感じる必要のない『不安』を手放すとき
今回も『不安』をテーマに掘り下げていきたいと思います。
「感じる必要のない『不安』をどう登場人物に自覚させ、行動へと促すか」
その話に入る前に、まずは 「感じてもいい『不安』」 について触れておきたいと思います。
これは物語づくり、とりわけ異世界を舞台にする場合には、非常に重要なポイントになるはずです。
☑️感じてもいい『不安』もある
感じてもいい『不安』としてよく挙げられるのは、
「死」と「老い」に対する『不安』です。
この二つは人間の力ではコントロールすることができませんから。
だからと言って人間はその二つの『不安』を放置してきたでしょうか?
——いいえ、そんなことはなかったはずです。
それらの『不安』に対処するために生まれたのが、宗教や哲学だからです。
生きている限り、自分ではどうすることもできないことは必ずあり、『不安』も生じます。
そして、『不安』があるからこそ、人は人生と向き合い、思考を深めることができます。
だからこそ、「死」や「老い」のような 感じてもいい『不安』 に対しては、
「自分は死ぬのが怖いのだな」と意識にのぼらせ、
不安を感じている自分をきちんと認めてあげることが大切なのです。
★ あなたの描く世界における死生観は、どのようなものでしょうか。
人間の力ではコントロールできない『不安』に対して、
その世界で生きる人々は、どのように向き合っているでしょうか。
もしかすると、その世界ではすでに「死」や「老い」が克服され、
『不安』という感情そのものが存在しないのかもしれません。
それを楽園として描くのか。
あるいは地獄として描くのか。
もしくは、一部の者だけが恩恵を受け、その他は取り残される——
そんな階層構造として描くのか。
どの方向へ掘り下げていくにしても、
『不安』という感情について深く考えることは、
世界観を立体的にするうえで欠かせない視点になるはずです。
そして、もう一つ注意してほしいことがあります。
それは「善か悪かの二元論」で、その世界を安易にまとめてしまう危険性です。
たとえば、親玉を教皇に据え、宗教の狂信が支配する世界を描こうとする場合。
だからといって、すべての神官を「悪」と断じてしまうのには、細心の注意が必要でしょう。
そもそも宗教とは、人間ではコントロールできない『不安』に対処するために生まれたものです。
もし教えが独善的で、我欲にまみれた行動や思想ばかりを広めるものであれば、民は信仰などしないはずです。
「これはすでに腐敗した時代の宗教国家なのだから、悪の枢軸として描いてよい」
そう考えたくなる気持ちも理解できます。
確かに、腐敗した時代であれば、教えを自分の欲のために利用し、悪事を働く者が現れるのも自然でしょう。
ですが、「教えを利用して悪事を働ける」のは、
その教えを権限として扱える地位にいる者だけではないでしょうか。
利益を得ているのは、ごく一部の人間に過ぎません。
神官すべてが悪である、という考え方には無理があります。
腐敗以前であれ、腐敗後であれ、
教えそのものは本来、人々の『不安』に寄り添っているはずです。
それを民に説く立場にある、地位の低い神官たちが、
果たして積極的に悪事を企てるでしょうか。
個人的には、宗教者というのは常に「あの世」を意識して生きている存在であり、
我欲にまみれた人間はそれほど多くないのではないかと思っています。
一方で、宗教を利用して金や権力を得ようとする、「この世」しか見ていない俗物が存在する――それもまた、現実的な見方でしょう。
だからこそ、「善か悪か」という二元論で世界を単純化してしまうのは、あまりにも惜しい。
不安にすがる者、救おうとする者、利用する者。
それぞれの立場が交錯する場所にこそ、物語の厚みは生まれます。
ぜひ、その複雑さを面白がってみてください。
☑️感じる必要のない『不安』を解消する方法
『不安』を解消するやり方は一つではありません。
その人物の性格や思考の癖に応じて、いくつもの選択肢が考えられます。
★リスクを詳細に把握する★
感じる必要のない『不安』としてよく見られるのが、
「何かトラブルが起きたらどうしよう」
「納期に間に合わなかったらどうしよう」
といったものです。
これらは多くの場合、
未来を正確に予測できていない、
あるいは予測した未来に対する対処が曖昧なままになっていることから生じます。
いわゆるデータ至上主義の“データキャラ”のように徹底する必要はありませんが、
自分が置かれている状況、起こりうる出来事、想定されるリスクを整理し、
それぞれに対処の道筋を描いておくだけでも、漠然とした『不安』は大きく減っていきます。
ただし、ここで一つ注意が必要です。
どれだけリスクを洗い出しても、予測に反した事態は起こり得ます。
