3-8
次の日の土曜日。俺はある目的のため、いつもより早く学校に登校した。
カバンをさっさと机横のフックにかけて、脇目も振らずに教室から出ていく。
行き先は、久三野臨が在籍する一年生の教室だ――。
昨晩、新樹と家の前で別れ、帰ると携帯が鳴った。メールの差出人はコウからで、『久三野くんに問題はなかった。連絡を取る素振りもなく、共犯の線もないね』という内容だった。
バスの搭乗時間の同時刻に、上原さんの帰り道とは反対方向へ帰っていったらしい。視野にあった共犯の線は消えた。これで久三野が容疑者から完全にはずれることになる。てことは、犯人はまったくの第三者、もしくは……。
それはいいとして、久三野のところに行く理由は、少しストーカーとは関係ない。上原さんから聞けなかった情報を求めて、べつの目的で行動を取っている。
新樹が気にかけていた二人に距離ができた理由だ。余計なお節介かもしれない。けど、俺も惹かれあう二人をこのままにするのは、あまりにも不幸な気がしていた。
もしかすると、ストーカーの件の糸口を掴める可能性も秘められている。それも兼ねてだ。
ではなぜ俺が赴くのか――。理由として、久三野から話を聞きだすのにコウは顔を知られているだろうし、新樹に行かせるのもためらわれた。なら俺が行くしかない、と。
ただし俺だと気づかれなければ、の話だが。一年生で俺の顔を知っている者は極わずかか、もしかしたらいない。だいじょうぶだとは思う。
「けっこういるな」一年生の教室に足を運ぶと、朝から暑いというのに賑わっていた。さっそく教室を覗くが、そこであることに気づいた。
「まずいな。久三野の顔憶えてない……。昨日は遠目だったし」
時間も余裕もない。自力は諦め、たまたまドア付近の席にいた黒髪の女子生徒に尋ねる。「すまんが、久三野臨ってここのクラスにいるか?」後ろから声をかけたため、顔だけ振り返り「はい?」と平坦な喋りで、俺の顔を覗きこむように凝視してきた。
なんだ、と思うが、我の強そうな吊り上がった目。振り返ったときに乱れた、床にまで届きそうな長い黒髪が印象深さをつける。よく見るとかなり小柄な女子だ。身長は一五〇ないぐらいだろうか。
おまけにだ。自身をそのまま表したかのように、オーラも独特の雰囲気の色を出している。灰色だが、水に濡れたコンクリートみたいに濃い。なんだっけ、この色は……。
「久三野臨という男子生徒をさがしてるんだ。ここのクラスじゃないか?」
一年生は全部で六クラスある。手当たり次第で訊いていくしか方法がない。女子生徒は、ムスッとした表情で、「ふん……」と苦虫を噛み潰したような顔で、
「くさの……わたしは存じあげ――」
「あの、おれになにか用ですか?」
女子生徒の言葉を遮り、こっちに歩いてきたのは、しなっとした、一言でたとえれば「もやし」のような男子生徒だった。
「キミが久三野臨か?」俺が確認する。男子生徒は、なにかビビッているふうに、「そうですけど」と答えた。
「何点か訊きたいことがあるんだ。今いいか」
「まぁいいですけど……」
久三野を引き連れようとしたときに不意に思いだし、女子生徒にお礼を言うと、ガン無視された。そういえば、なんで『存じあげません』と言おうとしたのだろうか。人見知りで説明するのが、イヤだったのか、とはいえ不思議な少女だった。
無視されるのには耐性はある。そのまま久三野を階段に連れていき、並んで腰を下ろす。
「何事ですか?」
久三野は、びくびくして俺と顔を合わせない。俺ってそんなに怖い顔してたっけ?
多分、人と顔を合わせるのが苦手なんだな、そう思い、俺は切りだした。
「上原いづみ――」
名を口に出した途端、おぼつかなかった手足の動きがピタッと止まった。そして、目をこっちに向けて顔を強張らせる。
「知ってるよな」
「いづみがなんですか?」
今までの動揺が嘘のように、口調が平坦で冷静さが帯びていた。
「上原さんが今、ストーカーに悩まされているのを知っているか?」
さりげなく告げると、オーラに変化が表れる。久三野は鬼の形相で俺の顔に睨みを利かせて、怒号を飛ばす。すぐにでも掴みかかってきそうだ。久三野のオーラは生きていない――ひとつ目の確認が取れた。
「なンすか! おれが犯人とでも言いたいんすかッ!」
「気を荒立てないでくれ。違う、久三野、お前が犯人じゃないのは証明されている」
熟成したリンゴのような赤いオーラ――『怒り』が迫ってくる。
動じている場合じゃない。俺は態度を維持して返答する。久三野は、むしゃくしゃしている様子で、「じゃあ、なンすか」とだんだんと、目の色と俺への対応が苛立ちに変わっていく。さっきのビクついた対応はいったいなんだったのか。
「ストーカーともうひとつ。上原さんが男性恐怖症を患っているのは久三野、お前でもわかっているはずだ」
「ぐっ……そんなことまで……」
これには久三野も、よほど触れられたくなかったのか。「結局、それっすか」と苛立ちを消沈させて、急に元気がなくなる。
喜怒哀楽の激しいオーラがもやもやしていて、色が定着しなくなっていく。
「ここで直球に尋ねるが、久三野――お前と上原さんの男性恐怖症は、関係してるのか」
俺は一気に切りこむ。怖いものなどない。久三野は、肘をついて話す。
「たしかに、いづみに男性恐怖症を植えつけた直接的な原因を作ってしまったのは、ほかでもないおれです。でも、なんでかは言えません。個人的な理由なので」
「無理に訊こうとは思っていないから、無理なら無理でいいんだ。俺にもそんなのひとつや二つあるからな」
久三野は「すんません」と謝り、「それと」を据えて俺に尋ねた。
「いづみがストーカー被害に遭っているって、どういうことっすか」
真剣な眼差しに、俺は知っているかぎりの情報を話した。




