最終話 混乱の世界に咲く華
――王宮の舞踏会。
煌めくシャンデリアの下。
楽団が舞踏曲を奏で、美々しく装った人々がくるくると踊っています。
その中で一層人目を引く存在。
淡雪のようなドレスの裾を優雅にさばき、妖精のように軽やかに踊る、金髪に紫の瞳の美貌の公爵令嬢。
社交界の華デイジー・エンフィールド。
「さすがはデイジー嬢」
「こんな速いテンポで呼吸も乱さず、なんと優雅な」
「細剣のように鋭い身のこなし」
曲が終わると、踊りを終えたデイジーに求婚者たちが群がり、次の曲のパートナーとなる栄誉をデイジーに懇願します。
「デイジー嬢、私と踊ってください」
「デイジー嬢、ぜひ」
デイジーに求婚している令息たちは、デイジーと踊るために日々ダンスの修練に励んでいます。
デイジーが一人の令息の手を取り、次の曲を踊り始めます。
令息たちは羨望の眼差しで、令嬢たちは憧れの眼差しで、デイジーが優雅に踊る姿を眺めています。
年配の武官もデイジーの機敏な動きや何曲も踊り続ける体力に感心しています。
「バジル様もどなたかと踊っていらしたら?」
私は婚約者のウィロウと、バジル様と一緒に、デイジーが踊る姿を眺めていました。
「いえ、私は、デイジー嬢以外とは踊りません」
「ダンスは一曲なら浮気に当たらなくてよ? ただの社交辞令だわ」
「疑われるような行動はいたしません。絶対に」
バジル様は深刻な顔をなさいました。
「カトレア夫人に聞きました。デイジー嬢がどれだけ浮気者を蔑んでいるかを。求婚の良い返事を貰う確率を上げるためには、ほんの少しでも疑われるようなことはしたくありません」
「他の人とダンスしたくらいでは嫌われたりしないと思うわよ? デイジーも踊っているもの」
「リナリア嬢、私をそそのかして足を引っ張ろうとしていませんか?」
「そのような意図はございませんことよ。私たちお友達でしょう。バジル様のダンスの向上のために、場数を積んだ方がよろしいかと愚考したまでです」
「講師と毎日練習しています」
最近、我が国の社交界はダンスのレベルが高いと諸外国から賞賛されています。
そのためか他国から賓客がいらっしゃることが増え、王宮で舞踏会が開かれる回数も格段に増えました。
貴婦人のドレスも、ダンスで美しく翻る装飾が流行しています。
我が国の社交界で流行しているドレスやその装飾は、周辺諸国にも影響を及ぼしています。
もちろんダンスの隆盛や、翻る装飾のドレスの流行には、私のデイジーが貢献しています。
文化に貢献し、流行を作ってこそ貴族。
デイジーもすっかり貴族らしくなったものです。
社交界の華、流行の最先端、美貌の公爵令嬢デイジー・エンフィールドの名は、いまや諸外国にまで轟いています。
余談ですが。
過日の王宮の園遊会で勃発した水蓮池での合戦は、一部の武官たちの琴線に触れたようで、あの合戦を競技化しようという動きがあります。
デイジーの一言から作られてしまった地獄でしたが、あれも文化に貢献するかもしれませんね。
「デイジー嬢、貴女のダンスは聞きしに勝る。ぜひ私と踊って欲しい」
デイジーに黒髪の令息がダンスを申し込んでいます。
黒髪に、珍しい紅目。
すらりとした長身に美貌、堂々とした所作。
見覚えのない令息です。
外国のお客様かしら?