そのとき、“データキャラ”のように感情に引きずられ発狂すると、
「いくらリスクを把握しても、結局最後には失敗してしまう」
という結論に飛びついてしまい、それ自体が新たな信念として定着してしまう危険性があります。
その場合は、「今回はうまくいかなかった。このリスクが想定から漏れていた」
と事実だけを受け取り、「次は成功させる」というようなポジティブな情動を重ねておくほうがいいでしょう。
そうすることで、歪んだ信念が形成されるのを防ぐことができます。
★信念を変える★
もし、先ほどの”データキャラ”が
「いくらリスクを把握しても、結局最後には失敗してしまう」
という信念を持っていたとしたらどうでしょうか。
脳はその信念を前提に、
「将来、また危機的な状況が起こるかもしれない」
と判断し、その結果として『不安』を立ち上げます。
この場合、対処すべきなのは状況そのものではなく、
信念そのものです。
本当に
「いくら対策をしても、必ず失敗する」
と言い切れるのでしょうか。
正確な情報を集めたり、他者の経験を聞いたり、過去の結果を冷静に振り返ることで、その信念がどこまで事実に基づいているのかを検証することができます。
※ひとつ注意点があります。
助言を求める相手として、肉親はできれば避けたほうがよいでしょう。
たとえ直接的な利害関係がなくても、肉親は親身になりすぎるあまり、同じ臨場感空間に入り込んでしまい、冷静な判断を失いやすいからです。
——この構図、物語の中ではよく見かけますよね。
思考を止めず、さまざまな角度から問い直していくことで、
信念が書き換えられれば、
それに基づいて生じていた『不安』も、自然と力を失っていくはずです。
★臨場感空間から抜け出す★
『不安』があまりに強くなると、それはやがて、直近の脅威に対して抱く『恐怖』へと変質していきます。
本来、『不安』とは
時間と空間を超えて、勝手に予測・推論された未来の映像にすぎません。
ところが脳は、それをすぐに確実に起こる出来事のように錯覚し、
『恐怖』の回路を発火させてしまうのです。
少し私事になりますが、具体例を挙げてみます。
私用で、今週中に複数人が集まれるスペースを用意する必要があり、いつも使っているレンタルスペースを予約しようとしました。
ところが、翌日が休日だったこともあり、すでに予約でいっぱい。
その時点では「まあ、他を探せばいいか」と、まだ軽い『不安』で済んでいました。
しかし、周辺の候補を調べるうちに、
人数に合うスペースがすべて埋まっていることが分かり、
心の中で「やばい」と思い始めた瞬間——
『不安』は『恐怖』へと変わりました。
「どうにかして場所を確保しないといけない」
「当日になっても借りられなかったらどうしよう」
「皆が残念そうな顔をしている光景」
そうした未来の映像が、異様なほど臨場感をもって脳内に立ち上がってきたのです。
それでも、日が落ちる前に犬の散歩に行く必要があり、
半ば強制的にその場を離れました。
犬と歩きながら頭を切り替えていると、ふと一つの案が浮かびます。
仕事場を、私用で使えないか相談してみよう、と。
その場で連絡を取ったところ、
あっさり「使っていいですよ」と了承が得られました。
振り返ってみると、
あのとき重要だったのは「名案が浮かんだこと」ではありません。
一度、臨場感空間から抜け出したこと。
それによって、恐怖回路の発火が収まり、
恐怖を増幅させていた脳の働きが弱まったのです。
とりあえずで構いません。
『恐怖』を感じたら、まずはその臨場感空間から離れること。
それだけで、
人は驚くほど冷静に物事を考えられるようになります。
☑️それでも『不安』はあなたの強い味方になってくれる
〈感じてもいい『不安』もある〉の項でも触れましたが、
『不安』があるからこそ、人は自分の人生と向き合い、思考を深めることができます。
もしそれが、あなた自身が目指す目標に対する『不安』であるなら、
どうか無理に消そうとせず、その感情と向き合ってみてください。
『不安』は、薪のように、前進の火を焚べる原動力になってくれます。
目指す目標にたどり着き、
そしてまた新たな『不安』を抱いて歩き出すあなたを、心から応援しています。
今回は以上になります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もしよろしければ、気づいたことや感じたことなど、どんな些細なことでも構いませんので、コメント欄に残していただけたら嬉しいです。いただいたコメントにはすべて目を通し、お返事します。
あなたの作家人生を全力で応援します。
共に楽しんでいきましょう。
「感情」の解剖図鑑 苫米地英人
※本文を考える際に参照したものです。興味のある方は、ぜひあわせてご覧ください。




