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エンディング

作者: G

「何か文句ある?」



そんな風に先に言われてしまうと、後に残される方はなんて言えばいいのだろう。








エンディング









彼は横目で見た。

そこには、冷ややかなオーラを放つ彼女の存在。

そんな彼女の姿を伺いながら、真っ白な壁に馴染んでしまっている傷を見ていた。

ここは外の明るい空気とは全く真逆の場所のようだった。

耳障りな声を聞いているときに感じるような頭の痛さ。

いや、それよりも今この状況の方が辛い。


だけど、ここで逃げるわけにはいかなかった。


ああ、もうすぐ春だというのに、真昼間だと言うのに何故ここだけはこんなにも寒いのだろうか、と彼は不意に意味もなく思った。



「何か言いなさいよ」



彼女が未だ口を尖らして言っている。

ぼんやりする視界に、耳鳴りがやまない。

この部屋に来てから、数分、数十分、どれほどの時間が経っていたのだろう。

部屋の空気も彼女が纏う空気も変わることもなく、ただ冷たい風だけを自分に伝えていた。

まるで、全てが夢のような感覚だ。

そうだ、夢ならばいい。



「何か言いなさいよ」



一体、この状況下でどんな言葉を発することが正解なのだろう。


未だ要領を得た会話にはならない。

バカの一つ覚えのように先ほどから同じ事ばかり言っているさ彼女に何故だか違和感を感じて、傷のあった壁から視線をはずした。

ここから彼女の顔は見えなかった。

見えたのは、ただの真っ黒な彼女の長い髪だけで、仕方なく、ただ汚れている床を見下ろしていた。


俺は顔の見えない彼女の後ろ姿を見てから、短く息を吸った。

そして、また短く息を吐く。

簡単なその生きるために必要な動作が、今では若干困難になってきていることを途方もなく知る。


ここは、息苦しい。

海の中にもぐっているような感覚

こんなところで溺れるはずがないのに、何故か足掻いているよな感覚。

果たして嘘なのだろうか、夢なのだろうか。本当なのだろうか。現実か?



