第一回
①先に述べたとおり、紅楼夢、あるいは石頭記は作家としての理想形の小説である。
すなわち、省略するところは省略し、ほのめかすところはほのめかし、よくよく読み込めば細部まではっきりと分かる構成となっている。しかしながらそれは書き手の立場で読み込んだうえでの話であり、必ずしも読み手に優しいとはいいがたい。本翻案では書き手の立場で読み砕いて翻案を行っていくが、それは書き手としての小説の美しさを損なうことでもあることをお許し願いたい。
②脂評の姿勢を宣言した脂評:脂評1
事柄は「実」に則っているが、その叙述にはしっかりとした骨組みがあり、婉曲に書かれているところがあり、順序どおりに書かれているところもあれば、逆に書かれているところもある。それぞれに照応があり、隠しているところと、現れているところがあり、主題の話も挿話もある。さらには見えないように伏線が引かれ、余韻を残し、一つの事柄で両方に響き合い、陽動させながら密かに本筋を進める。変幻の極地、脇で主を引き立て、見えないところまで念入りに仕上げられ、幾層にも描写を重ねられている。その他にも書中の秘法は少なくない。ゆえに私も各回ごとにこれを探り、抉り、解き明かし、明白に注釈した。高名の士のご批正を待ち、なお誤謬をお示し願いたい。
③名を情僧とあらため:考察
仙道道人は発言からも分かる通り「理」の人であった。ゆえに情の神髄を知り、悟りの極地に達し、名を改めたのだと思われる。
④閶門などの描写:脂評2
わざとはっきりしないように(あるいはごまかして)書かれている。ゆえに、この部分から虚構としての語りが形を取り始める。
「葫蘆」は愚かの意。
⑤士隠の名について:脂評3
虚構の言葉に託して、真実を覆い隠したのである
甄家の出来事が曹家の没落へ仮託されているの意か。学問として書く気はないので、ここはなおざりにしたい。
⑥英蓮の名:脂評4
英蓮(ying lian)は応憐と音が通じ、「憐れむべし」となる
⑦太虚幻境の話:脂評5
「『紅』の字を点じた。この『絳珠』の二字を思いめぐらせば――それは血の涙にほかならぬではないか。
⑧雨村の名:脂評5
雨村というのは、村里の粗い言葉を意味する。その粗野な言葉を借りて、一幕の虚構を描き出したのだ。