7、加速体術
貞晴と将の前に立ちはだかった能生人に、二人は言葉の通り、劣勢に立たされていた。向こうは何か特殊すぎる能力を持っているわけではない。むしろ、ここまでで能力という能力らしいものを未だに使ってきていないのだ。将は目の前で貞晴を圧倒し続ける能生人に向かって銃弾を発射する。しかし、向こうはその銃口を見切って鮮やかに回避してみせる。
「どうした? 掠りもしないぞ」
能生人が余裕の表情を見せてきたが、その顔は、決して笑ったりはしなかった。
笑えないほどに、粗すぎる射撃、と取っているのだろう、という勝手な判断を将は自分自身に下した。精密射撃の能力を持ち得ながら、ここまで一発として相手の体を捉えてはいなかった。
「てんめぇ・・・・・・」
貞晴が怒りに激昂しながら能生人へと接近するが、能生人はその貞晴の足を軽々と掴んで見せると、再び振り回し始めた。
(今なら・・・・・・)
そう思って銃口を能生人に向けようとしたとき、能生人はこちらを見てわずかな笑みを見せた。
「誤射しても知らないぞ?」
不敵な笑みだな、と将は内心そう思った。この能力を持っておきながら今まで一発も当てていない自分へのからかいの意味を含んでいることは十分に理解できていた。精密射撃の能力をもってすれば、体内に弾丸を残した状態にすることも不可能ではない。だが、それは対象が不規則に別対象を遮蔽物としないことを前提にしたものだ。
たとえば、隠したり隠さなかったりと動き回る細かく砕かれた岩などがその代表例だ。不規則に対象への弾の接近を阻害されるため、当てるには相当な集中力を要する。
今でいえば、貞晴が能生人を遮る別対象物ということだ。
「ふん!」
能生人は貞晴をこちらへと投げつけてきた。正確には、放り投げたという方がいいのだろうが、そんなことを気にしていられる状況ではなかった。
「ちっ・・・・・・」
将は、舌打ちしながらも貞晴を受け止めると、その衝撃を緩和するために数歩後ろに下がり、貞晴の持っていた運動エネルギーを限りなくゼロまで持っていく。その時、将の中で一つの回路が結びついた。将が貞晴を下ろすと同時に、能生人は表情一つ変えずに口を開いた。
「もう分かったんじゃないか? 私が彼の攻撃をこうも受け流す理由が」
そうだ。能生人は繰り出された足の移動速度を計算して、それを利用して一旦運動エネルギーを殺し、その後、わずかに余っている運動エネルギーを利用して再び、加速し、その勢いで振り回し、投げ飛ばす。その動作に、高度な計算能力、演算処理能力こそ必要となっても、リボットとしての能力を行使する必要がないのだ。
もし、能生人の演算能力がリボットとしての能力行使によるものではない場合、貞晴は生身の相手にも負けるということになるのだ。
「これは、ただの戦闘体術であり、私の元々の『才能』だ」
梨との戦闘となった清司と慎吾は、決定的な攻撃を受けずとも、決定的な攻撃を出来ずにいた。梨は清司の放つ千本触手を完全に回避しつくしていた。信吾も接近して圧迫しようとしていたが、まともな攻撃ができずにいた。
「その程度の腕・・・・・・大したことはないな」
梨が冷静なまでの口調で呟くように言って見せた。呟くといっても、あくまで「ように」言ったため、その声量自体は完全に聞こえるものだった。
「俺が足止めします。先輩が一気に!」
「了解!」
しかし、その作戦と形容するには浅はかとも思えるその行動の会話の終了と同時に、清司の顔面に梨の拳が叩きつけられる。
「対象分析・・・・・・?」
慎吾がその能力名を思い出して呟いた。その能力ならば、こちらの攻撃を寸分違わず全く当たらない場所を選ぶこともできるし、こちらのわずかな隙を狙って拳を叩きつけることもできる。
