36、夏の日、少年の火
その日は、溶けるように暑い日差しが降り注いでいた。どうにか回復を果たした王雅は、慎吾や貞治に続くように、こうして解放されていた。太陽の眩しさに目を細めつつ、王雅はとある人物からの歓迎を受けていた。
「なんとかこれで全員退院、だね」
「おかげ様で。苗子先輩も、桃陽家の執務の方、お疲れ様です。正式な通達が来たとのことで」
「まぁね。これからは忙しくなりそう」
王雅を出迎えたのは、先日まで桃陽家における執務業や会議に駆け回っていた苗子だった。苗子は現在二年生のため、実働部隊の主力メンバーであるが、何せ十色機者の桃陽家の娘だ。ここ最近は専門部の方に顔を出すこともほとんどなくなってしまっていた。それでもこうして駆けつけたのは、負傷した王雅たちが復帰するのを知ったためだ。先日、慎吾と貞治が復帰した時にも、苗子が来ていたのを、王雅は覚えていた。
苗子は先日、来年度からの桃陽家当主を正式に任されるとの内示を受けた。彼女がそれを報告する前に、桃陽家より専門部にそのことを伝え、そのことは王雅たちにも伝えられた。
「ねえ、今日はちょっと付き合ってくれない?」
「ええ。いいですよ。外を出歩く護衛にもちょうどいいでしょうしね」
冗談半分な王雅の言葉に、苗子は苦笑で返した。超能力者の件に関しては、苗子もすでに知らされている。桃陽家次期当主にもしものことがあっては王雅の命をいくつもってしても足りないだろう。
「ありがとう。じゃあ、いこっか」
こうして、王雅は久しぶりに羽を伸ばす機会を得たのであった。
暁紅では、先日から続く超能力者との戦闘への対処について議論が交わされていた。確認されているだけでも、ここ二週間程度の間で超能力者との戦闘は五回以上。暁紅としても、これ以上超能力者の横行を許すわけにはいかなかった。
「やはり、各地に人員を配置すべきでは?」
「しかし、今闇雲に戦力を消費するのは……」
「本格的な攻撃が行われる前に、超能力者の戦力を削らねば、被害は更に大きくなるんだぞ!」
まるで話が進みそうに見えないのは、誰の目にも明らかだったのだが、議論の勢力は攻勢派と保守派とに分かれていた。両派共、戦力を出すべきだ、温存すべきだの一点張りを貫いており、状況が動くようには思えなかった。議長役として座していた由香里と凛子はしばらくその状況に首を突っ込まず、ただ静観していた。静かにするよう促すことも、議論に参加することもなく。暁紅では大きな発言力と影響力を持つ翔斗と真由奈は、考え的には保守的なものであるが、二人とも一切の発言をすることもなく、まるで中立のような立場に見えた。
「議長お二人は、どうお考えですか!」
そこでついに、攻勢派の一人から議長の二人に意見を求めてきた。由香里は目を瞑ったまま、深呼吸を一つして、静まり返った会議室で言葉を放った。
「確かに、このまま奴らを野放しにすることはできないが、我々にも戦力の限界というのは存在する。慎重を機する必要はあるだろうが、戦力は動かすべきだとは思う」
攻勢派と保守派、両方に諭すように、由香里は話した。それに続くように、凛子も口を開く。
「出すにしても数人。万が一に備えて、最低限の戦力で牽制する必要があると思うわ……そうね、阿留奈ちゃんと汲歌ちゃんあたりが適任じゃないかしらね?」
二人の言葉に、攻勢派も保守派も口論することをやめた。攻勢派の者達は全戦力をもって事態に対処するつもりであったし、保守派は誰も関わらせないつもりだったのだ。そのどちらの欲求も、満たされたようで満たされない感覚。
「それに、私たちにはまだ一つ、大きな戦力が残されている」
「由香里さん、それって……」
翔斗が由香里に向かって「まさか」という面持ちで聞いた。おそらく、その戦力が誰のことを指すのか、ここにいる全ての者が分かっていたことだ。
「もし蓮王雅が再びここに来たとき、私たちは彼に、超能力者に対する戦力として完成させる。彼が協力してくれるかは分からないが、上手く立ち回って利用すれば、こちらの戦力を削らずに、超能力者にダメージを与えられる可能性がある」
