31話 水蓮池の合戦(2)
「カルドン! 叛逆罪だぞ!」
アイヴィー王子殿下はカルドン様を威嚇しました。
「ウィード公爵令息、何をなさるのです!」
アイヴィー王子殿下に付き従っていた侍従も顔色を変えてカルドン様に言いました。
「王太子殿下に触れるとは不敬ですぞ!」
王宮の園遊会で、公爵家の嫡子が王太子を羽交い絞めにするという、有り得ない事態を前に侍従は狼狽えています。
侍従は大抵が貴族の子弟で、王族の身の回りの世話や秘書などの仕事をしています。
護衛とは違い、戦闘訓練は受けていません。
「王太子殿下はご乱心なさっておられる。貴様が不甲斐ないゆえ、私がこうしてお助けしているのだ」
カルドン様は悪意に満ちた笑みを浮かべました。
「カルドン! 貴様ぁ!」
アイヴィー王子殿下はじたばたしながら叫びましたが、体格の良いカルドン様にがっちり羽交い絞めにされて自由を奪われています。
「王太子である私を害して、どうなるか解っているだろうなぁ!」
激高しているアイヴィー王子殿下に、カルドン様は慇懃無礼に答えました。
「王太子殿下はご乱心なさり、池に身投げなさろうとしていらっしゃる。ゆえにお助けしているのです。御身をお守りするのは臣下の役目でございますゆえ」
「よくやった、カルドン」
ウィード公爵が食えない笑みを浮かべながら悠然と歩を進めて来ました。
そしてアイヴィー王子殿下を侮蔑するような目で見やると、カルドン様をねぎらいました。
「よくぞ王太子殿下のお命をお救いしたな。カルドン、手柄だ」
「臣下として当然のことをしたまでです」
「ウィード、貴様ぁ!」
アイヴィー王子殿下は憎々し気にウィード公爵を睨みました。
その対立の光景を前に、バジル様は水幽霊のような姿ながら堂々とウィード公爵に言いました。
「ウィード公爵、ご子息がアイヴィー王子殿下の御身を救ったこと、私がこの目でしかと見届けた。よくぞアイヴィー王子殿下を救ってくれた」
「お褒めにあずかり光栄の極み」
ウィード公爵は恭しくバジル様に礼をとりました。
これは。
ウィード公爵は王弟殿下の側に付いたのかしら。
王弟殿下なら、ウィード公爵とドラセナ侯爵たちを仲裁できるでしょうね。
もともとドラセナ侯爵たちのウィード公爵に対する悪感情は逆恨みですから。
和解せずとも、現国王とその王子たちという共通の敵を倒すために一時的に手を組むことは有り得ることです。
「さあ、王太子殿下、あちらでお手当をいたしましょう」
ウィード公爵とカルドン様は「王太子殿下、ご乱心!」と、これみよがしに周知を始めました。
「ウィード! 放せ! 無礼者めが!」
「殿下を池に身投げさせるわけにはまいりませぬ」
「何をしようが私の勝手だろうが!」
アイヴィー王子殿下は池に飛び込みたいらしく、微妙な内容を喚き散らしているので、これは乱心しているように見えますね。
ウィード公爵たちがそう見せたいのでしょうけれど。
◆
「デイジー嬢、ご覧ください!」
「私の真実の愛を捧げます!」
闘争と混乱の水蓮池から、びしょ濡れで水幽霊のような姿になった令息たちがデイジーに向けて愛を叫んでいます。
さながら地獄からの誘いです。
「お姉様、これ、どうすれば良いですか……?」
デイジーが虚無の表情で、途方に暮れたように言いました。
「何もしなくて良いわ。結婚したいご令息がいるなら答えて良いけれど」
「……いえ……それは……。もう少し、考えたいので……」
デイジーは言葉を濁すと、不安そうな顔で質問を口にしました。
「国王陛下のお池を荒らしてしまって、大丈夫でしょうか……」
「どうとでも言えるから大丈夫よ」
そう答えた私の隣では、私の婚約者ウィロウが水蓮池の惨劇を見ながら相変わらず「ニムファエア・ピンク・フレアが……」と泣きそうな顔で水蓮の学名を唱えています。
「国王陛下の園遊会なのに?」
表情を強張らせてそう問いかけたデイジーに、私は微笑みを返しました。
「そもそも案内役を任された王子殿下たちが、デイジーを口説き始めたのがいけなかったんですもの。招待客を口説こうとして、嫌がられてもつきまとうなんてホスト役として失格よ。主催者側に落ち度があるわ」
「!」
「未婚の娘に父親の許可もなく言い寄るのは礼儀知らず。今まで咎められずに許されていたから、悪いことをしている自覚がなかったのでしょうけれど」
「王子殿下たちがいつも私にかまっていたのは、悪いことだったのですか?」
「あれは無作法とまでは言えなかったわ。感心できない事ではあったけれど。葡萄酒事件までは、彼らは当り障りのない話をしていたし、ダンスも一曲だけだったから、社交辞令の範疇だったの。あの時点では波風を立てるほどのことではなかったわ。まあ、私たちがデイジーと一緒にいたから、口説きにくかったのでしょうけれど。だけど今回は明らかな無礼よ」
あの葡萄酒事件の日まで、彼らはデイジーをずっと囲っていましたが、しかし彼らはただダンスを一曲踊って、当り障りのないおしゃべりをしていただけでした。
あの時点では、あえて波風を立ててまで抗議するほどのことでもなかったのです。
ですが今回は、王子殿下たちは案内にかこつけてデイジーだけを連れ出そうをして、そして積極的に口説いて来ました。
招待客に対して明らかに無礼です。
大方、国王陛下が、デイジーが結婚を承諾したほうを王太子にするとでも言ったのでしょう。
二人とも、バジル様や有象無象たちの奇行を前にして、妙に焦っていて、彼らに負けじと池に飛び込もうとしていましたから。
「王子殿下たちは、今まで何人ものご令嬢たちに言い寄っても抗議されなかったから、感覚が麻痺しているのではないかしら」
「王子だから抗議されなかったのですか?」
「そうね。それと王家にはウィード公爵やドラセナ侯爵が味方についていたから。下位の貴族たちは、王子殿下たちに無礼なことをされても何も言えなかったと思うわ。ダリアさんたちに意地悪されたご令嬢たちの家が、今まで何も言えなかったのと同じよ」
貴族社会は弱肉強食です。
だからこそ婚姻により縁を結び、勢力を増そうとします。
貴族の結婚は、戦争と同じなのです。
デイジーの好感度を上げようと令息たちが池に飛び込んだ行為は、一見奇行に見えますが。
エンフィールドと縁を結べば莫大な恩恵が得られるので、デイジーの好感度を上げるために必死になることは不思議ではありません。
池に飛び込むだけで、エンフィールドから多大な利益を享受できる確率を上げられるなら、あちこちに賄賂を贈るよりよほど安上りです。
それで本当にデイジーの好感度が上がるかどうかは知りませんが。
「お姉様、あれ、お父様じゃないかしら」
「あら、本当。お父様だわ」
水蓮池の向こう岸に、私たちの父エンフィールド公爵が、数人の貴婦人に囲まれているのが見えました。
父は貴婦人たちと一緒に、令息たちの闘争で地獄のようになっている水蓮池を面白そうに眺めて笑っています。
自分の娘がこの地獄を作ったとは、父は夢にも知らないでしょう。
まあ、知ったところで、呑気な父は「デイジーがそれだけ可愛いということだ」と得意になるだけでしょうが。




