28話 傾国の令嬢
――王宮の園遊会。
私は婚約者のウィロウに、デイジーは父エンフィールド公爵にエスコートされて出席しました。
美しく手入れされた王宮の庭園で、身分の高い者から順に並んで国王陛下をお待ちしています。
私たちは公爵家が並ぶ上座に陣取っていました。
ウィード公爵夫妻とその嫡子カルドン様、オークリー公爵夫妻と嫡子ルピナス様たちも共に並んでいます。
ウィード公爵の嫡子カルドン様はダリアさんのお兄様です。
「エンフィールド公爵、よく来てくれた」
「お招きいただき光栄に存じます」
父がエンフィールド家を代表して国王陛下に招待の礼を述べました。
さすがに公式の場ですから、父も国王陛下に「おい、国王」などと気安い呼びかけをしたりはしません。
表向きの顔で、行儀良く定型の挨拶を述べています。
大抵は家長が挨拶を述べ、国王陛下は家長に一言声をかけるだけで終わります。
招待客は大勢いますので長話はしないのです。
ですがデイジーは特別に国王陛下にお言葉をいただきました。
「デイジー嬢もよく来てくれた。池の水蓮が見ごろだ。後で息子に案内させよう」
「ご厚情をたまわり光栄に存じます」
◆
「国王陛下からお言葉を賜るとは」
「さすがです、デイジー嬢」
国王陛下へのご挨拶が終わると、招待客たちはそれぞれが自由に美しく手入れされた庭園を散策しました。
デイジーの周囲には求婚者の有象無象が集まって来ています。
デイジーをエスコートしていた父は、いつものことなのですが、私とウィロウにデイジーのことを任せると、どこかへ油を売りに行ってしまいました。
デイジーの周囲に集まる若い令息令嬢とは、父は齢が離れすぎていて話題が合わないこともあり退屈なのでしょう。
デイジーは社交界デビューした直後に、王子殿下たちにがっちり囲まれてしまいましたので、今まで有象無象はデイジーに近づけずにいました。
それがあの『悪夢の夜会』の以後、囲いが消えたことにより、大勢の若い令息令嬢がデイジーの周囲に集まるようになりました。
今日のこの王宮での園遊会は国王陛下の主催で、下位貴族は当主夫妻しか招待されていないため若い令息令嬢の数は少なめですが、それでもデイジーの周囲には令息たちが集まって目立つ集団になっています。
その様子を、少し離れた場所から恨めしそうに見ている令息がいます。
「……」
ピオニーさんの元婚約者、オークリー公爵令息ルピナス様です。
貴族たちの私的な夜会やサロンではお見掛けしなくなっていたお方です。
ルピナス様からの求婚をデイジーはすでにお断りしていますが、彼はまだデイジーのことを諦めていないのでしょうか。
デイジーをじっと見つめています。
さらに、デイジーとその周囲に集まる令息たちの光景を眺めて、年配の貴族たちが囁き合っています。
「デイジー嬢の人気は凄いな」
「社交界一の美貌のご令嬢ですもの」
「国王陛下がデイジー嬢にお声がけなさったのは、やはり……」
「デイジー嬢をめぐって、王子殿下たちは兄弟喧嘩中だとか」
「もしシスル王子殿下がデイジー嬢を得れば、王太子が変わるかもしれん」
「エンフィールドの後ろ盾を得ることになりますものね」
皆、表立っては言いませんが。
国王陛下がエンフィールド公爵に、アイヴィー王子殿下とデイジーの縁談を持ち掛けた話は密かに広まっています。
私がウィード公爵とドラセナ侯爵に告げ口しておきましたからね。
「だがデイジー嬢は平民の血が混じっている。王子妃にはなれないのでは?」
「エンフィールドを得るためなら王室典範を変更するだろう」
「王室典範の変更は、両刃の剣となりそうだな」
両刃の剣は、そのとおりです。
国王陛下はたしかに王室典範を変更することができます。
しかし他の王族や貴族の理解を得られないまま変更すれば、「王室典範を変更した国王は、国王として不適格」とされ、他の王族や貴族たちに退位をせまられることになりかねません。
退位を迫られても、それをねじ伏せる力があれば良いのですが。
