37、無の刻
王雅は苗子と談笑しながらも、最終的には苗子を桃陽家まで送っていく形で共に過ごした一日を終えることとなった。桃陽家の前で、王雅は一礼し、苗子が家の中に姿を消すまで立っていた。一人になった王雅はゆっくりと身体を伸ばした。復帰からしばらく動き回ったつもりだったが、どこか身体は固くなっているように感じた。おそらく、単なる緊張からだろう。久々に会話したからかもしれない。
一人歩き出した王雅は自分自身を戒めていた。先日のように、理性を失い、目の前の敵に対する憎しみその他の感情に任せて戦ってはいけない、と。むろん、憎しみがないわけではないが。
だが、と王雅は思う。
今の王雅には、彼ら超能力者と遭遇した時に、明確な目的をもって動くことができる。空斗の説得。それが、王雅が超能力者と対峙した時にすべきことだ。超能力者と遭遇し――特に将久がいれば――戦闘になるのは間違いない。だが、そうだとしても、その中で説得するしかない。だが、そこで不意に、先日清司に言われたことを思い出す。
――人ってのは感情が高ぶっているほど、人の言葉なんて聞こえやしない。
王雅はその言葉は的確だと思った。空斗は感情に身を任せて、流されるように超能力者になった。空斗が戦う理由の原初的な部分には、感情が起因している。だが、王雅はここしばらくのベッド生活で、少し考えを改めた。
空斗は本当に今、感情的になって戦っているのか。初めは感情から戦い始めたのかもしれない。だが、暁紅を潰すという一つの明確な目的を手に入れたことによって、意識をそこに集中させることができ、余計な感情の昂ぶりを押さえ込んでいるのかもしれない。それは、今の王雅にも言えることだ。一度感情に流されたからこそ、言える。
明確な目的をもって行動する者は、どこか理性的に行動できるだろう、と。
だから王雅には、空斗を説得することができる明確な自信を持てずにいた。もしかしたらこのまま、戦うだけの関係になってしまうのだろうか。
「俺は……」
しかし、王雅にそんなことを思考するだけの時間の余裕は与えられなかった。
『こちら原野! 超能力者との交戦状態に入った! 至急応援を!!』
清司からの入電。それは、王雅を衝動的に走らせるには十分な効力を持っていた。
清司は、慎吾、春と共に戦闘体勢に入っていた。春と共に行動していた清司が入電をした際、一番近くにいた慎吾が真っ先に駆けつけた、という状態だ。
今、清司達の目の前には三人の超能力者がいた。一人は王雅の言っていた羽渡鎖。王雅のクラスメイトである草部空斗、そして、笠垣将久。数としては三対三。だが、向こうの戦闘能力は計り知れない。鎖、空斗は未知数である上に、将久一人だけでも十分厄介な相手だ。正直、もっとこちらに数が欲しいところなのだが……。
「ふぅん……王雅はまだいない、か……」
鎖が少し残念そうに言葉を漏らした。
「やっぱり狙いは王雅なのか……! ならば」
「春、援護を! 俺とリーダーとで突っ込む!」
清司は慎吾と共に走り出す。
「将久、空斗」
「はっ、ぶっ殺してやるよ!!」
「鎖、だが……」
「空斗、分かってるよね?」
「……ああ」
鎖と空斗との間で何かしら会話がなされたようだが、慎吾にはそんなことに構っている暇はなかった。清司は将久と、慎吾は空斗とそれぞれ対峙した。
慎吾は走りながら思っていた。眼前、今自分と対峙する相手が超能力者であり、その力がどの程度なのか分からないことを。だが、いきなり接近戦を挑むのは危険と判断するのは当然のことであり、その判断は間違ってはいない。だが、相手はそれを狙っていたことを、慎吾は直後、痛感する。
慎吾は距離を取った状態で空気の圧縮を開始する。高圧圧力によって圧力を空気に与えることによって、圧縮空気砲を発射する。だが、圧縮までには多少の時間が必要になる。慎吾は、そこを狙われた。