「がはっ・・・・・・テンタクル!」
清司がその能力名を言い放つのは背面の金属製の触手の動きのパターンを変更するときだ。
「――周囲!!」
清司の言葉に反応して金属の触手が梨に襲いかかる。梨はそれをいともたやすく回避し続けるが、時間差で別の触手を突撃させる。しかし、すぐに別方向に回避する。
(回避時の足裏の接地面積や接地時間が少ない・・・・・・長距離を一歩で移動することはできないが、瞬間的な加速を連発することはできる)
生半可な足の鍛え方ではこうはいかない。一回や二回の隠し玉のようなものなら、ある程度の訓練さえ積んでいればできるだろうが、それをここまでで何十回と行っているということは、そう簡単にはいかないのだということを結果で証明している。自分たちでもそう簡単にはいかないだろう。
「そこっ!!」
慎吾が背後に回り込んでその肩を掴みにかかる。体のどこであっても、もし握れば、相手はたちまちその部分の骨を砕かれるだろう。
「邪魔だ」
そう言って梨が振り返りながら信吾に肘打ちを食らわせた。信吾も咄嗟に腕を伸ばしたが、その手は何も掴めないまま、慎吾は壁に叩きつけられた。
「先輩――」
清司が信吾の方へ意識を逸らすと同時に、梨が眼前まで接近し、清司を殴りつけた。清司はよろけながらも、追撃を警戒して触手を前方に展開させる。追撃に走ってきた梨の拳を、触手が受け止める。さすがに金属が砕けてしまうほどの威力はないようだ(もしあったとしたら、自分は倒れるだけでは済んでないだろうが)。
「先輩・・・・・・高圧握力は、固体しかできませんか?」
「固体以外、ということか――」
清司から告げられた言葉は、全く予想外のものであり、考えたこともないことだった。
「たとえば、空気を圧縮弾にするとか!」
空気の圧縮。今までそんなことは考えもしなかった。慎吾は、清司の発想力に感嘆すると共に、今までそのような使い道を考えつかなかった自分を恥じた。この恥を晴らすには、彼の期待に応えなければならない。
「やってみる!」
慎吾はその言葉と共に何もない空気そのものに圧力を加え始める。実際に視認することは不可能だが、その感覚を掴むことは不可能ではない。自分の加える圧力によって徐々に反発の感覚が伝わってくる。
「そらぁぁっ!!!」
慎吾はその手元でためていた手を梨へと放った。
しかし、圧縮空気弾は何かに当たるどころか、まともな発射感覚すらなかった。慎吾は再びその構えを取る。空気をさらに圧縮していく。先ほどよりもかなりの反発が押し込んでくる。先ほどよりも圧縮量を大きくしているから、先ほどよりはその空気の圧縮純度は高い。
「いけっ!!」
しかし、結局まともな空気弾は発射されなかった。慎吾は、もう一度空気圧縮を開始する。そこで慎吾は、手元の空気の気圧を上昇させると同時に、その進路の気圧を高圧圧力を逆作用させて気圧を減らして、三度発射する。
「いっけぇぇぇぇっ!!」
今度こそ、圧縮弾は発射された。
貞晴と将の前に立ちふさがる能生人は、尚も余裕の体で攻撃をかわしていた。こちらの銃弾もまた、その銃口を見切られて、弾が発射されたころにはその射線上にはすでにいない。
「そろそろ、攻めさせてもらう」
と言うやいなや、能生人は将の懐に一瞬のうちに接近し、腹部を素早く殴りつけてきた。
「瞬間加速・・・・・・」
将の呟きに、「ようやく気付いたか」とあきれたような顔を見せた能生人は、再び全く同じ場所へ拳を叩きつける。
「がはっ・・・・・・」
「うぜぇんだよ、てめぇ!!」
そう言って貞晴が能生人の背後から迫る。能生人が足を掴もうとする挙動を見た貞晴がその動作を待っていたかのようににやりと笑ってみせると、その蹴りを上段に変更した。今まで受け止められていたのは中段蹴りだったので、それを見越しての攻撃だ。
