35、天災万象(ユニヴェールデザストル)
王雅の理性は、半ば失われていた。まさしく感情に任せて、というのが正しいのかもしれない。同時に王雅は、自分自身を責めるのを続けた。トラウマとなって自分を責めた事件が、鎖によって操作されていたこと。それに気付けなかった自分を責めた。空斗のこともそうだ。
だから王雅は戦うことを選んだ。自分自身の過去を、今を、未来を歪ませたこの男と。
「はあぁぁぁぁぁ!!!」
王雅は鎖に向かって走り出す。対して鎖は、両腕を少し広げながら告げた。
「天災万象!!」
それと同時に、鎖の後方から、「王雅のみ」に向かって突風が吹きつける。それによって、王雅の歩みが止まる。それほどの突風であった。この風の強さは、魔導師、風鳴亮人の風調操作のそれを上回っているかもしれない。王雅はそう感じた。これが超能力者の力なのか。
「甘いよ、王雅!!」
それと同時に、空が一気に曇り出す。しかも暗雲である。王雅は直感した。そして、雷鳴が轟き始めると同時に王雅は上空に電撃を放った。鎖が上空から稲妻を落とし、王雅の電撃と相殺される。
「もっと……もっと楽しませてくれよ、王雅!」
王雅が気づいた時には、すでに鎖が眼前まで迫っていた。慌てて右手から溢れ出させた炎を叩きつける。だが、その攻撃には空気しか触れなかった。
――読まれていた!?
すでに鎖は王雅の左側面に回り込んでおり、にやけながら無防備になった王雅の脇腹に掌底を叩き込む。掌底は熱を帯びていた。
「がぁぁっ!!」
地面に転がった王雅は体勢を立て直しながら、左脇腹を抑えていた。今の高熱の掌底は太陽の日差しによるものだろうか。人間が熱として感じられるということは、四十度以上。熱いと感じるということは、暑い地点の気温をもたらす太陽の力を使ったということか。そして、王雅の炎で相殺されぬよう、左側面から攻撃。自身の能力と王雅の能力特性を理解しての動きに、王雅は苛立った。自分よりも、相手の方がこの戦闘を熟知していることに。
「まだ終わりじゃないよねぇ? 王雅」
そう言いながら、鎖は右手を真上に掲げる。
「……これは……!?」
途端に、全身に寒気が襲ってきた。悪寒のようなものではなく、外界的なもの。周辺の気温が、一気に下がり始めている。季節は夏であるために、軽装である王雅にこの温度低下は効果が高いものだった。
「くっ……」
「まだ終わらないよ!!」
それと同時に、先ほど同様、王雅に向かって突風が吹きつける。しかも、多量の雪を含んでいる。吹雪だ。しかも、北国ですら稀にしか見られないほどの。気温がどの程度なのかは、王雅には分からないが、体感温度は、気温と突風、雪の三つが相まって、氷点下をゆうに下回っていると思えた。
「はぁっ……くぁっ……」
まともに息をすることもできない。雪のせいで目をまともに開けることもできず、視界が確保できない。何もできないまま、次の瞬間には全身に電撃が走る。鎖が雷を王雅に落としたのだ。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
すでに、王雅に戦闘能力は残されていないも同義だった。
「やれやれ。激昂した以上、もう少し面白い戦いをしてくれるかと思ったんだけど……」
鎖は「期待はずれだな」とでも言わんばかりにそう言い捨てると、動かなくなった王雅に背を向けた。かなりのダメージだが、鎖が雷の威力を調整したのに加え、王雅の特殊性をもってすれば、死ぬことはないだろう。王雅の特殊性とはいっても、生い立ちが特殊なだけであって、超能力に対する耐性があるわけではないのだが。
「行くよ、空斗。長居は無用だよ」
「――ああ」
空斗は鎖にそう言われてからも、しばらく動かなくなった王雅を見ていた。それは、決して数ヶ月とはいえ時を同じくした者に対する友情ではなかった。
それはむしろ、哀れみに近いものだった。
(王雅。お前は何故自らの運命に抗おうとしない……お前が進もうとしているのは、お前が享受しようとしている運命は、地獄だぞ……)
声に出さず王雅に語りかけた空斗だったが、その言葉が王雅に届くはずもなく、空斗はそれ以上何も喋ることも思うこともせず、王雅に背を向けた。
――君はほぼ間違いなく、本計画によって生み出された、蓮シリーズ第十五番目の被検体新生児、検体Oよ。
――王雅さんはちゃんと人から生まれた、ちゃんとした人間ですよ……!
