第102話:家族との記憶
家に帰ると、美味しそうなカレーの匂いが漂ってきた。
キッチンスペースがつながっているリビングの食卓へ向かうと、すでに父母妹の3人で食事を始めていた。
「あら、遅かったわね。亮太の帰りがいつもより遅かったから、先に食べ始めてたのよ」
「亮太、デートだったのか?」
「お兄ちゃん、気をつけたほうがいいよ。すぐに悪い女に引っかかりそうだから」
「別にデートじゃない、ただ友達と遊んできただけで……」
実際、今日のはデートではないと思う。まだ付き合ってないし。
「あははっ、お兄ちゃん顔赤くなってるよ!」
「なってない!」
これ以上追求されては敵わないと、一旦自室へ撤退した。
自室で制服から部屋着に着替え、リビングへ向かった。
俺が夕ご飯を食べ始める頃には、みんなはもう食べ終わり、ソファに座ってお笑い番組を見て笑っていた。
何気ない日常の一コマにとてつもなく幸せを感じた。もちろん、彼女のことも含めてだ。
「なんだか幸せだなぁ。こんな日々が続くといいな」
自然と言葉が口からこぼれた。
よほど心底からそう思っていたのだろう。
続けてカレーをもう一口食べていると、突然リビングが静かになった。
テレビの芸人がよほど滑ったのかと思い、画面の方を向いたがそんなことはなさそうだ。
「みんな静まってどうした?」
尋ねると、父がテレビ画面から俺の方へ向き直った。
「お前はこんなところでのほほんとしていていいのか?」
「急にどうしたの??」
父の質問の意味がわからなかった。俺は普段通り普通にしているだけだ。
「あなたにはやるべきことが残ってるんじゃないの?」
「だから意味がわからない!」
母まで意味不明なことを言い出す。
「お兄ちゃんはこんなとこにいちゃいけないよ」
「お前までどうした?」
しまいには妹までがわけのわからないことを言い出す始末。
「みんなどうしたんだよ⁉︎」
俺が日常を幸せに思ってはいけないのだろうか。
日常を謳歌してはいけないのだろうか……。
「ほら、しっかりしろ」
何がなんなのかわからず、呆然としている俺の背中を父がトンと叩いた。
「お前なら必ずやれる。お前は自慢の息子だ。父さんたちはお前をずっと見守ってるからな!」
「そうよ、現実では辛いことが待ってるかもしれないけれど、それを乗り越えないと」
2人はそう言い終えると、またテレビを見始めた。
俺が話しかけても普段通りの対応をしてくる。先ほどの発言の意味を聞こうとしても全く答えてくれなかった。
食事が終わり、2人の言葉の真意もわからぬまま、俺はベットに横になった。
頭が混乱した時はさっさと寝るのが一番だ。
◇翌朝◇
カーテンを開けると、まだ日が昇る前なので薄明るかった。
いつもより早く寝たせいか、今日は早く起きたようだ。
階段を下りリビングに向かうと、朝食を作っている母と新聞を読んでいる父がいた。
「あら、今日は早いわね」
「うん、昨日早く寝たから」
2人は昨日のことには一切触れなかった。
何事もなくいつもの朝を過ごし、今日は妹と一緒の時間に家を出た。
ただ一ついつもと違うと思うことがあるとすれば、それは両親がわざわざ玄関まで来て見送りをしたことだった。母は涙を流しながら、父は「がんばれよ」と激励するように手を振った。
2人に手を振り返し、俺と妹は歩き始めた。
「なんか、2人とも変だったよな!」
笑い話のように妹に話しかけたのだが、その妹も両親同様に目に涙を浮かべていた。
「お前、どうしたんだよ」
うつむいたまま、とぼとぼと歩く妹に何か泣かせることでもしたのかとあれこれ考えてみるが、俺にはそんなことした覚えは一切ない。
妹は口を開くことなく、家を出て最初の分かれ道まで来てしまった。ここから俺の高校ヘ向かう道と妹の中学校へと向かう道に分かれている。
妹は何も話しそうにないので、「じゃあな」と一言だけいい、分かれ道の一方の道へと歩み始めた時、妹が一言口を開いたのだ。
「待って」
かなり小さな声だったけれど、俺はそれを聞き逃さなかった。
俺が振り向くと、うつむいていた妹はまっすぐに俺の眼を見ていた。
「私もお兄ちゃんに伝えなきゃいけない」
「何を?」
涙を拭い、妹は話し始めた。
俺も妹の話を真剣に聞こうと、妹の顔を見つめた。
「両親にはもう会えないから私も泣いちゃった」
「ちょっとまて、もう会えないってどういうことだよ?」
「お兄ちゃん、早く目を覚まして!」
「は? 言ってる意味がさっぱりなんだが」
妹が昨日のようなことを言い出した。相変わらず俺にはさっぱり意味がわからない。
「私もお兄ちゃんにはもう会えないかもしれない、だけどずっとお兄ちゃんの味方だから」
「お、おう。ありがとう」
「お兄ちゃんはもう私のことなんか忘れてるかもしれない。あんなに小さい時だから無理ないよね」
「……?」
「でも、お兄ちゃんも姿が変わっちゃったけど、一緒に暮らせてよかった。お兄ちゃんは容姿はもちろん可愛いし、恋で悩んでるところも可愛いし、恥ずかしがってるとこも可愛かった」
「なにを言ってるんだ?」
「お兄ちゃんのすべてがすごく素敵だった」
「お前、まさか⁉︎」
この、俺のことを全肯定してくれるような人物は1人しか知らない。
どんな時でも俺を支えてくれて優しく寄り添ってくれた少女だ。俺が女になって不安だった時に突然現れたその少女は自分の過去を記憶がないと言って語ってくれなかった。
「お兄ちゃんは私のことは覚えていないだろうから、妹としては関われなかったし、これまでの空いてしまった時間を全て埋められたかは分からない。だけど、私は幸せだった。」
俺の頭の中で1人の少女の顔が鮮明に映し出された。目の前の妹も雰囲気こそ違うが、よくよく顔を覗き込むと、その少女と同じ顔をしていた。
「お兄ちゃん、元気でね! 今までありがとう………ございます」
そよそよと優しい風が俺の頬を撫で、妹のセミロングの髪を揺らした。
「お前は………リリムだよな?」
妹は頬に涙をつたわせながら、ニコッと微笑んだ。
リリムの手を取ろうと、自分の手を伸ばしたが、優しげなそよ風は突如強烈な突風になり、遮られた。
思わず目をつむってしまい、再び開いた時にはそこには誰もいなかった。
「リリム……ありがとう。俺、全部思い出したよ」