国王陛下は現在、ドラセナ侯爵とウィード公爵を敵に回し、ドラセナ侯爵は王弟殿下と懇意にしている状態です。
うかつに王室典範を変更すれば、ドラセナ侯爵が王弟殿下を立てて、国王陛下の足をすくいに来る可能性は無きにしも有らずです。
国王陛下は、デイジーを得てエンフィールドを味方につければ、敵をねじ伏せることができると考えているのでしょうけれど。
「バジル様もデイジー嬢に求婚しているそうよ」
「王子の称号を持たないバジル様は、王子殿下たちより分が悪そうね」
「いや、解らんぞ。王弟殿下は財務大臣ドラセナ侯爵と懇意だ。もしバジル殿がエンフィールドと縁を結んだら大勢力となる。盤面がひっくり返るかもしれん」
「まさに『傾国の令嬢』ですわね」
そう、最近、デイジーには『傾国の令嬢』という二つ名があります。
ドラセナ侯爵の派閥による、ウィード公爵やオークリー公爵への攻撃により、民草の生活にも影響が出ることになりました。
王宮の文官の入れ替えによる仕事の遅延や、特定の品目の値上がりなどによるものです。
民草の生活を破壊するほどのものではありませんが、社会の不穏な変化に気付いた者たちは、原因を探ろうとするものです。
そのため、社交界から漏れ出た『悪夢の夜会』や『葡萄酒事件』の噂は、市井にも広まっていました。
民草たちは「さる美貌の令嬢をめぐって、王子や令息たちが争っているらしい」だの、「さる美貌の令嬢に嫉妬した他の令嬢たちが王家に処罰されたため、処罰された家の家長たちが復讐戦をしている」だのと噂しているとのことです。
そして事件の中心人物である「さる美貌の令嬢」デイジーは、民草たちに『傾国の令嬢』の渾名で呼ばれるようになりました。
その市井での渾名が、今度は社交界に逆輸入され、『傾国の令嬢』はデイジーの影の二つ名となっています。
国を乱す争いの火種となっているので『傾国の令嬢』と呼び出したのでしょうが。
でもシスル王子殿下とバジル様は、デイジーを得れば王座を目指せます。
デイジーは傾国の令嬢というより、むしろキング・メーカーではないかしら?
王妃にもなれる淑女にデイジーを育てたのは私ですけれどね。
そして……。
ある一つの怪談も、市井ではまことしやかに囁かれています。
その怪談は「ゴブリンが王子と結婚しようとして貴族令嬢に成りすましていた」というものです。
無知で無学な平民は迷信深いですから、こういった怪談は市井に広まりやすいようです。
実際に、ウィード公爵令嬢ダリアさんとドラセナ侯爵令嬢アイリスさんは、王子殿下たちの元婚約者で、そして婚約破棄されて修道院へ行ったという、少しの真実があります。
その少しの真実が相まって「本当に王子と婚約していた貴族の娘が、婚約破棄されて消えたらしい。本当にゴブリンだったのでは?!」などと信憑性を増しているとのことです。
◆
「リナリア嬢、ウィロウ殿、ごきげんよう」
有象無象の令息たちに遅れて、バジル様がいらっしゃいました。
バジル様は王族で、今日の王宮の園遊会では主催者側の家族であるため、招待客への挨拶に手間取ったのでしょう。
お父君の王弟殿下は、最近人気がとても高くていらっしゃいますものね。
国王陛下をしのぐほどに。
「デイジー嬢、ごきげんよう。王宮の庭園はいかがですか?」
バジル様は早速、デイジーを囲む有象無象たちの輪に入り、デイジーに話しかけました。
「あちらでエルダーフラワーが見ごろです。休憩用のテントではエルダーフラワーの花を漬け込んだシロップ水を振舞っています。ご案内します」
しかし……。
「デイジー嬢、ごきげんよう……」
「ごきげんよう、デイジー嬢。楽しんでいただけていますか?」
「……アイヴィー王子殿下、シスル王子殿下……」
少し控えめな態度のアイヴィー王子殿下と、自信満々のシスル王子殿下がいらっしゃいました。
それまで、内心はどうあれ、和やかな表情だったバジル様と有象無象の令息たちは、かつてデイジーを強固に囲っていた二人の王子殿下の登場にすっと顔色を変えました。
これは一悶着ありそうです。




