9、消散する磁力
王雅は目の前の光景に驚きを完全に隠すことはできなかったが、すぐにそうした者へと視線を移した。
今回の敵、柿崎。
「誰だ!」
その柿崎が、何段にも続く階段の上でこちらを見下したながらこちらへと言い放った。その口調はそれこそ乱入者を疎外したいという色合いが含まれていたが、焦りや苛立ちといった類の感情は感じ取れなかった。
「そちらと戦闘している組織内の一人だが?」
「なら、ひれ伏せ!!」
そうして飛ばされてきたナイフを、王雅は紙一重でかわした。かなりの速度であることは、今この瞬間、体感したことによって実感していた。もし向こうがナイフを浮かせているのが見えなかったら、無傷には済まされなかっただろう。王雅が立ち上がると同時に、再びナイフが放たれる。王雅はそれらを回避しながら徐々に接近していた。それが一番手っ取り早いと考えたからだ。案の状、それは全く的を射ていないわけではなかった。
「王雅、奴は周辺磁力だ。一人でどうにかできる相手じゃない」
広の忠告を、王雅は背中で聞いた。周辺磁力。つまり、ここにひれ伏している全員が、向こうの磁力を持った何かに触れてしまったことによって、自身も磁力を帯び、床から動けなくなったということだろう。
「先輩。寧ろ逆ですよ」
王雅は広に背を向けたまま言い放って見せた。広含め、その言葉の意味を全員が図りかねていた。しかし、その言葉の意味に一番最初に気づいた広が、人が悪い笑みを見せた。
風音は、乱入時こそ苛立ちを覚えていなかったが、今現在、目の前の少年に対して非常に苛立ちを覚えていた。かわされるだけなら、何とも思わなかっただろう。それは他の者もある程度行って見せたのだ。だが、追尾されるはずのナイフが、全く追尾されずにただ床に直進していくのだ。
(何故・・・・・・曲がらない!)
風音は十本のナイフを自らの周囲に漂わせ、王雅と呼ばれた少年に狙いを定める。少年は大して動揺している様子は見せなかった。少年がその足を踏み出そうとすると同時に、風音は連続で十本のナイフを投げ始めた。
ナイフは連続投下されるが、少年はそれを紙一重でかわしていく。そして、十本目のナイフが王雅に命中した。首元をナイフが掠めるのを、風音ははっきりと確認した。
風音が安堵した直後に驚愕したのは、その時である。
王雅は、絶対に床にひれ伏したりはしていなかった。
首筋からは、極少量でも血が流れていることが、ナイフが当たった紛れもない証拠だ。だが、王雅は未だに立ち続けている。気力や根性といった非科学的なものでは絶対に不可能な時間、彼は立ち続けている。
「何故っ・・・・・・」
風音は自身から王雅に向けて磁力を飛ばした。だが、王雅は微動だにしない。ずっと立ち続けている。
「――何故っ!!」
「狼狽える前に考えたら、行動したらどうです?」
「・・・・・・っ!!」
風音が目を見開くと同時に王雅が左手をゆっくりと引いた。何かが襲いくる。そう直感的に悟った風音はナイフを自身の前方に展開した。襲い来た雷は、ナイフに直撃した。ナイフは雷の影響で磁力をなくし、床に金属音を立てて落ちた。
「このぉっ!!」
風音は十本のナイフを一気に放った。王雅は全く慌てる様子はなかった。
王雅が左手を突きだし、放たれたナイフを全て雷によって撃ち落す。ナイフは二人の間の階段に無残に散らばった。
「こちらの防御策を確信させてどうする」
そこで風音は初めて気づいた。先ほどこちらへ攻撃したあの雷は、こちらのナイフを撃ち落せるかどうかを確認するための実験とでも言うべき攻撃。
元より、雷などは磁力に積極的介入を行ってくる。電磁力。それは、この能力を使う風音にとって最も天敵とするものだった。最初に入ってきた少女は、まともに雷を撃たせる前に仕留めたからいいものの、こちらはそうもいかなかった。