「何で、あんたは何にも言ってくれないの?」



きっと、俺の思考回路は停止しているんだ。


何かが弾けたように、彼女の声は先ほどとは全く違った細い声。

確かに口はまだ尖っているのに。

震えた声色は向こう側の壁までは辿り着かず、やっと聞こえる程度の小さな声だった。

それが、どれもいつもの彼女とはかけ離れていて、余計に現実からさよならしていった。



ガンガン、と風が窓を強く叩く音が重い空気に振動してる。

今日はどうやら風が強いらしい。

ああ、台風が近づいているのか、それとも明日はきっと雨が降るのだろうか。


いつもなら考えない事も、くだらない事ばかりが頭の中に浮かんでくる。



正直、彼はこの状況に自分は必要されているのかと疑問に思う。

だが、思っていても口には出せなかった。

今日はいつもと変わらない、ありふれた朝だった。

それが、今、世界が180度変わったかのように違う。



俺は彼女に何かを求められている。

彼女は俺に何かを求めている。


未だ嘗てありえなかったことだ。



「何か言ってよ・・・!」



今度は、はっきりとその声が部屋に響いた。

だけど、部屋に響くのは依然、彼女の声だけで、彼は何も答えなかった。


ただ、漠然とそこにいるだけで

存在さえしていないかのように、ただただ、そこにいただけだった。

そして、今、彼が見ていたのは馴染んでしまった古い壁の傷ではなくて、床に落ちていく無数の涙


友と楽しそうに話す声

意地悪している時に笑う声

お菓子をねだる声

微笑みかける優しい声


どれも、今の彼女の声とは違っていた。

彼女に何が起こったのか。


言われなくても分かっているだけど、どうすればいいのか、彼には分からなかった。

思考回路が全て壊され、潰れてしまった今ではもう考える頭などない。


同じ態勢を保ったまま右腕だけを上に上げる。

ポキっという何とも間抜けな音。

この重い部屋の中で笑いが出てしまうほどに場違いな間抜けな音が、右腕の関節から聞こえた。

感覚が麻痺している。

きっと、自分の腕から聞こえたものなのに、実感がわかない。


それならば、いっそのこと、折れてしまえばよかったのに。


ああ、何を考えているのだろう。

自分は今とても可笑しい考えをしてしまっている。

うっすらぼやけている視界に、外からの風に殴られて悲鳴を上げ続ける窓の音



彼は、目の前にある黒い髪に上げた右腕をそのまま伸ばした。

だけど、数センチわずかに届かず、宙を掴み、そのまま腕を自分の元へ戻す。

見ればその指先は霜焼けになったみたいに赤くなっていた。

頬に指をつけても、全身が熱を持っていないようで、全く冷たさを感じなかった。



「ねぇ、何で私と付き合ってるの?」



彼女が自分の目の前に姿を現したのは1時間ほど前だ。

その時間もの間、一体、何をしていたのだろう。

思い出そうとしても思い出せない。

一昨日の晩御飯のメニューは思い出せるのに、これだけは無理だった。


頭の中に浮かんでくるのは毎日のように自分に向かって怒っている彼女の姿



だけど、もう壊れてしまったのだ。



「私が誰と寝ても何にも言わないんだ、アンタは」



耳から入って耳から通り抜けると言うことはこういう事なのか。

自分に向けられている言葉なのに、何故か他人事のように思えてくる。



一言も答えない、答えようとしない男から漂う匂いが彼女の鼻を掠めた。

それが昨日の匂いと全く違うもので、悲しみも怒りも、もう何の感情も湧いてこなくなったことに絶望する。

愛している、その対に位置するのは、無関心。

まだ、怒りが湧いてくるうちは愛しているからなのだ。

だが、それがなくなってしまったのなら、それは・・・




慣れてしまった鬱陶しい香水の匂い、彼女に向かって嘲笑う他の女の顔。

そして、彼への怒り



もう、限界だった。

救いなど逃げ道などどこにもない。

何度も裏切られて、涙して、だけどその内、涙を流すことも怒ることすらも無駄なことに思えてきた。



「お願いだから、何か言ってよ」



彼女にとっては、これは、ただの仕返しのつもりだった。

毎日、毎日。見せ付けるように他の女を抱く彼に、自分がまるで壊されていく感覚。見下され、バカにされ、侮辱されているような痛み。

もし、自分が他の誰かに抱かれたとすれば、彼は怒るだろうか、そう考えたのがきっかけ。


ああ、結果など、分かりきっていたのに。

出来れば、怒ってほしかった、そしたらまだ戻れたのに。



付き合い始めた頃は、思いもしなかった。

思えるはずがなかった。



友達としか見られていないと思っていた彼に「好きだ」と言われた時の、あの嬉しさ。

それが、ここまで彼女を耐えさせていた。



真剣な表情に真っ直ぐな目。

確かにあの時の彼の目には彼女が映っていた。

でも、今は何も見えない。誰の姿を映しているの?



