29話 真実の愛
「デイジー嬢を案内をするようにという、国王陛下の思し召しだ」
アイヴィー王子殿下はまるで怯えているかのようにデイジーの顔色を伺いながらそう言いました。
デイジーに嫌われている自覚を持ったようですね。
「デイジー嬢、私たちが案内役を陛下より仰せつかりました。池の水蓮が見ごろですのでご案内いたします」
シスル王子殿下が自信に満ち溢れた笑顔で言いました。
こちらはデイジーに嫌われていることにまだ気づいていないようです。
「はい……。ご厚情に感謝いたします」
デイジーは笑顔の仮面で王子殿下たち答えると、私とウィロウを振り向きました。
「お姉様、王子殿下たちが案内してくださるそうです。お言葉に甘えましょう」
エスコート役の父が雲隠れしてしまったので、このままではデイジーは王子殿下たちにエスコートされてしまいそうですものね。
もちろん私たちも一緒に行きます。
「まあ!」
私は幸運を得たかのような喜びの表情で、王子殿下たちに礼を述べました。
「王子殿下に直々に案内していただけるなんて、なんて素晴らしいんでしょう。光栄の極みにございます」
「あ、ああ……、リナリア嬢、喜んでもらえて嬉しい」
歯切れの悪い口調で、シスル王子殿下が私に言いました。
アイヴィー王子殿下は無言で様子を窺っています。
◆
王子殿下たちに先導され、私たちは水蓮の咲く池のほとりへ行きました。
バジル様や有象無象の令息たちは、私たちとは少し距離をとりながら後を付いて来ています。
「とても綺麗ですね」
暗緑色の池の水の上に、水蓮が丸い葉を広げ、淡いピンク色の美しい花をいくつも咲かせています。
この国では、水蓮の花といえば白色ですが、この水蓮はピンク色です。
「ピンク色の水蓮は初めて見ました」
「外国から取り寄せた品種で、陛下の自慢の水蓮なのです」
シスル王子殿下が得意気にデイジーに説明をしました。
私たちは水蓮や庭園の当り障りのない話題で、しばし歓談しました。
ですが、その歓談の間ずっと黙っていたアイヴィー王子殿下が、意を決したように顔を上げました。
「デイジー嬢……。その……、誤解を解いておきたい……」
アイヴィー王子殿下がおずおずとデイジーに言いました。
「私は決して浮気をしたわけではない。ダリアは政略結婚の相手で、愛はなかったのだ。浮気ではない」
『政略結婚で愛はない』というのは、どこかで聞いたセリフです。
私たちの父が、カトレア夫人をはじめとする愛人たちに挨拶代わりに言っていたセリフですね。
デイジーも同じことを思ったようで、すっと冷めた顔をしました。
「でもダリアさんは、殿下のご婚約者でいらしたのでしょう?」
デイジーが凍てついた眼差しでそう言うと、アイヴィー王子殿下は狼狽えてさらに言い訳をしました。
「国王陛下が決めた政略結婚の相手だ。陛下の意向に逆らえず義務で婚約したが、愛はなかった。デイジー、私が本当に愛しているのは君だけだ!」
またどこかで聞いたセリフが飛び出しました。
『本当に愛しているのは君だけ』という父のセリフを、カトレア夫人は真に受けてしまい、他にも愛人がいることを知らなかったのですよね。
私とデイジーは、たびたびカトレア夫人の愚痴を聞いていましたので、父のこれらのセリフはデイジーもよく知るところとなっています。
「アイヴィー王子殿下は、私に会う以前から、他のご令嬢たちとも、特別にとても親しくしていらしたのでしょう?」
「……っ!」
葡萄酒事件より以前から、ダリアさんたちが令嬢たちを虐げていたことはバジル様たちの調査で明らかになっています。
ダリアさんたちが標的にした女性たちの大半は、アイヴィー王子殿下たちが言い寄った女性たちだったという事も。
アイヴィー王子殿下たちの女性遍歴や不誠実な所業の数々は、葡萄酒事件の調査結果と称して、バジル様が嬉々として、私とデイジーに報告してくださいました。
バジル様にとっては、恋敵を蹴落とす好機でしたものね。
「他のご令嬢たちにも、同じことを言っていたのではありませんか?」
デイジーが素っ気なく言うと、アイヴィー王子殿下は言葉を詰まらせました。
「デイジー嬢、私は違います!」
シスル王子殿下がここぞとばかりに言いました。
「私は兄上のように、あちこちの女性に声をかけまくるようなことはしていません! デイジー嬢だけです!」