「ハメたな・・・・・・!」
「あそこまでゆっくりとした予備動作、俺がするとでも思いました?」
風音はナイフを一気に漂わせた。その数は十や二十では済まない。いくら雷を放つとしても、そう簡単には全てを撃ち落すことはできないだろう。王雅は左手を突き出す。その時には風音はナイフを飛ばしていた。ナイフのうち十数本は撃ち落されるが、残りは未だ王雅へと向かっていた。
「春!! 今だ!!」
王雅が、捕えているはずの人質の名を叫んだのはその時だった。
王雅が叫ぶと同時に、春がドアの陰から姿を現し、柿崎をエネルギー弾で狙い撃った。それをまともに食らった風音は磁力を著しく狂わせた。王雅に向かっていたナイフの数本が制御を失って地面へとその切っ先を変える。それでもなお向かってきたナイフも、王雅が一撃で撃ち落すには少ない量だった。
「春はすでに解放済みだ」
その目には、得意げにしている目も、皮肉そうな目もなかった。
王雅の背後にいた広達は、体の自由が利いてくるのが感じられた。春が柿崎へと攻撃したことによって、広達自身に有った磁力制御ができなくなったために、広達は解放されたのだ。
復活した全員に向かって、柿崎が二本のナイフを構える。しかし、それは慎吾の空気圧縮弾と、春のエネルギー弾によって、柿崎の手から撥ねた。再び磁力制御を行おうとした柿崎に向かって、由衣が雷を直線的に放ち、磁力制御を失う。
そこに将の銃弾が飛んでいき、柿崎の両足それぞれを貫通すると同時に清司が背面の触手で両肩を抑え、そこにものすごい速さで階段を駆け上った貞晴が躍り出る。まともな応戦もできぬまま、その顔面を盛大なまでに蹴り飛ばされる。宙を回転する柿崎に、広が追いつき、床へと叩きつける。
全員が距離を取ると同時に、柿崎は磁力を再生させた。その時すでに、王雅は階段を上り始めていた。貞晴のように何段も飛ばすようなことはできないが、二段程度なら軽々と飛ばしていた。
「私の磁力結界に侵入すれば、お前はもう、どうにもできない!」
柿崎は自嘲気味に笑って見せた。自分が危機的状況に陥ってることによって理性が崩壊し始めているようだ。
「それでも来るか!」
「それでも行く!」
王雅は上るその足を止めようとはしなかった。そして、最後の階段を踏みしめると同時に、左手で拳を作った。
「あんたはホントは、こんなことする人間じゃないはずだ!」
「何故・・・・・・何故磁力制御されない!」
王雅はそのまま左手を突き出す。雷を纏った左拳が柿崎の腹部を直撃する。柿崎の磁力制御は一瞬なくなるが、すぐに再生させてくる。
柿崎はそばにあったナイフを拾い上げると、磁力を制御せず、直接近接戦を挑んできた。
「そうでなきゃ、侵入者に決定打を与えないわけがない! あんたの攻撃は全てが対象に掠らせるだけ。殺そうとはしない!」
「うぉぉぉぉっ!!」
柿崎は発狂して王雅にその切っ先を向けた。その刃は、王雅の顔面に真っ直ぐ向かっていた。王雅はその刃を頭を傾げてかわすと、そのまま右拳を握りしめた。
「あんたは、本当は優しい人間のはずだ」
刃が王雅の髪の毛の先をわずかに切断する。近づいた耳に、王雅はそっとつぶやくと同時に、炎を纏わせた右手を握りしめる。
そして左足を踏み出し、右拳を柿崎の腹部へと突き出した。
五月。柿崎組の一件から、二週間ほど経ち、王雅を始め、一年勢はようやく部活に慣れ始めた。
部活、と一口に言っても、他の部活と決定的に違うのは、実際に活動するのが不定期すぎるということだろう。一週間連続で活動することもあれば、逆に何日もただ部室にいるだけ、という日もないわけではなかった。
