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「それは、あの娘のことを指しているのかい?」
リラの言う娘――つまり、上原さんのことだ。俺は頷いた。
「明確な理由はあるのかい? まああたいも疑ってはいたけど、確信的な証拠がなかったからね。ぜひともお聞かせ願いたいものだよ」
「俺も酷く曖昧なんだ。けど、上原さんのオーラが変わったのを一度も見てない。これで十分、可能性としては見解の余地があると思うんだ」
俺の実証にリラも一度、頭を捻らせる。そして、クリームと菓子がこびりついたままのスプーンを俺に差し向けた。
「いつ、どの段階で、お前さんは疑念を抱いたんだい?」
「疑念ならリラも見た、影のときだ。上原さんは恐怖で安らかに休むことも、落ち着ける場所も、胸を撫で下ろせるようなヒトトキもない――そう思っていた。だが、それはただの勘違いに過ぎなかった」
「ただ娘の気持ちが変わりはしなかった可能性も、ないんじゃないのかい?」
「それじゃおかしいんだ。人の持つ『恐怖』という感情は、主に視認できないなにかや、自分の知らない未知なるものに対して発生する防御的本能によるものが多い」
人は自分の心をすべて理解することができない。挙げるとすれば――恋心や真心といった、病的じゃない感情。
「けれど、あのとき上原さんは、影を見ても俺たちに訴えかけたときでさえ、なにひとつオーラの色が変わらなかった。もし犯人がわかったとしたのなら、通常正しい現場的心境ならまず――『混乱』や『支配』が常人だ」
「『支配』……?」
「恐怖に拍車がかかった場合にだけ、『支配』が心を満たすときがあるんだ」
考えてみれば、ファミレスで会ったときからずっと、違和感は消えていなかった。
リラは、それ以上なにも言わず、
「まあほかに当てもないし、いいんじゃない。しかし――いざ、生きたオーラが現れた場合、早急にお前さんにはオーラになってもらうからね」
そうだ。もし上原さんのオーラが生きていたとしたら、俺はそれを対処しなければいけないんだ。前回のとき同様。
「ああ、覚悟はできてる――でも、昨日の状態のこともあるし、上原さんが来るかわからない。そこだけ懸念している」
俺の不安を他所に、時間は刻一刻と迫ってきている。
「だいじょうぶだよ。心配するこたぁない」
不意に、スプーンが空になった容器に落とすガラス音がした。パフェを平らげ、満足して少し誇らしげ顔をしたリラ。
「力になれるか、わかんないけど、あたいもいることを忘れてもらっては困る。それに――失敗してもらっちゃあ、こっちが損害だし、お前さんにはがんばってもらう義務があるからね」
俺は失笑した。そんなナリのやつに励まされるとは。元々、こういう事態を招いたのは、どこのどいつだって話だ。
しかし、「わかってるよ」簡潔にそうとだけ、返事した。
ひたすら待つこと数分。十四時の直前に、禁煙コーナーの店員がある人と交替した。ある人とは、上原さんだ。
即座に、リラに「とりあえず姿を消してくれないか」と頼むと有無言わず、「把握したよ」と、姿を消した。といっても俺には見える。
控えめに歩く上原さんは、すぐに俺の存在に気づくと軽く会釈して、お客さんのオーダーを取りにいった。
顔色が悪いのか、皮膚の表面に化粧を施しているような感じがした。オーラも昨日とは、比べものにならないくらいの強烈さが増していて、心構えがなければ吐いていたかもしれない。それほどのものだった。
コウも人手が足りない、と言っていたし、無理して来たのだろう。健気な気もした。
しばらく観察から始めよう。あまり上原さんを直視するのは、俺のほうの精神が持ちそうになかったからだ。だが、これでもすべて――。
(あたいは、この方法で喋ったほうがいいかい?)
え? ああ、頼む。ネガティブな思考が、リラのおかげで止まった。
(それよりもあの娘を見たほうがいい。なにか様子がおかしいようだよ)
リラに誘われ、俺は上原さんを見やった。
「あの店員さん、顔色悪いようだけど、大丈夫かい?」
「は、はい平気です。お客さま、ご注文をどうぞ……」
上原さんは一人のスーツを着た男性客のオーダーを取っていた。すごく動揺しているようで、お客サイドから心配されている。
そうか。昨日はべつの店員が男性客を担当していたが、今日はそうはいかない。しかし、俺が注目したのはそこでなく、
「これって……」
俺は絶句した。リラも、(どうやら、お前さんの推理は黒のようだね)そう肯定する。
上原さんの青かかった黒いオーラが、菅野さんのとき同様、もくもくと雲のように膨らんでいく。だが、そこからが違った――
「リラ、あれはなんだよ……」
(うむ。どうやら己の身で包みこむことで、男性のオーラを変色しようとしているようだね。あれは、コギャルとは真逆の存在――)
男性も営業回りなどで疲れきった身体を癒すために、このファミレスに入ったはずだ。そんな男性の『疲労』のオーラが、上原さんの漂わせていた『恐怖』に染まったのだ。
(過剰さに歯止めが利かなくなって、伝染型になっているようだね)
「伝染型? そんなのにもなるのか」
(絵の具の黒のようなものさ。どんな色でも黒を混ぜれば、黒にしかならないあの原理。決して抗えないのさ。黒の絵の具にはさ。しかし、こうしちゃいられないよ、こりゃ)
男性はオーダーを簡潔に済ますと、上原さんは、ささっとその場を離れる。
上原さんが視界から消えたのを確認し、男性は俯いてため息をついた。なにやら様子がおかしい。俺はもう一度オーラをよく見る。そこであることに気づいた。
「なあリラ。伝染しても症状が一緒とはかぎるのか」
(かぎらないだろうね、オーラはその人の心境から来ているんだからね。その人がどんなに感染者の心境に近くても、多少の差異はある)
「それでだな。あの男性のオーラ。『恐怖』と酷似しているが、わずかに色が濃い。あれは――『罪悪感』だ」
俺がそう告げる。するとリラは目を細めた。(なるほどね。で、どうするんだい)リラのどうするんだい、とは無論、俺が説得するのか、ってことだ。
「怖いがここで引くわけにはいかないだろ。もちろんやる。そして――説得してみせる」
俺の返答を聞いて、リラは襟元から首にかけている銀色の十字架を取りだした。
次回、初のオーラ召喚の目撃と、州は二度目のオーラとなり、納得を試みます。お楽しみを。