――俺は、俺の運命を生まれた時から決めた暁紅を許さない。
――人ってのは感情が高ぶってるほど、人の言葉なんか聞こえやしないんだ。
――運命によって決められた明日も、悪いもんじゃないよ、王雅。
――この裏切り者!!
「……っはぁっ!!」
息を荒げながらも目を覚ました王雅は、ここが先ほどまで戦っていた場所ではないことを知覚した。天井がある。そういえば、今日こうして自宅ではないどこかで目覚めるのは二回目だな、と王雅は思った。
「まったく、こんなにも早く機会が来るとは思わなかったよ、王雅」
「火石……」
どうやら自分は、学校の特別医務室――そこに備え付けてあるベッドの上で眠っていたらしい。火石か、あるいは他の誰かが発見し、ここまで連れてきてくれたのだろう。火石はため息をつきながら、目覚めた王雅を安心そうに見つめた。
「随分とうなされていたようだけど?」
「……ああ、今日一日、いろんなことがありすぎてな……」
「目が覚めたみたいだな」
会話に割り込んでくる声と同時に、王雅と隣のベッドを分かつカーテンが半ば強引に開かれた。その先にいたのは、春から「負傷した」と連絡を受けていた慎吾だった。医務室のベッドは四つ。どうやら、慎吾の向かい、王雅から見れば対角線上に貞治がいるようだ――王雅がそう予測したのは、彼の向かいのベッドには誰もいなかったからだ――。
「ご無事でしたか」
「こっちのセリフだよ。俺たちよりボロボロの状態で入ってきたってのに、もう目を覚ますんだからな」
「これでも実働部隊ですよ? それなりの仕事はできるつもりですよ」
「これが仕事っていうのも、なんだか笑えるもんだがな」
実際は笑えない問題だということは、発言者の慎吾含め、全員が理解していることだが、それよりもまずは、誤解を解かねばならないな、と王雅は慎吾から火石へと視線を移した。
「火石。お前や愛が疑ってしまうのは仕方のないことだって分かってる……けど、とりあえず話だけでも聞いて欲しい」
「――ああ」
王雅はそこからしばらくの間話し続けた。暁紅に接触するきっかけとなった、風鳴亮人、月影吹雪との再会。暁紅によって王雅が生み出されたこと。対超能力者用魔術魔導師開発計画のこと。超能力者――笠垣将久、草部空斗、羽渡鎖のこと。そして、王雅の過去と、鎖の関係のこと。
全てを話し終えた王雅は、一つ、大きく息を吐いた。どのくらい話したか、自分では検討がつかないくらいには話したような感覚が王雅にはあった。
「つまり、お前は裏切ったわけではないと、敵ではないと、考えていいんだな?」
「信じて、くれるか?」
心配そうな顔で覗き込むように問いかける王雅に対し、火石は腕を組みながら応えた。
「主観だが、話の内容に矛盾は感じられなかった」
「よかった……」
王雅はほっと胸をなで下ろした。少しでも理解者が増えてくれることは、今の王雅にはありがたいことだった。だが、火石は話を聞いてくれるだけまだましだったが、問題は――。
「――愛はどうしてる?」
「一緒に来るか、とは聞いたんだが……」
「そうか……」
さすがに、あそこまで声を荒げるほどに嫌悪していた以上、そう簡単に首を縦に振るとは思えない、というのは、王雅と火石の一致した見解だった。
「実は、お前が暁紅に入るのを確認したことを愛に伝えた時、真弥さんもいたんだ」
「真弥生徒会長が?」
生徒会長に就任し、執行部隊と専門部の提携を確かなものにするほど自分たちに協力的な真弥とはいえ、愛との姉妹関係は相変わらず悪いままのはずだ(主に愛から嫌悪しているのだが)。その二人が一緒にいるということは、真弥の方から何かしらのアプローチがあったか、真弥を尋ねなければならない用事でもあったのか。
