雲入道
1、
雲量ゼロ。
快晴の空の端には必ず、雲を啜る大入道がいる。
現代社会の授業を持て余した俺が窓に目をやると果たして、うまそうに雲を啜る好々爺の禿げ頭が見えた。片手には空色の椀、片手には空色の箸を持ち、履いた袴と同色の青い山々にどっかりと腰掛けている。椀の中で渦巻く雲は、今やもずく酢のように細く短くなっている。その爺さんは、それをずるずる啜っては口を動かし、満足そうにほうっと溜息を吐くのを繰り返していた。
いや、音までは流石に聞こえないが。
偶に口の端に付いた『めんつゆ』代わりの雨を拭うのだが、それも美味いようで、拭った指を舐める始末だ。お行儀が悪い。
大入道がふいと顔を上げた。食い終わったのかと思ったら、空に雲を見つけたようだ。空から直に箸でつまみ上げ、椀の中の雨にくぐらせてはまたもぐもぐやっている。
実に美味そうで、実に呑気だ。
心底羨ましいし、なんだったら腹の底から羨ましい。目の毒になるので、できれば三時間目の空腹ピーク時に現れないでほしかった。
「ぐぐぉぅーぐーぐるるぎゅるるっ」
「……」
自分でも何の怪物の鳴き声かと思うくらいの騒音だった。教室中の視線とさざ波のようなくすくす笑いを受けて、俺はへらっと笑ってみた。
「すンません、腹ぁ減っちまって」
途端、潜められていた笑い声がどっと大きくなった。
「もうちょい何とかならんかったのか、潟来。その、音というか……雄叫び?」
「ならばよいでしょう。二度とこいつにゃ吼えさせない」
また笑いが起こる。つまらないネタでも高校では笑ってもらえるからありがたい。ここでもう一度腹が鳴れば面白かろうが、生憎俺の腹はそんなに出来が良くないようだった。
中年の社会科教師は、俺の調子に合わせて「頼んだぜ、猛獣使いのカタライさん」と言って授業に戻った。ノリはいいが授業はつまらない。しかし生徒受けはいい。二年と数か月は世話になっている筈なのに、名前はまだ覚えられない。
俺はまた窓の外を眺めに戻った。大入道は丁度腹を満たしたらしく、盛大に寝そべって消え始めていた。頬を緩めて腹をさすり、その手ごと腹をすうすう上下させながら、ゆっくりと空気に溶ける。雲を食っている時よりも、こちらの顔の方が幸せそうに見えた。
授業が終わり、教室がごった返る。俺の机の横を通り過ぎる幾人もが「良かったな、昼になったぜ猛獣使い」と俺の頭をはたいて笑っていった。髪は長めにしているので、はたかれる度にばすんと濁った音がした。女子までもが「重ちゃんご飯食べたすぎでしょー」と頭をはたいていった。
ばすばすという音のラッシュが終わった頃合いを見て席を立つ。早く部室に行って、腹の中の獣に弁当を食わせねばならなかった。
読んでくださってありがとうございました。
初めましての方は初めまして。桂月と申します。
文体が少し読みづらくなっているかもしれませんが、意図してやってます。ただ、作者の意図とお粗末な文才がコラボして必要以上に読みづらいかもしれません。すみません。
主人公の名前は友達に貰いました。これから少しずつ進めていく予定です。もしよろしければ次回も読んでやってくださいm(__)m