「遅い!!」
空斗は両手から無形の何かを放つ。それは一瞬のうちに慎吾へとたどり着き、そのまま慎吾を吹っ飛ばした。
「ぐああっ!!」
慎吾は数メートル地面を転がりながらも、その中で体勢を立て直し、空斗を見据えた。今自分を襲ったのがなんだったのか、その答えを探る。
「空気を圧縮していたようですね……どうやら俺と似た能力のようです」
その言葉と共に、再び空斗が掌を慎吾へと向けた。慎吾は次こそ回避してみせた。その代わりのように、慎吾の足元に転がっていた石ころが遥か彼方まで飛んでいった。
「圧力系か……」
「ご名答。俺の能力は衝撃解放。その名の通り、圧力や衝撃といったものを撃ち放つものだ!!」
そう言って再び放たれた衝撃波を、慎吾はかろうじて回避してみせる。このまま距離をとったままでは、向こうからの攻撃を一方的に受けることになってしまうのは目に見えていた。ならば。
「うおおおおお!!!!」
慎吾は雄叫びをあげながら接近する。衝撃を撃ち放つということは、接近戦にはあまり強くない可能性がある。それなら一気に近づいた方がいい。
だが、慎吾の予測は外れた。
空斗はすぐに接近してくる慎吾に対応してみせた。自分にも影響が少なからず発生するかもしれないほどの距離で、衝撃を撃ち放ってみせた。空斗も少なからず後方に下がったが、それ以上の攻撃を、慎吾は受けることになった。
「ぐぁぁっ!!」
「その程度ですか!!」
続けざまに放たれた衝撃波を、慎吾は避けきれなかった。連続で衝撃を受け、壁に打ち付けられる。
「くっそ……!!」
「終わりです!」
「やめろ! 空斗ぉぉ!!」
その言葉によって、慎吾に対する空斗の攻撃は止んだ。慎吾と空斗は同時にその声の方向を向いた。
「王雅……来たか」
そこには、一人決意の目で駆けつけた王雅の姿があった。
王雅の目の前では、慎吾、春、清司の三人が、超能力者と戦っていた。王雅の目的は、空斗を説得することだった。
「なぜ暁紅を潰すために、超能力者と共にいる! 超能力者になった!!」
「もう言ったはずだ。俺は運命を人の手で定めた暁紅を許すわけにはいかない。運命に縛られるのは嫌なんだよ」
「お前は、自分で道を選んだ! ならもう、運命になんか縛られていない! いや、むしろお前は、そんな復讐心のせいで、戦う運命に逆に縛られている! お前は運命に、自分を縛らせたんだ!」
「それでも、俺が自分で選んだ運命だ! なら俺はそれを受け入れる!!」
そう言いながら、空斗は衝撃波のようなものを放ってくる。王雅はそれを紙一重で回避してみせる。王雅は尚も空斗に叫んだ。だが、空斗の方はその言葉に真っ向から歯向かってきた。やはり、と王雅は思う。空斗は今、感情では動いていない。明確な、はっきりとした意志をもって、戦っている。ならば、自分に空斗の説得ができるのだろうか。
「けど……だからって超能力者になる必要があったのか!」
「ああ、あるさ! 過去の自分を捨てる、過去の自分と決別する。それを成し遂げるには、超能力者になる他ない!!」
王雅は反撃することなく、ひたすらかわしながら空斗に叫んだ。だが、空斗もまた、自らの信念を強大な軸として反論し、話は進む気配を見せなかった。
「戦う意志がないなら、戦場に出てくるなよ、王雅!!」
「ああそうだ! 俺には戦う意志はない! お前を止めるために今ここにいるからだ!!」
「誰も頼んでいない!!」
そこで放たれた衝撃波を、王雅は正面から受ける。そのまましばらく転がり、後退が停止してからようやく立ち上がる。
「空斗……!」
「王雅ぁ!!」
再び衝撃波が放たれる。王雅はそれを回避しようとするが、足が衝撃波に捕まり、体勢を崩す。
「くそっ……」
「ショーグ」