「私はダンスには少し自信があるのです。ぜひお相手を願いたい」
「貴方はどなた?」
デイジーがそう質問すると、黒髪紅目の令息は答えました。
「ロキと申します」
「どちらのお家のお方かしら?」
「隣国から来ました。さあ、曲が始まりました」
「あら、この曲は……難しいですよ?」
「望むところです」
速いテンポの、異国情緒のある旋律の曲です。
帝国の舞踏曲ですね。
私のデイジーは簡単そうに軽やかに踊っていますが、高速の難曲に降参なさった皆さんは会場の中央から撤退しています。
ロキと名乗った黒髪紅目の令息はダンスに自信があると言っていただけあり、デイジーと互角に渡り合っていました。
デイジーの刃のように鋭いターンにドレスの裾がふわりと翻ります。
会場の中央で踊る二人のハイレベルなダンスに、人々はほうっと感嘆を漏らしながら見入っています。
「素晴らしい」
「美男美女、そして超絶技巧」
「もはや芸術だ」
曲が終わり、デイジーと黒髪紅目の令息が踊り終えると、会場には拍手が巻き起こりました。
「デイジー嬢、素晴らしいです。この曲でこれほど優雅に踊れる令嬢は帝国にもそうはいません」
「ロキさんは帝国からいらしたのですか?」
「はい帝国から来ました」
黒髪の令息は、真紅の瞳でデイジーを見つめて言いました。
「今日のところはこれで退散いたします。デイジー嬢、近々またお会いしましょう」
デイジーの元から立ち去る黒髪紅目の令息の背中に、バジル様が仇敵でも見るかのような暗い眼差しを向けておられます。
「リナリア嬢、ここだけの話、あの男は……」
◆
「あの怪しい男が?! 帝国のグロキシニア皇太子殿下?!」
「ええ、そうだったのですって」
デイジーに、帝国の皇太子グロキシニア殿下から結婚の申し込みがありました。
先日の舞踏会でデイジーが踊った令息のうちの一人、ロキと名乗った黒髪紅目のダンスの巧みな令息が、帝国の皇太子グロキシニア殿下でした。
お忍びで我が国に来ていたとのことです。
グロキシニア皇太子殿下のお忍び旅行には王家が協力していましたので、王族のバジル様は彼の正体をご存知でした。
王宮の舞踏会に、出自不明の者が居るわけがありませんものね。
身分を持っていなければそもそも招待されません。
「一曲踊っただけで結婚を申し込んで来るなんて、気持ち悪いです」
デイジーが嫌そうな顔をして言いました。
「それにグロキシニア殿下って皇太子なのでしょう? 皇太子なのにどうして婚約していないのですか。あの年齢で婚約者もいないなんて、何か裏がありそうで怖いです。婚約破棄してそう……」
「そうね。皇太子なら普通は婚約くらいしているものよね」
「事故物件ではないでしょうか。皇太子なのに、身分を隠して他国の舞踏会でふらふらしているのもおかしいです。帝国の皇太子ってそんなに暇なのですか?」
デイジーは苦い物を噛んだように顔を顰めました。
「気持ちが悪いから嫌です。お断りしてください」
デイジーがおぞましそうにそう言うと、父は確認するように言いました。
「デイジー、本当に断って良いのかね? 帝国の皇太子と結婚したら、いずれは皇后だ。世界一身分の高い女性になれるのだぞ?」
「それでも嫌です」
「よしよし」
父は呑気な笑顔を浮かべて言いました。
「デイジーが嫌なら断ろう」
いつものことですが、父は何も考えていません。
それにしても。
帝国の皇太子とは、大物が釣れたものです。
さすがは私が育てたデイジーです。
これは世界最高の縁談ではないかしら。
平穏で幸福な結婚を望む娘にとっては大凶事でしょうけれど。
「帝国から、我が国の王家を通しての結婚の申し込みよ。外交問題にもなるから慎重に対応しなければならないわ。帝国と戦争になったら分が悪いもの」
もし、帝国と戦争になったら……。
現状では負けます。
勝つためには。
まずはあの腰抜けで愚鈍な国王を交代せねばなりません。
そして国力で劣る我が国は、周辺諸国と軍事同盟を結ぶ必要があります。
三国同盟で互角。
教皇庁から大義名分を得て七国連合軍を作れれば上々。
しかしながら、それらを整えるには時間が必要です。
「グロキシニア皇太子殿下は、次は、公式に国賓としていらっしゃるわ。無下には出来なくてよ。デイジー、笑顔の仮面を忘れずにね」
「はい、お姉様。心得ております」
今のデイジーはまさに『傾国の令嬢』かもしれません。
最悪、帝国と戦争することになるのですもの。
結婚を断られたくらいで帝国が軍事侵攻して来るとは思えませんが。
帝国の皇太子が他国の公爵家の養女に求婚することがそもそも異常なのです。
何が起こるか解りませんので、最悪を想定する必要があります。
デイジーは今や我が国の文化を牽引する社交界の華で、周辺諸国の流行を左右する多大な影響力を持っています。
しかし帝国の未来の皇后とするのであれば、血筋を重視するはずですのに。
「デイジーはグロキシニア皇太子殿下とは結婚したくないのよね?」
「はい」
「ではまずは、やんわりとご辞退して様子をみましょう」
賽は投げられました。
私たちの征く先は、天国か、はたまた地獄か。
「大丈夫よ、デイジー。私に任せておきなさい」
「はい、リナリアお姉様!」
共に手を取り合って行きましょう。
この理不尽な混乱の世界を。
――完――
『かわいそうな欲しがり妹のその後は』これで完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ブクマ、評価、感想、リアクション、誤字報告などもありがとうございました。
短編『かわいそうな欲しがり妹』からお読みいただいている皆様、こちらもお読みいただきありがとうございました。
短編でお寄せいただいた「父が何を考えてるか」という疑問にお答えすることが出来ていれば嬉しく存じます。
暑い日々が続く中お付き合いいただきありがとうございました。
またいつかどこかでお会いできれば幸いです。