しかし、結果的に攻撃を受けたのは貞晴の方だった。
能生人は直進してきた足をかがんでかわすとそれによって曲げたひざをバネのように伸ばし、瞬間加速も併用してがら空きとなっている貞晴の真正面につき、正拳突きを繰り出して貞晴を壁に突き飛ばしたからだ。
壁に勢いよく叩きつけられたこともあり、貞晴は少なからぬ血を吐いた。だが、貞晴吹っ飛ばされると同時に、将は銃弾を発射していた。
「何っ・・・・・・」
しかし、今の銃弾を、能生人は回避しきれていなかった。攻撃の後の、僅かなタイムラグ。先ほどの貞晴の蹴りも、もう少し早ければ、直撃とまではいかずとも、攻撃とみなされるだけの効果は期待できただろう。
将が続けざまに銃弾を放ったが、それを能生人は紙一重で回避する。しかし、先ほどよりも確実に動きは鈍っていた。
「同じ手は通用しないぞ!」
能生人が、ふらふらと忙しなく揺れながらもどうにか立ち上がった貞晴に、視線を向けぬまま言った。しかし、貞晴はその表情は全く変えなかった。将は銃弾を更に放つ。どうにか回避した能生人の眼前には、貞晴が接近してきていた。
しかし、貞晴が蹴り以外の攻撃を行ってくると認識するのに、能生人の脳内映像処理は遅すぎた。
どうにか回避しようとかがもうと体勢を変えた能生人であったが、すでにそれも貞晴は知覚していた。貞晴の拳はそのままかがんだ能生人の顔面へと直撃し、そこに降り注いだ将の銃弾を丸くなって『防御』することしかできなくなっていた。
「こっちの台詞だ・・・・・・カスが」
そう貞晴が口に出した時には、すでに貞晴の足は能生人の胸板に突き刺さり、床に盛大なまでに押し付けていた。わずかに床がへこんだのが、離れている将にも確認できた。
「行くぞ」
貞晴が一瞬将へと視線を向けて言うと、将は黙って頷き、貞晴の後をついていった。
将と貞晴が、能生人との戦闘で決着したころ、空気圧縮弾の発射に慎吾は成功していた。発射された空気圧縮弾は、清司の千本触手によってその場所をなくしていた梨に見事に命中した。そして、それによって生じた隙を、清司も慎吾も見逃さなかった。
清司は触手を伸ばして梨の両肩を抑えて、そのまま押し倒す。そして、そこまで手間をかけずに、慎吾が梨の両足を高圧握力で握り潰し、その足を使えなくした。
敵大将たる柿崎風音と対峙していた由衣は、未だ彼女と戦ってはいなかったそれは由衣を囲んでの包囲殲滅を取ろうとしていた敵によるものなのだが、一人ひとりはどこまでも猛者というわけではない。
だが、明らかに素人ではなく、何度も修羅場をくぐってきた者達だ。その上、数が多すぎる。恐らく、数ある柿崎組内の一派の頭をここに集結させているのだろう。
「めんどくさいわね・・・・・・!!」
由衣はそう愚痴をこぼしながら、両手を足元にバチンと音が鳴るほどに強く平手でつける、と同時にそこから広範囲にわたって電流の流れる空間を形成する。由衣を中心に展開した半球状のエリアに、電流が流れ始める。もちろん、その範囲内にいたリボットは、耐電加工を施していない限り、確実に制御不能となる。
ちなみに、現代の家電製品との接触によって感電しないのは、家電側に電気エネルギーの放出をさせない加工を施しているためである。と言っても、実際のところ、家事に分類される仕事は、育児を除いて、基本的に各家庭に一台以上の設置が義務付けられているロボットが行うのだが。
と、そんなことは日常の範疇であり、今は関係ないが。
そして、由衣が感電しないのは、耐電加工が全身に成されている、ということが第一の理由だ。
「さ、これであんただけね」
「ま、さっさと片付けさせてもらう」