そこで、今まで口を閉じたままだった鎖が一言、将久の名を呼ぶ。それと同時に、清司と戦闘を繰り広げていた将久が清司の攻撃を受け流して王雅へと突っ込んでくる。体勢を崩した直後の王雅には回避するだけの余力がない。将久が加速系の能力を持っている以上、回避するのは万全の体勢でも厳しいのに、この状態ではとても受けきれるものではない。
ここまでなのか。王雅は手詰まりを覚悟した。
だが、王雅は、そこで望まぬ展開を迎えてしまうことになった。
王雅と将久との間に何かが割って入る。それがなんなのか、王雅が認識するのに、そう時間はかからなかった。
直後、割り込んできた少女――春の胸に、将久の繰り出した槍が突き刺さった。
王雅の思考は、停止したも同然だった。目の前で、命が消えかかっている。その事実を、現実を受け入れることを脳が、身体が拒否している。
「春!!」
「くそっ、野郎……!!」
清司が春の名を叫び、慎吾が痛みを押し殺して立ち上がろうとしたと同時に、将久は春から槍を抜き取り、その場から飛び退る。先程まで将久がいた空間に、一筋の炎と雷の奔流が貫く。
「誰だ?」
空斗がそう呟いたのは、炎と雷を放ったのが王雅ではないとその目で認識しているからであった。炎と雷が放たれた方角に目をやった者達は、そこに二人の少女の姿を確認した。
「お兄様、大丈夫ですか!」
「お兄様に近づくなっ!!」
現れたのは、王雅の妹――ということになっている――阿留奈と汲歌だった。二人からの攻撃によって将久が一気に距離をとる。そこに、倒れた春と将久との間に、更に二つの影が立ちふさがった。王雅には、その姿に見覚えがあった。
「こちらは暁紅! 戦闘に介入させてもらうぞ、超能力者!」
「ここから先は……行かせません!」
翔斗と真由奈である。どうやら暁紅も、本格的に動き始めたようである。
「暁紅ぉ……!!」
空斗が怒りに震えていた。感情が先立ったようにも見えるその目に、迷いはなかった。しかし、それを鎖が制止した。
「空斗。分が悪い。ここは引くよ」
その言葉を聞き入れるだけの理性は残っていたのか、空斗は一つ舌打ちすると、将久、鎖に続く形で撤退を開始した。
だが王雅には、目の前の二人のことよりも、妹達のことよりも、超能力者のことよりも、春のことにしか意識が向いていなかった。
「春! おい春!」
すでに春の意識は闇に飲まれかけていた。果たして王雅のこの声も聞こえているのか、自信がなかった。だがそれに応えるように、春が口を開いた。
「ごめん、私もう、ダメかも……」
「そんなこと言うな! すぐに治療できる人間を探す! だから――」
「王雅君……柿崎組での戦いで、助けに来てくれて……ありがとう……私、嬉しかった……!」
春の頬が濡れているのは、春の涙なのか、それとも王雅の涙なのか。それにすら考えが及ばないほど、王雅の精神状態は荒み始めていた。
「やめろ春、それ以上しゃべるな! 傷に障る!」
王雅に抱かれるような形で薄目になりながらも言葉を紡ぐ春を、王雅は制止する。だが、春はそれを聞く気はなかった。
「私……なんだかんだ言って……王雅君のこと、好きだった……!」
「春、分かった、もう分かったからっ……!」
王雅のその言葉に、どこか満足気な笑みを浮かべながら、春は左手をゆっくりと、王雅の腰に回し、自分は王雅にぴったりとくっついた。
「はは……あったかい……あったかいなぁ――」
紡いできた言葉が、途切れた。ゆっくりとその目が閉じられ、腰に回していた左手の力が抜ける。
「春……? おい春! 目を開けろ! こんなところで、こんなところで……!」
しかし、いくら呼んでも、少女はもう答えを返さなかった。だが、その顔には、先程見せた笑顔がまだ残っていた。
それが余計に、失われたものの大きさを物語っていた。
少女は、笑顔のまま、眠りについた。
「春ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」