41、別れを超えて
先日の超能力者との戦闘において、その人生に幕を閉じた少女、咲川春。その告別式は、改めてクラスメイトや都市事件解決専門部、学園平和維持執行部隊を顔を揃えて公式的に行われた。
「春……」
王雅は告別式の中で口を開いたのは、その一言だけだった。春にどんな言葉をかけるべきなのか、王雅にははっきりとは決められなかった。だが、どれだけの言葉を重ねても、王雅の気持ちが春に届いたとしても、春からの生前以上の思いは届かないし、声も聞こえない。生き残った自分達にできることは、死んでしまった春の分まで生き続けることだった。
ただ、この告別式の会場に愛と清司は欠席の意を示した。愛は体調不良だと言っていた。慎吾から告別式の話が出た後、清司は王雅にだけは告げていた。
「もし、春と本当に別れを告げるためにあそこに行けば、俺は堪えきれなくて、何かに当たりそうだ。あいつの本当の最後まで、汚したくはないからさ」
清司が春に対して特別に意識していたことは、王雅も薄々感付いてはいた。だが、本人達の問題だろうと、深く突っ込んだことを聞くつもりも、おせっかいを焼くつもりもなかった。誰も、こんな形で問題が収束するとは思わなかっただろうが。
王雅は告別式終了後、あの場所に足を運んだ。
そこは、数日前に行われていた王雅達と超能力者達との最後の戦場だった。その場所には他に人はいなかったが、路面のあちこちが、高温で焼け焦げていた。間違いなく、王雅の力によるものだった。
王雅は、自分の右手をゆっくりと胸の位置まで上げ、その手を見つめた。
震えていた。
王雅はあの時、初めて人を殺めた。重傷を負わせることはあっても、意識を失わせることはあっても、決して死に追いやることはなかった。あの日から、王雅は連日連夜、終戦直後の風景が蘇る。燃え盛る自分の右手、半ば自我を失っているかのような感覚。恐ろしいほどに内から感じる魔力、そして、黒く焼け焦げた、自らが殺めた焼死体。
(ここに来れば、多少は吹っ切れるかと思ったけど……そうでもないか)
口に出さず、そう思う。もし声を出したら、吐き出してしまいそうな気がしていたからだ。
間違ったことをしたとは思わない。殺されたから殺した、これは報復だ、復讐だと、王雅は大義名分を振りかざし続けている。人を殺めたという事実を、そうした表向きな言葉で霞めていた。
王雅は、目を瞑り十数秒の黙とうを捧げた後、その場を去った。
前生徒会長兼学園平和維持執行部隊隊長の赤木豪は、現在その任に就いている階村真弥の下を訪れた。部隊用の部屋の扉を開き、中へと入る。普通は執行部隊や生徒会の人間しか入れないようにセキュリティが掛けられているが、豪に関して言えば、前任ということもあり、セキュリティの解除が可能な立ち位置にいた。
部屋の中では、階村真弥が、執行部隊用の端末で何やら作業を行っていた。
「階村、先日、執行部隊を戦闘に出したそうだな」
「そうですが、それが何か?」
どこか生意気そうな態度を見せていることに豪は少々辟易したが、ここまで要件を言いよどむようなヤワな度胸の持ち主でもない。豪は話を続けた。
「そのデータをもらいたい」
「あら、何故です?」
この反応から見るに、そう簡単に渡す気がないように豪は見えた。データを渡して欲しいという要求にはいどうぞ、とすぐもらえるとは微塵にも思っていなかったが、やはりこの女相手には一筋縄ではいかないだろう。交渉はすでに始まっている。
「今後のためだ。執行部隊にもそうだが、危険が潜んでいる以上、警戒と対策はしておくべきだ」
「――御託はいいですよ、赤木先輩」
どこが達観したような笑みでそう言った真弥は、その顔から笑みを無くして更に続けた。
「――本当の目的はなんですか」
やはり、この女相手には生半可な理由や嘘は通じない。豪は少し顔を俯けながら言った。
「……十色機者は、超能力者の情報を欲している。戦闘データなら尚更」
数か月前、魔導師が主導で行われた、十色機者の次期当主の連続殺人の一件で、魔法の存在は世間に知れ渡ることになった。魔術師、魔導師、超能力者の三種からなる魔法を扱う者達は、それぞれが対立関係にあると聞いている。そして、魔法関係の話は、真弥の妹が与しているというあの都市事件解決専門部からの情報が大きい。だが、それらのほとんどは桃陽家を通じて情報が伝えられている。十色機者の情報面でのパワーバランスが崩れてきている。桃陽家は稀なる体質の保護対象である苗子を次期当主に置いている。その存在は少しずつ、目に見える形で大きくなりつつある。十色機者は協力関係にあるが、絶対の平等ではない。それぞれの持つ戦力や情報量が、発言力にも影響してくるのだ。