広は毎日ガミガミと言葉で攻め立ててくる由衣をなだめ、将は相変わらず自身の使う武器の整備を行い、茂を始めとするバックップチームは、介入対象を見つけるために、一日として休みがなかった。正確には、茂だけが休みがない。その他の女子は毎日一人ずつ休みを取っている。さすがに何かあった時は全員が出ているが。
ただ一人、貞晴は来たり来なかったりと不真面目そのものだったが、広も「いつものことだ」と割り切って、特に気にしてはいなかった。
あの一件の翌日、学園平和維持執行部隊の執拗なまでの説教を浴びせられたらしいが、王雅自身は別に何もなかったので、慰めも同情しなかった(説教されたのは代表者、つまりは広と由衣だからだ)。
「オリオン会?」
ゴールデンウィークに入る直前、そのような単語が、都市事件解決専門部へ流れ込んできた。情報を掴んだのは、休みなしの情報収集担当の茂だ。
「柿崎組を始めとする、各不良グループを裏で束ねているリボットの組織だ。表面上は、冬星会という、大手リボット管理会社だが」
「冬星グループは俺も聞いたことはある。根拠はあるか?」
広は茂に問いただした。茂はその表情を変えなかった。元より、根拠のない情報をわざわざ持ち出して来たりはしない。よっぽどな情報でない限りは。
「一年前、柿崎や船原といった、各組の頭首が頻繁にここに出入りする映像が取れている」
一年前、冬星会は「TOSEI」という名で、リボット管理業界へと乗り込んだ。それまでにも、リボット管理会社は、いくつかあった。
リボット管理会社は、各リボットの情報を収集、管理することによって、さまざまな場所での行動制限を減少させることができる。民間会社でも国営の工場でも、このシステムを必須としており、この管理システムに組み込まれていないリボットは、いくら優秀な人材であっても取り入れることはない。この管理システムが生まれてから、政府がリボット管理会社への登録を法律化したことも、その要因の一つなのだが。
現在――少なくとも日本では――中学生未満のリボットを認めていない。逆に、中学生扱いとなる四月一日以降は、リボットが急激に増える――一部の人間からは「繁殖期」と呼ばれている――こともあり、情報が錯綜しやすくなっている。
柿崎達が出入りしていたのは、TOSEIが登場した四月一日から、つまり繁殖期の時から、そのほとぼりが冷めるまでの約一週間だ。
「表向きには、冬星会が巨大コンピュータによって情報を管理しているが、裏ではオリオン会による情報改竄、漏洩を目的とした別の巨大コンピュータが置かれている」
「また何でそんなことを・・・・・・」
清司の当たり前のような質問を、茂が何気ない顔で返したのは、根拠と彼自身の性格ゆえだろう。
「その方が儲かるからだ。いつの時代でもそうだが、表の仕事より裏の汚い仕事の方が、その価値も高いんだよ」
「とりあえず、そのコンピュータをぶっ飛ばせばいいんでしょ?」
茂の説明に、由衣が割り込んできた。確かに、簡単に簡潔に言えばそれが一番の答えだ。だが、事態はそんなに単純ではなかった。
「オリオンコンピュータと呼ばれる改竄用の裏のコンピュータと、表のTOSEIコンピュータはつながっている。もし、ただオリオンコンピュータだけを破壊し、データを全破壊すれば、表のコンピュータも破壊される。そうなれば、俺たちはただの犯罪者だ」
「不良グループ壊滅させている時点で準犯罪者みたいなものじゃない」
ちょくちょく口を挟んでくる由衣をなるべく気に留めないように、茂なりに努力しているのが、真正面に彼の顔を捉えていた王雅は気づいていた。