「王雅さんの動き次第で、私たちの動きも決まる――そういうこと、なんですよね?」
「そうなるわね」
真由奈の確認に、凛子が答える。ほとんど、議論は決していた。
「では、超能力者への牽制は阿留奈と汲歌を動かします。私と翔斗さんは共に現地に赴き、バックアップに努めます」
「異論はない」
真由奈がこれからの行動について進言し、勝手に名前を挙げられた翔斗もそれを了承する形で同意を求めた。攻勢派も保守派もだんまりのまま、それでも納得したようで数回頷くなり、目を閉じたままの者がほぼ全てだった。それ以外の者にも、異論を唱えたり怒鳴り散らしたりするような輩は現れなかった。
「よし。では、阿留奈と汲歌には戦闘の準備を行わせろ。翔斗、真由奈。戦場での指揮は任せる」
「はい!」
「了解!」
由香里の命令に、翔斗と真由奈は生気溢れる返事を返したのであった。
王雅は、苗子に連れ回されるように街を回った。ある時はショッピングセンターをふらつき、あるときはただ住宅街を彷徨った。カフェテリアでコーヒーをすすりながら、昔話を始めたのも、あるいはそんな街巡りの一環だったのかもしれない。
「苗子先輩。言いたくなければいいんですが……」
「ん? 何? 大体は答えるよ?」
「去年、ある戦闘で、怪我を負ったと聞きました。十色機者の名を出したくはなかったのですが……苗子先輩ほどの実力者、当時から次期当主適任者と言われていたのに、なぜお怪我を?」
「オリオン会は知ってるよね?」
「はい」
「オリオン会の守護者、巨人九星の一人、ハチサ・木原愛沙の支配下にあった信濃組を叩くための作戦だった」
王雅が由衣から聞いたことがあったのは、とある作戦で、負傷させてしまった、ということだったが、どうやらより深い話を聞くことができそうである。
「そのころ、ちょうど広さんや由衣さんが主力となった――ぴったり一年くらい前の時。上に立つことの焦りと緊張、からだったのかな、由衣さんは隙を見せてしまった。私はそれを庇う形で、相手を圧力反射で無理やりに圧力をぶつけて、相手を殺しちゃったの。私、その時錯乱しちゃってさ。相手の攻撃を受けてからまた圧力反射を使った。それで相手は倒せたんだけど、要は異物が体内にある状態で能力を発動したもんだから、エラーを起こしちゃってね。そのまま病院行きだった、ってわけ」
「エラーって……でも、単なるエラーだったなら、追加でリボット化を――機械化進行段階を上げればよかったんじゃないですか?」
「私じゃなければ、それも手段の一つだった。でも、私は他のリボットは違うところがあった」
王雅はそこで「あっ」と思い出したように声を出した。苗子が他のリボットのほとんどと差別化される理由。それに心当たりがあったからだ。
「私は機械化進行段階、弱機械化。それでありながら機械操作能力段階、超操作者。そんな特異なリボット化のせいで、機械化進行段階を上げてエラーを消去するわけにはいかなかったの」
「なるほど、つまり、エラー消去を、今ある分だけの機械部分のみの再調整で済まそうとしたわけですか……一年もかかるわけだ」
「私は構わなかったんだけど、桃陽家が頑なでね。世間体としても、たかだか一つの不良集団にやられただけでもどん底なのに、それに追い打ちをかけるわけにはいかなかったみたい」
苗子の顔は、どこか哀愁の漂うところがあった。
「私のエラーね、もちろん外傷的な問題もあったんだけど、精神的なところでもエラーを起こしちゃったみたいでね。人の感情まで機械化することはできないから、自分の手でなんとかするしかなかった。でも、そう簡単に行くはずもないんだよね。人を殺してしまって、敵にやられて、家族からも、世間からも蔑まされて」
「……」
王雅は終始押し黙ったままだった。優雅な雰囲気の漂うカフェテリアには似つかわしくない会話だったが、王雅はそこまで場違いなことも言うつもりもなかった。自分から話を振った以上は尚更だった。