ちょうど件の殺人事件の折、真弥から魔法関連の話を聞かされたが、それを戯言と切り捨てていた当時の自分を殴りたいと思う。もしその情報を得られていたら、自分の、ひいては赤木家の立場はもっと良くなっていただろうに。
「なるほど、ですが無理です。いきなり入室する無礼な人にも、嘘を吐いてまで情報を漁るような人にも、データは渡せません」
「お前……こっちはここの前任者だぞ、権利くらい――」
「隠居した年上の言うことを聞いて方針を決定するような古い組織なんですか? あなたがかつて指揮していたこの部隊は」
その真弥の言葉に、豪は反論する単語が出てこなかった。追い打ちをかけるように、真弥が口を開く。
「それこそ、弟さんに頼めばいいじゃないですか。何せあそこには魔術師が三人もいるんですからね」
豪はそこで、固く閉じた口の中で舌を噛んだ。広がかつて組織していた専門部には、真弥の言うとおり、階村愛、真柄火石、そして蓮王雅がいる。今回の戦闘の主導者は彼らだ。当事者から話を聞いた方が確かな情報を得られる可能性は高い。だが、豪にはそれはできない。
前日、豪は広に対してこう「命令」した。
「広、先日、超能力者と戦闘したようだが、その情報をこちらに流すよう伝えろ」
「それはできない。俺はもう引退した身だからな。それに俺は次期当主じゃあない。上の人間がやるべきことを、下の人間がやる必要はないだろう?」
引退した人間に発言力はない。広と真弥の言うことは、その言い方さえ違えど、同じものであることは今の豪には良く理解できた。
「……使えない部下を持ったものだな、俺も」
豪はそう言って踵を返し、部屋を出た。
「古臭い上司を持ったなー、私も」
豪がいなくなってから、真弥がそう呟いたのを、豪が聞き取れるはずもなかった。
空斗は、鎖に呼び出されて、超能力者の秘匿基地へと足を運んでいた。この施設に空斗が足を踏み入れることができるのは、鎖から直接来るように指示された時だけだ。元々は反超能力者組織によって生み出された「兵器」なのだ。疑いの目を向けられるのは仕方のないことだと、空斗も割り切っているつもりだったが、やはり自分にこうした目が向けられるようになった原因も彼らにあるわけで、空斗は気持ちの捌け口を暁紅に向けるしかなかった。
いつもの通り、鎖は基地の前で空斗を待っていた。空斗はその姿を見つけて軽く手を挙げ、近づく。対する鎖は、少しだけ笑みを浮かべると、空斗に背を向けて基地の方へと歩き出した。それは、無言にて語る「ついて来い」という命令だった。空斗もまた、黙ってその命令に従い、鎖の後ろを歩く。暁紅を裏切り、超能力者についてから、この構図は変わらない。鎖は、空斗の事をあまり重要視していないようにいつも感じていた。戦力としては期待されているだろう。それなりの戦果は挙げてきたし、これから挙げるつもりもある。ただ、戦力以上の価値を、彼が空斗に対して見出すとは思わなかったし、思えなかった。鎖の理念や行動の根幹には、いつでも王雅がいる。王雅の行動が、考えが、全て彼の手の内にあるように思えるのも、王雅の動きに合わせて動いているのではなく、王雅が鎖の動きに合わせるように操っているからだ。ここまで思惑に嵌る王雅もどうかと思ってしまうほどに、鎖の行動や準備は洗練されている。
「空斗、今日呼んだのは他でもない、君に見てほしい物があるんだ」
「俺に?」
今までにないパターンに、空斗は少し困惑した。鎖が、わざわざ空斗に対して何かを見せたいということがなかった、どころか、何かを空斗に明かすということ自体がなかったゆえに、こうした反応になってしまっていた。
「ああ、そうさ」
鎖はこちらに顔を向けることはなかったが、その顔が笑っているだろうことは、表情が全く見えなくても容易に想像することができた。
「恐らく、これからの戦いが変わる。それだけの代物だよ」
戦いが、変わる。
その言葉の意味を、空斗は図りかねたが、鎖がそれほどまでに推すということは、それだけの価値があるものだろう。戦力としての空斗よりも、恐らく価値があるものを。