「オリオンコンピュータだけを破壊するには、まず表側、裏側共にデータのバックアップを取り、表のコンピュータの電源を落とし、裏との接続を切ったうえで破壊しなければならない」
「ややこしいな・・・・・・」
「ややこしいぞ」
王雅は、ややこしいというよりは、面倒くさいというのが率直な感想だった。茂の情報が誤ったものであることは、少なくとも王雅が入学してから一度としてなかったが、もしこれが間違った情報(たとえば、その裏のコンピュータは単なるバックアップ用データである、等)なら、世間的に見てまずいことになるのは明白だ。退学で済めばいい方だろう。
「オリオン会には、巨人九星と言われる、九人の守り手がいたらしい」
「いた・・・・・・ということは」
王雅の疑問は的中していたようで、茂が王雅に向かって頷いて見せると、それに関して話を続ける。
「巨人九星は、各グループの頭首が務めているが、その九人のうち、五人はすでに撃破済みだ」
「五人・・・・・・ですか」
「『メイサ・船原海樹』、『ハチサ・木原愛沙』、『サイフ・佐渡標』、『アルニタク・新田河瀬』そして、先月の『アルニラム・柿崎風音』」
「残りは、四人、ということですね」
春が茂に確認するように言葉を紡いだ。茂はそれに対して一回頷いただけでそれ以上の春に対する言葉を発しなかった。
「下から上げていけば、『ミンタカ・南夢沙織』、『ベラトリクス・五陸リン』、『リゲル・豪霧来輪』、そして、頂点に君臨する『ベテルギウス・月影吹雪』」
茂が今読み上げた九人の名前につく別名は、能力名、というわけではなく、実際のオリオン座を構成する恒星の名だ。月影吹雪の別名、ベテルギウスは、オリオン座を形成する恒星の中で唯一、赤く輝く赤色巨星だ。それは、やはり頂点ということを分かりやすく示したものなのだろう、と王雅は考えていた。
「敵の所持能力は分かりますか」
王雅の質問に、茂は苦い顔一つせずその能力名の情報が入力された状態のページを開いた。
「四人はそれぞれ能力が全く異なっている。南夢は硬化肉体。これは広の硬化鉄拳の全身型と考えればいい」
茂が、「硬化鉄拳の上位型」と言わないのには、理由がある。
硬化肉体は、拳の防御力、攻撃力の劇的な上昇を行う硬化鉄拳と違い、全身の防御力こそあげることができても、それは硬化鉄拳の防御力に劣るものであり、攻撃への転用ができない、というのがある。
「南夢は硬化肉体の欠点を補うために、長槍内臓も併用している」
「腕の中に内臓された槍を掌から出現させる、武装内蔵型の能力か・・・・・・」
広の言葉は、重くこそなかったが、決して軽いものではにことを、王雅は考えていた。
「五陸は両翼多針」
「清司と同じ武装追加型か・・・・・・」
「豪霧は腕に刃を内臓している両腕隠刃。
そして月影だが・・・・・・」
そこで茂が言葉を濁した。その意味を、茂を除いた全員はすぐには理解することはできなかった。
「月影の情報は皆無だ」
その一言は、その場の全員を凍らせた直後に驚愕の炎に包まれた。
「情報が・・・・・・ない?」
「月影組自体、表には出てこない組織だ。そのトップの情報が全くなくても不思議はないだろ」
茂の言うとおり、別の組は、それぞれ、何かしらの悪事なり活動情報が入ってくることがあるが、月影組はその活動情報すら入ってこないのだ。恐らくその活動のほとんどは影での工作活動、というのが茂の見解だった。
「とにかくそれも、オリオンコンピュータを潰せばいいんだな」
「まぁ、そういうことだな」
元より、そんな悲観的な――吹雪に関する情報がないという――情報を聞く前から、全員の意思は決まっていた。
広が結論づけた言葉に、茂がアメをくわえたまま人の悪い笑みを浮かべた。