「その時、真弥さんから直接に、お前が暁紅に向かったことを伝えられた。空間認識は映像と音声しか分からない。けど、真弥さんはお前が暁紅に向かったことを知っていた。愛はその事実に混乱した。真弥さんは、『自分たちでなんとかしろ』って言われて、愛はとりあえず拒絶する道を選んでしまったっていうわけだ」
「……そうか……」
「まぁ、とりあえず今日はこの辺で。王雅、お大事に。先輩方も」
「ああ。帰りは気をつけろよ」
「これ以上病室狭くさせんなよ、暑苦しいんだからよ」
慎吾と貞治がそれぞれに言葉を投げかける。火石はそれぞれに頭を下げながら病室を後にした。
「おい、王雅」
「はい?」
王雅にしては珍しく、貞治から名を呼ばれた。今まであまり機会がなかっただけに、王雅は少し動揺した。
「その羽渡鎖とかいうやつと因縁があるのは分かったが、あまり感情的に戦ってんじゃんねぇよ。そこまで陰謀を働けるような奴相手に、ムキになってるようじゃ、思うツボだぞ」
「お前が言えることか?」
慎吾からすぱっとツッコミが入ったが、王雅は慎吾に対して首を横に振った。
「いえ、貞治先輩の言うとおりです。あの時の俺は、自分を見失っていました。自分は大丈夫だ、理性は保っていられる。そんな過剰な自意識が、いざ崩壊した時に抑えられなくなって、本来の戦いどころか、何もできないままやられてしまった。貞治先輩は、そうした感情のコントロールというか、自分の性格を理解していますから、いつでも感情に揺らぐような戦いはありません」
「あまり褒められてるような気はしねぇが、まぁ概ねそのとおりだ」
「やれやれ、先輩をたてるのうまいな、お前」
「事実を言ったまでですよ」
王雅はそこでふっと笑いを漏らした。こんな会話ができるのも、いつまで続けられるのか、王雅はどこか不安を覚えずにはいられなかった。またいつ、超能力者との戦闘になるかも分からない。もしかしたら、死ぬかもしれない。そう考えると、今を享受せずにはいられなかった。
「すぐにでも戻らなきゃな……皆が待ってる」
それは誰に対してでもなく、王雅が呟いたものだった。
愛は一人、誰とも交わらない場所で座り込んでいた。王雅が暁紅に行き、自分たちの元から離れていってしまう可能性。その可能性を受け入れきれていなかった。
それと同時に、愛は身体に妙な不自然さを覚えていた。表向きには何事もないように見えるし、事実そのとおりだ。だが、最近、頭痛のようなものを頻繁に感じられるようになっていた。まるで、内側から衝撃を加えられているような感覚だった。
「なんで……なんで……!」
愛が苦し紛れに吐いた言葉は、自分自身の身体のことと、王雅を信じきれない自分の未熟さに対しての苛立ちだった。
――私たちは知らないことが多すぎるのよ。この世界のことも。王雅くんのことも。
そんな真弥の言葉が、愛の脳裏をよぎった。王雅は一体何者なのか。何故暁紅に行ったのか。その答えを知らないのは、愛だけであることに、彼女はまだ気づいていなかった。
「私……裏切り者って言っちゃった……話し合うことも、確かめることもせず……!!」
もう王雅は、自分のことを本当に切り捨てるかもしれない。自分から突き放したのだ。向こうがそう簡単に歩み寄ってきてくれるとは思えない。
ただ、愛は、そう頭で考えてはいても、どこかで期待してしまっていることにまた、苛立ちを覚えていた。
自分は、なんと都合のいいように生きているのだろうか。
愛の誰にも知られることのないその自虐を、誰が聞くことも、あるはずがなかった。