「シスル王子殿下にもアイリスさんというご婚約者がいらしたではありませんか」
「アイリスは政略結婚の相手です。私が愛しているのは、最初からデイジー嬢だけです」
「ではどうして、アイリスさんと婚約解消をなさらなかったの?」
「国王陛下がお決めになった政略結婚でしたので、解消することが難しかったのです」
「陛下が婚約解消を許可してくださらなかったら、シスル王子殿下は、私を愛人になさるおつもりでしたの?」
「そ、そんなことは……ありません……」
シスル王子殿下は言葉を少し詰まらせながらも続けました。
「いずれきちんとするつもりで……」
「シスル、嘘を吐くな!」
アイヴィー王子殿下が横槍を入れました。
「嘘ではありません! いずれきちんと父上に奏上するつもりでした!」
シスル王子殿下は弁明しましたが、アイヴィー王子殿下はそれを瞬殺しました。
「デイジー嬢、シスルは嘘を吐いている。デイジー嬢の前にもプリペット男爵令嬢と仲良くやっていた」
「……っ!」
プリペット男爵令嬢というのは、養女になった庶子ですね。
デイジーを囲っていたアイヴィー王子殿下たち四人は、もれなく平民の血が入った養女に言い寄っていた前科がありました。
それでダリアさんたちは平民出身の養女への憎悪で共感し合い、団結していたのです。
アイヴィー王子殿下が言うとおり、シスル王子殿下は嘘を吐いています。
それにしてもこの兄弟、愚鈍ですね。
もしシスル王子殿下がデイジーに選ばれたら、それは王家がエンフィールドを得るということなので、アイヴィー王子殿下にとっても利益ですのに。
足の引っ張り合いをするとは頭が悪い。
もっとも、王子殿下は二人ともすでにデイジーに嫌われていますので、アイヴィー王子殿下がシスル王子殿下に協力したとしても今更ですが。
「プリペット男爵令嬢はただの友人です。デイジー嬢、信じてください!」
「この期に及んで嘘を吐くな」
「見目の良い令嬢がいれば片っ端から言い寄っていた兄上にだけは、言われたくありません!」
「何だと!」
王子殿下たちは喧々囂々と貶め合いを始めました。
「もう、いい加減になさって……!」
デイジーは笑顔の仮面を外し、眉を歪めて言いました。
「……!」
「……っ!」
王子殿下たちが、はっとして口を閉じました。
「私がお二人を結婚相手に選ぶことはありませんので、お引き取りください」
「デイジー! 本当に愛しているのは君だけなんだ!」
「デイジー嬢、私の貴女への気持ちは真実です! どうか信じて!」
「……本当に、私のことが好きなんですか……?」
デイジーは冷め切った顔で質問しましたが、王子殿下たちは即座に答えました。
「本当だ! 愛している!」
「愛しています!」
「ふうん……。そんなに私のことを愛しているって言うなら、行動で見せてください。いくら言葉を並べられても信じられませんから。行動で見せて……」
デイジーはすっと片手を上げて、水蓮の浮かぶ暗緑色の池を指しました。
「私のことを本当に愛しているなら、今すぐ、この池に飛び込んでみせて!」
目が座っているデイジーにそう言われ、王子殿下たちは面食らった顔をしました。
「は……?」
「え……」
水蓮の池は鑑賞するには美しい色合いですが、淀んだ暗緑色の水は、手を浸すことすら躊躇する色合いです。
正直、触りたくないです。
ましてや川や池に飛び込んだ経験などない、やんごとない身分の方々です。
戸惑うのは当然のこと。
――そのとき。
「デイジー嬢!」
すこし離れた場所から声が上がりました。
バジル様です。
「デイジー嬢、見ていてくださぁぁあい!!」
バジル様はデイジーの視線を受けるや否や、水蓮の池に突進しました。
そして池の手前で力強く踏み切り、天高く跳躍しました。
「トウッ!!」
掛け声とともにバジル様は、水蓮の池に飛び込みました。
――バッシャーン!!
盛大な水音がして、水しぶきがあがりました。
「な……!!」
「きゃっ!」
水音と水しぶきに驚いた周囲の人々が、小さく悲鳴を上げます。
一度は暗緑色の池の水に沈んだバジル様ですが、すぐに立ち上がりました。
「デイジー嬢、見てくれましたかぁぁ!」
バジル様は池の中で、びしょ濡れの姿でにっかりと笑いながら、両手をぶんぶん振りながらデイジーに言いました。
「私の! 真実の愛をぉぉっ!」




