、おれも手加減……しねぇーからな!」
拳を掲げて、雄叫びを上げた。そのまま無鉄砲のごとく突っこんでくる。俺の腹目がけて。身をかがめ、天に突き上げるように、俺のみぞおちを的確に狙った。
「ぐふっ……」少し身体が浮いた気がした。いや、吹っ飛んだの間違いか。それにしても、数秒息ができないほどの激痛が身体中を走った。身構えていなかったら、気絶していたかもしれない。
それでも俺は、どうにか二本足で久三野の前に立った。痛くても、苦しくても、泣きたくなっても威圧的な視線を浴びせる。ここで久三野を帰すわけにはいかないから。
「お前……しつこいぞ。いい加減、倒れろよ!」
「イヤだ。久三野臨。お前の気が済むまでは」
俺がそう言うと久三野は、不意にこれでもかという力で俺の脇腹に蹴りを入れてきた。
「もうどうなっても知らねェからな!」
両方の拳を固めて、交互に俺の頬を連続に殴る。タコ殴りってやつだ。倒れても馬乗りになり、俺が落ちるまでずっと殴り続けた。
――じつは言うと、俺は気づいていた。
久三野が一発目を殴った時点で、正気に戻っていて、罪悪感を抱えてことに。初めて人を殴ったのだろう。濃い緑のオーラで動揺っぷりが、丸わかりだった。だが、俺にだけは悟られないよう、ひた隠すために強がっていることを。俺は知っていた。
その場から逃げたかっただろう。でも俺が挑発したり、何度も立ち向かってくるものだから、逃げることはできなかった。誰かに知られでもしたら、上原さんに近づけなくなるから。俺が通報することを恐れているから。それがある手前、後戻りができないのだ。
正攻法を知りもしないのに見よう見まねで、アクション俳優がやっているのを、やって俺を脅したりして。不良がしそうなケンカ方法を真似たりして。
すべて俺にお見通しだと言うのに。
要するに久三野は、血も涙もない野郎じゃなくて、ただの。俺と同じような、善良な男子高校生なのだ。
それを知っているから、俺は久三野の攻撃に耐えることができた。
――かれこれ、三十分は経っただろうか。
殴られ蹴られ、俺はもう自力で立ち上がることができなくなった。対し久三野も息切れをしている。「なぁ……もう、いいだろ…………」
「ああ、俺も……限界だ。それに――」
殴打が続く中、久三野は何度も俺に向かって懇願してきた。「もう、やめてくれ」「おとなしく寝てろよ」って。
そのたび俺は、もはや挑発の域を超えて、『強迫』にしか聞こえなかった。「腰抜け」とか「ちんけな想いだ」「程度が知れているな」とか、無理強いでここまで引き延ばしたのだ。しかし、ようやくこの時間と俺の役目が終わりを迎える。
「――次は、久三野。お前の番だ」
俺が振り絞って出た声を聞いた久三野は、「どういうことだ!」と吠える。仰向けで倒れこんでいる俺は、その姿を見上げ、耳をすました。