空斗は鎖に連れられるまま、基地の深く、奥深くへと歩を進めていく。何度かこの基地に入ったことはあったが、ここまで深くまで入ったことは、空斗の経験にはなかった。途中で地下への階段を開き、少しずつ地表から地下へとその居場所を変えていく。
「ここまで隠されているような場所ってことは、それなりに機密なんだろうな」
「よく分かっているじゃないか、そう、これは超能力者の中でも、僕を主導として行われている作戦の一部でね。機密の漏洩を防ぐために、超能力者の中でも一部の人間にしか知らされていない」
鎖の意図が良く見えない。それほどの機密事項だ。おめおめ外部の人間に見せるはずもないだろう。だが、自分はどうだ。ここにいるとはいえ、半部外者のような自分が、その機密を見る資格があるのか。いやそもそも、機密がある、という事実を知る資格すらも、空斗にあるとは到底思えなかった。だから疑問だった。
「そんな物を俺に見せてどうする」
空斗は今、「どうして俺なんかに見せるんだ」という意味で言ったのだが、どうやら鎖は、「見せた後、どうするんだ」という意味に取ったらしく、空斗の意に反して言葉を紡いだ。
「こういう言い方をするのは失礼だとは思うけど、空斗。僕は君に保険を掛けたい、と思ってね」
鎖の言う保険は、一般に言われるような保険ではない。恐らく、戦闘に関しての保険。何か、強大な力に自分が迫っているのだと、空斗は感じていた。
「鎖……お前が見せたいものって……」
「――着いたよ。今日は、君にこれを見せたいと思っていたんだ」
そうして、暗がりにあった部分に照明が注がれる。そこに出てきたのは、空斗達よりも一回りほど大きい、人型のロボットだった。
「これは……!」
ロボットは全てが整った体型になっており、鋼鉄でできたその体からは、まるで人らしさが感じられなかった。
「これは現在普及している自立型ロボットの外部装甲機能だ。簡単に言えば、脳のないロボット。僕たちはこのロボットを改良して、より魔法向きにすることに成功した」
「魔法向き?」
魔法関連に精通している自分達にとっては、こうした科学的な部分はあまり受け付けない者もいる。この基地の中に、そう思う人間は少なからずいるだろう。もしかしたら、基地の地下にロボットがいるというだけで、虫唾が走る輩さえいるかもしれない。だからこそ、鎖はこの存在を秘匿している、と空斗は考察した。
「ロボットの電通回路を弄らせてもらった。電力を、超能力、魔術、魔導によって制御し、そこから与えられる増長機能で、使用者の所持能力を飛躍的に強力にする――まさに、科学と魔法が融合した、僕達の最高傑作さ」
「要は、魔法を強化するための装甲型装備ってことか……」
「王雅と違って、飲み込みと理解が早くて助かるよ」
鎖は失笑を漏らしたが、王雅を引き合いに出したことに、空斗は少し眉を潜めた。そして、そういう反応をすることが鎖にはお見通しなのだと気づき、空斗はあまりこの場にいたくなくなってしまったが、今は目の前の力を正面から見つめなければならない、そんな気がしていた。
「空斗。僕は君に、これを使って欲しい」
「俺がこれを?」
その提案こそ、空斗は理解できなかった。自分には他の人間とは少々事情が異なる。それよりも、今大きな力を持つ鎖が使うべきではないのだろうか。
「今すぐとは言わないさ。だが、もうすぐ戦いが始まる。恐らく、古来の魔導師反乱の時の戦いよりも、ずっと壮絶で、もっと絶望的で、どうしようもない抵抗と蹂躙が繰り返される。その中で、僕達と、僕達が作り上げた力が世界からの大きな注目と尊厳を集めるはずさ。その時代の立役者に、君の力を借りたい。僕でもなく、他の超能力者でもなく、君の力を、ね」
空斗は息を飲んだ。自分が、今までにないほどの期待を寄せられているような気がした。得体の知れない高揚感とプレッシャーが、空斗を包み込む。それは決して、気持ちのいい感覚ではなかった。だが、吐き気を催すほど気持ちの悪い感覚でもなかった。
だが、この力は先ほど鎖が言ったように、あくまで保険。有事の際、何か大きく不利になるような事態になった時に、隠し玉として運用するためのものだ。戦いが始まってすぐにつける必要もないだろう、と空斗は自らを宥めた。
「俺は暁紅に復讐するためにここに来た。そのために、この力を利用しても、構わないか」
「もちろん。彼らも僕達にとっては脅威になり得るからね」
「引き受けよう。俺はこいつで、過去も、運命も壊してみせる」
空斗は、強く、強く、その拳を握りしめた。