終わりを告げる引き金が、彼女の頭の中で確実に引かれた。



「もう、疲れたよ」



そういえば台風が来ると、誰かが言っていた。

窓を無差別に殴る風が狂気的で、あの風に当たってしまうと、即死するんじゃないかと彼女は思った。

それなのに、外は明るく天気はムカつくほどに爽やかだ。

そして、無邪気な子どもの明るい楽しそうな声が外から聞こえる。


頬を伝い、落ちた水は、もう床にしみこんで乾いていた。この涙も消えていくのだ。、

もう、今後、彼女の両の目からあふれ出し、頬を伝うものはないだろう。


彼にはもう、どうすることも出来なくなっていた。

最初から、こうなる事を知っていた。知っていたが、変えようとも思わなかった。


ああ、違う。

決して、それが自分の手元から無くならないと思い込んでいただけなのかもしれない。

苦痛だけの関係に何が残るのだろうかなんて、何も残るはずないではないか。


いつからだなんて、聞かれても分からない。

こうなってしまったのは、誰でもない自分のせいだ。


だけど、彼女は気がついていない。どれ程、彼が彼女を好きだと言うことを。

彼の重すぎる愛を、彼以外で知っているのは、たった一人の親友だけだろう。



最初はそう、ただの他愛もない嫉妬だった。

子供みたいなバカな嫉妬に踊らされているのは分かっていたし、くだらないことだと思っていた。

だけど、仕方がなかった。

その汚い感情を抑えられず、彼女を傷つけてしまっていた。


いつまでも、ぐちゃぐちゃに絡まったその感情たちが抑えられない。

図体だけが立派に育ち、心はそれについて行けず、まだ我侭な子供のままだったのだ。



冷たかったソファーが、今では自分の重みをくっきりと形どり、体温を分け与えたせいで温かかった。

黒い長い髪の間から、微かに赤い唇と真っ白な頬が見え、思わず小さく喉が鳴る。

小さな体が余計に小さく見えて、震えている彼女の体の振動が冷たい空気を振動して伝わってくる。

何故か、その震えを抱きしめてとめてあげたいと思ってしまったのは、愛しているからだ。

彼女の前では理性など、意味をなしていない。



ああ、とても喉が渇く。その熱を欲している。



極寒のような寒さだ。

まるで、1人きりのような頼りなさ。


地球から何億光年も離れた場所にいるような

吹雪の中にひとり遭難してしまったような、そんな孤独感

もしかしたら、このまま死んでしまうかもしれない。


非現実的な考えだ。

こんな所で死ぬ奴なんていないのに、現実逃避か、そう思えてしまう今に、何もかもが可笑しい。



ぼんやり見ていた赤い唇は確かにまた動き出す。

耳鳴りがやまない。

金縛りにあっているかのように体は動かない。



全ては最初から分かっていた。



「もう別れよう」



重い空気が鋭い悲鳴を上げて切り裂かれた。

目の前から黒い影が消え、冷たいものが全身を、部屋全体を、包み込む。



そして、硬直していた彼の冷たい体が、痙攣したかのようにビクンと、震えて、それを隠すように必死でその切り裂かれた境目を目つめる。

その境目には、顔をこちらに向けた彼女がいた。


その刹那、彼女は狂気的な風に殴られ続けていた窓を思いっきり開けた。

風の暴力から窓を開け放った。助け出す。


狂気的な風は、今度は部屋に彼を標的にしだした。

恐ろしい音を立てながら部屋に流れ込んできて彼の身体を突き刺す。

息が出来ないほどに、体が窒息寸前だ。

倒れそうになった。



彼女は自分を殺す気なのかもしれない。



「もう終わり」



冷たい弾むような声が頭の中に響き渡る。

彼女が今、自分を見て笑っている。そんな気がしたのだ。

狂気的な風に任せ、憎み続けた彼を殺す。

意図も簡単に。


それならば、お望みどおりに殺されやろう


バカげた人間の意地なのか、それとも最後の彼女への償いか、愛だったのか。

そんな事を思いながら、彼は何ヶ月ぶりかと言えるほど、久しぶりに真っ直ぐに彼女の瞳を真っすぐと見つめ返した。



「俺は愛している」



自分の喉から絞り込むようにして出て来た声は何とも情けなく、小さすぎる声だった。

そして、その声は、風の妨害によって、相手には届いていないだろう。



「ねえ、私の事好きだった・・?」



笑っていると思っていた彼女の顔は、何故か涙でぐちゃぐちゃで、小刻みに体は震えていて、予想外だった。

彼は突き刺さる風も忘れて目を見開き吃驚する。

だけど、それが愛しくて、愛しくて、可哀想で、どうしようもなかった。煮え滾る体が熱を持つ。



彼女の泣き顔を、真正面からまじまじと見るのは初めてだったような気がした。

いや、いつも彼女は泣き顔を見つめられるのが嫌で顔を背けていたのだから。


そして、どんなに他の女と一緒にいても、キスをしていても、彼女は怒鳴るばかりで自分の前で泣かなかった。それが彼女の精一杯の強がりで本当は平気ではなかったなんて、彼は知らない。自分を守る術だったなんて気づくこともなかった。




そして、知ったとき。

彼女が何かある度に、アイツのところへ行って涙を流し、弱みを見せていたことを知ったとき、どうしようもなく裏切られたと感じた。

彼女からすれば、相談に乗ってもらっていただけだろう。だが、彼には、それさえ許すことなどできなかった。

どれ程の汚い感情が生まれただろう。

思い出しただけで吐き気がした。嫌悪した。全てに。

何故、自分ではなくて奴に、アイツの所へと行ってしまうのか。



だけど、全ては終わりに近づいていたのだと、今更ながら頭のどこか隅で悟る。



「私、あの人と付き合うことにしたの」



吹きつける風によって、下に落ちず、飛んでいく涙が、微かに彼に届いた。

頭で考えるよりも先に動いていたのは体で、嫉妬心がまたふつふつと湧き上がっているのを感じた。



なんて残酷だ。



嫉妬した相手が自分の親友だなんて、憎くて殺したいほどに思うなんて、この世の中は恐ろしい。



「あなたの親友と寝た」と言って来た瞬間、本気で心臓が停止したようだった。

すべての動きが止まってしまった。

彼女は気がついているのだろうか。


今までにない感情。

狂気的なこの風にも似た己の激情、そして滾る劣情。



何か言え?

言うことが見つからないんじゃない。

言うことがあり過ぎて何から言えばいいのか分からない。

きっと、自分は友さえも、この汚い感情で殺してしまうだろう。


本当は自分だけしか必要としてほしくなかっただけだ。

やるせない気持ちをぶつける場所が彼にはなかった。そして、最悪の行為をしてしまっていることを、彼自身も分かっていたが止められなかった。抑えられなかった。彼女に思いのたけをぶつけてしまえるほど、強くもなく、大人でもなかったのである。



ああ、どれだけ傷つけ傷つけられたら良いのだろう。



ぼんやりしていた思考回路が突き刺さる風で目覚めていく。

たった数メートルの距離なのに何故か無性に遠くに感じて歯痒い。



絶えず涙が流れている彼女の腕を力強く掴んで壁際に無理やり押し込む。

彼女の顔が、痛みで歪んでいるがそんなこと気にしてはいられなかった。




「愛している」



それが、唯一の真実

彼女には、真っ直ぐに自分を見る彼の目が、あの時と同じ真剣な目と愛の言葉を思い立たせた。

そして、怖いぐらいな狂気的な、劣情を孕んだ目



けれど・・・それでも。どれ程に足掻いても、失ったものは返らない。

どこまで、自分は堕ちてしまったのだろう。


痛みを、嘲笑う。





未だに、部屋の中に流れ込む狂気的な風




その風が生む音の中で微かに



「もう、遅い」と



聞こえた気がした。






ただ1つ、返らないもの

彼女の目に彼は映っていなかった。










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