「でもね。黄川蛇技殺害の報道がされる前日に、由衣さんが私の病室に来たの。多少は回復していた私の元に、とても不安そうな顔でね。たぶん、あれは広さんのことでも心配していたんだと思うな」
そこで王雅は、広が当初は――強制的とはいえ――魔導師、風林火山の元で犯人の一人として動いていたことを思い出した。由衣は何かしらで広と会話した時、広の異変に気づいたのだろう。
「その時思ったの。由衣さんや広さん……皆の力にならなきゃ、支えにならなきゃって。戦うことで、皆を支えてあげなきゃって」
「苗子先輩……あなたは強い人だ」
「弱いよ。自分で嫌になるくらいね」
苗子はそこで苦笑を漏らしながら言葉を返した。その口調は、本当に立ち直ったことを表すには十分な効力を持っていた。
「王雅君。戦うことは何かを失うだけ、得るものがないなんて言わない。でもね、戦っている以上は何かを失う可能性がある。それだけは、覚えておいて」
「……はい」
まるで、苗子の体験談を絡めた教訓を叩き込まれたようだ。王雅の返事を聞いた苗子は少し照れくさそうに笑い顔を作ってみせながら、王雅の頭をわしゃわしゃと掻き乱した。そして、おもむろに立ち上がり、レジへと歩き始めた。
「さ、そろそろ行こっか。昔話も済んだことだしね」
立場と過去に縛られながらも、苗子はどこか自由に生きているように見えた。王雅は、そんな苗子が少し羨ましくなった。
自分は誰かの意図的な目論見によってこの世に生を受けた。そこには必ず、その誰かの思惑通りに動かなければいけないという運命が見え隠れしている。計画の立案者が誰なのかは分かりえないが、少なくとも王雅は、一人の男の思惑によって踊らされるままの人生を歩まざるを得なかった。
だから王雅は、運命を敢えて受け入れた上で、自分の思う通りの自分を全うしたいと思った。空斗は運命に抗い、特殊な己の生い立ちを捨てて、超能力者として立ちふさがった。その選択が正しいのか、間違っているのか。それは王雅には断定できないことだ。だが、だからこそ、王雅は自分の選択が間違っていないと信じ、それを空斗に押し付けるしかないのだ。空斗は頑なに受け入れるのを拒むかもしれない。それでも、押し付ける。自分勝手な考えを、身勝手な正義を。少なくとも、空斗のいるべき場所は超能力者なんかではない。王雅は、それをはっきり自覚していた。むろん、それが正しいとは言い切れないのに。
王雅はどこか自分と重なる先輩に連れ立ってカフェテリアを後にした。
空斗、将久を連れ立って廃ビルの屋上に陣取っていた鎖は、あるところに通信をかけていた。呼び出せば来るかもしれないが、今からかける相手は直接会うのはあまり好んでいない。足がつくのを恐れているからだろうが、鎖は、それはそれで仕方がないと考えていた。超能力者の自分たちにとって、相手は最後の砦と言っても過言ではない。
呼び出しのコールは、三回で繋がった。
「やあ、久しぶりに声を聞いたね。王雅には何か変化はあったかい……そう、分かった。じゃあこっちもそろそろ動くことにするよ。今から王雅の表情がどう変わっていくのか、楽しみでしかたないよ」
鎖は自分の言いたいことを一通り言い終えると、再び釘を指すように行った。
「この際暁紅の方は仕方ない。だけど、あの魔術師の二人……くれぐれも近づけないように計らってくれ。彼女たちは不確定要素を含んでいるからね」
「そうか、階村愛も、あいつの患者か……」
空斗が思い出したように、階村愛の名を出す。
「――ああ、分かってるよ。君はもう力をもってないからね。死なない程度にやるだけさ」
そこでようやく、鎖は通信を切った。その顔には、どこか狂気じみた笑みが浮かんでいた。
それは、これから起こることに対する鎖の高揚にほかならない。
「さぁ、王雅、最大級の絶望を見せてあげるよ……」
そう言うと、鎖は空斗、将久を共にしながら屋上から飛び出した。絶望を生み出すために。