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紅楼夢備忘録  作者: 翡翠
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第二回

第二回

★第二回は第一回に対応し、「仮」である賈家のことについて語られる。だが、それが賈雨村によって語られることによって、すべてが「真」でないことの証左となっている。

①冒頭、脂評1:

〔脂評〕

この回もまた、正面から本文の主旨を述べたものではない。要は冷子興という一人の人物に託して語られているのであって、俗に言う「冷中に熱を出し、無より有を生ずる」というやり方である。

冷子興に栄国府について語らせている一段は、そもそも一族があまりにも多く、もし作者が筆を執って一人一人書き並べていけば、一、二回費やしても説明しきれず、それでは文章にならないからである。そこで冷子興一人を借り、その口を通して大要だけを示し、読者の心の中にまず朧げながら一つの「栄国府」の像を宿らせておく。そうしてから林黛玉・薛宝釵らを二、三度にわたってしゅん染めするように描けば、自然と読者の心にも眼にも鮮やかに立ち現れる。これこそ画家のいう「三染法」である。


栄国府の中心人物を直接書かず、まず外戚から書き起こすのは、遠きから近きへ、小より大へと至る手順だからである。もし先に栄国府そのものを叙し、そこから順に外戚、友人、下僕へと及んでいったなら、その筆致はあまりに硬直し窮屈で、とても「金陵十二釵」を描く手にはなりえない。今、外戚を先に書くのは、すなわち栄国府一府を描くことにほかならないのである。

また、枝葉末節の冗漫さを避けるため、書き出しでいきなり賈夫人はすでに亡くなったと記し、林黛玉が速やかに栄国府へ入るように仕向けているのも、意図あってのことである。


通霊宝玉は、士隠の夢の中で一度現れ、今また冷子興の口から語られ、読者にはすでに明らかになっている。そこからさらに、黛玉・宝釵二人の眼を通して、きわめて精緻に描き込む。ここが文章の要となる関門である。作者は、堰を切った水や、導火線に火をつけた爆発のように、一気に精華を流し尽くしてしまうことを決してしない。本来、この玉は宝釵・黛玉の眼の中から現れてこそ、前後の照応が生まれるのである。

それをあらかじめ冷子興の口から語らせているのは、実際には書いていながら、まだ書いていないのと同じである。後文を見れば分かるように、この一回は、虚を突きつつ側面から打つ文章であり、その筆致もまた、逆行し、隠れ、屈折したものである。

②失職してもあっさりした雨村の態度:考察

儒家には雨村のような失職が多かったことを思わせる。また失職させることで官(雨村)から民(林家)への物語的移行が容易であり、作者の筆の冴えを感じさせる。

③嬌杏と雨村に嫁した英蓮、:脂評2

実に見事である。英蓮に付された「命はあれど運はなし」という四字と、はるかに照応し合っている。

「蓮」はあるじを表し、「杏」はしもべを表す。ところが今、蓮はかえって運に恵まれず、杏は命も運もともに備えている。

これによって分かるのは、世の人の行く末は、もとより眼前の高下にあるのではなく、運数にこそあるということだ。

ここには、まことに深い意味が秘められている。

④たまたま放ったその一手:脂評3

まことに妙である。そもそも娘というものは、本来、私情をもって家の外の人間に心を配るべきではない、という意味である。

⑤同上:脂評4、考察

さらに妙である。

礼を守り、天命を待つだけの者は、ついには餓死者となるほかないことが分かる。

その揶揄と寓意は、決して小さなものではない。

殷代の伯夷淑斉の例が思い起こされる。司馬遷の「天道是か非か」という命題を飲みこんだうえで、さらにそこを反駁、追求していこうという意志が感じられる。

⑥身後余り有るも手を縮むるを忘れ、眼前路なく 頭をめぐらさんと思う。:脂評5

寧栄両家の人に言っているように見せてわたくし自身に喝を入れているのである。

⑦雨村が智通寺に対して思う場面:脂評6、考察

随筆のようにさりげなく禅機を織り込み、あわせて後文に出てくるいくつもの語録が、決して空振りに終わらぬよう伏線を施している

すなわち紅楼夢には禅的要素が含まれていることが分かる。

⑧老僧が粥を焚く場面:脂評7、考察

これは雨村の気負い、すなわち昂ぶった気性である。

⑨雨村が老僧の意を悟らぬ場面。;脂評8、考察

これはひっくり返った言い方である。すなわち雨村が老僧の意を悟らない(=禅機を悟らない)意か。

⑩一連の老僧とのやり取り:脂評9

結局のところ、雨村はやはり俗眼の人であり、阿鳳・宝玉・黛玉らがまだ悟りに至る以前の姿は見分けられても、すでに証悟した後の境地は見抜くことができない。

寧国府・栄国府の繁華の極みに踏み入る前に、まず一つの荒涼たる小さな境地を書き、

全篇にわたる入世の迷いを描く前に、先に一人の出世して「目覚めた」者を描く。

風を巻き返し、雪を舞わせ、峡を逆流し、波を逆立てる。

これは、ほかの小説には見られぬ筆法である。

⑪寧栄両家ともかつての栄華はもうなくなっています。:脂評10

  この一句をよく心に留めておけば、書中に描かれる栄国府は、すでに末世に入っていることが分かる。

⑫宝玉の記述:脂評11

本書中の第一の人物でありながら、このようにあっさりと描き出している。

それゆえ、後に宝玉(玉兄)について、冗長で煩雑な筆致を費やすことがないのである。

⑬甄家の記述。:脂評12

また一つの真の家を示し、特に仮の家と遥かに対照させている。

ゆえに、仮を描けば、真がおのずから知れるのである。

⑭甄宝玉について:脂評13

甄家の宝玉は、上半部では描かれない人物である。それゆえこの箇所でことさらに力を入れて明示し、賈家の宝玉をはるかに照応させている。およそ賈宝玉を書くすべての文章は、すなわち甄宝玉の影を映し出すためのものなのである。

⑮甄宝玉が妹妹!とさけぶ場面:脂評14

古来いまだ聞いたことのない奇語をもって、ゆえに古来いまだ見たことのない奇文を書き上げたのである。ここは本書一部の中でも、とりわけ大きな諧謔と寓意が込められた箇所である。そもそも作者は、鶺鴒せきれいの悲しみと**棠棣どうていおそれ**とを胸に抱いたがゆえに、このような閨房・家庭の内側を語る物語を著したのである。

鶺鴒せきれいの悲しみと**棠棣どうていおそれ、血縁の喪失感とそれに縛られることの嘆きを表す。


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