18話 不協和音
「エンフィールド公爵、我が娘アイリスに非があったのであれば謝罪する。だが通行料の値上げは考え直して欲しい」
顔色を悪くしているドラセナ侯爵が思いつめた表情で、私たちの父エンフィールド公爵に言いました。
「通行料を倍額にされたら被害を受けるのは我が領だけではない。あちこちで物資が値上がりして国全体の経済が揺らぐことになる。小規模な商店は軒並み破産するかもしれん」
さすがはドラセナ侯爵。
財務大臣を任されているだけのことはあり、先の事を考えていらっしゃいます。
後先を考えないうちの父とは大違いです。
通行料が値上がりすれば、その分、輸送された物資の値も上がりますものね。
大商人はともかく、ぎりぎりで運営しているような木っ端商人には厳しいでしょう。
また、畑作地の少ない王都は、食料の大半を地方からの輸送に頼っていますから、食料が値上がりしたら貧しい平民の食卓は打撃を受けることになります。
「ふん、ならば貴殿らが責任をとって国民に施してやればよかろう。貴殿らの娘がエンフィールドに喧嘩を売ったのだからな」
「そ、そんな、無茶な……」
ドラセナ侯爵はますます顔色を悪くしました。
「お父様……」
私は父に言いました。
「ドラセナ侯爵とは後日改めてお話するというのはどうかしら。それまで倍返しも保留にしたら如何? 通行料を倍額にするなら、こちらも、ガジュマル叔父様に相談しなければなりませんし……」
「む……」
叔父の名を聞いて、父は少し顔色を変えました。
私の叔父、父の弟であるガジュマル・エンフィールドは、ちゃらんぽらんな父とは正反対の生真面目な人で、事実上エンフィールド領を治めている人です。
ちなみに父は、叔父を恐れています。
父は、叔父の機嫌を損ねたら暗殺されると思っているらしいです。
嫡子である私を始めとするエンフィールド一族はこぞって叔父を支持しているので、父は外では大きな顔をしていますが、叔父には頭が上がらないのです。
「そ、そうだな。そうしよう。こちらにも都合があるからな。ドラセナ侯爵、明日以降にもう一度話し合うということでどうかね。それまでは倍返しは保留とする」
「相解った。感謝する」
ドラセナ侯爵はそう言うと父の前を辞して、おそらくは会場のどこかにいる娘のアイリスさんを探すために、人垣の中へ入って行きました。
ドラセナ侯爵はこれから、アイリスさんに事の次第を問い質して真実を知るのでしょう。
彼はアイリスさんの馬鹿げた行いに頭を抱えることになるでしょうね。
お気の毒に。
ですが躾のされていない狂犬を野放しにしたのは、ドラセナ侯爵ご自身です。
「お父様、私たちもウィード公爵にご挨拶して帰りましょう」
「ウィードなどに挨拶する必要があるのかね」
「もう二度と招待には応じないって、一応ご挨拶しましょうよ」
「なるほど。よし、言ってやる。任せなさい」
父はそう言うと、ウィード公爵に声を掛けました。
「おい、ウィード」
ウィード公爵はアイヴィー王子殿下と何やら言い合いをしていましたが、父に声を掛けられてこちらを振り向きました。
ウィード公爵と言い合いをしていたアイヴィー王子殿下も振り向きました。
「貴様の顔を立てるために招待に応じてやったというのに、うちの娘たちによくも酷いことをしてくれたな。今後は、お前からの手紙は全部燃やす。絶交だ!」
「ま、まだ、真実だと決まったわけではない」
ウィード公爵は歪んだ顔でそう言いましたが、父は「ふん」と鼻を鳴らしました。
「うちの娘たちが、お前の娘にやられたと言っている」
「一方の意見だけを鵜呑みにするのは愚者のすることだ」
「うるさい。黙れ。うちの娘の言葉が聞けんような奴とは絶交だ。さらば!」
父は颯爽とウィード公爵に決別を告げると、アイヴィー王子殿下に目を向けました。
「おい、小僧、解っているだろうな?」
「……っ!」
父に睨まれてアイヴィー王子殿下は一瞬怯みましたが、王子らしく答えました。
「ああ、解っている」
父は思わせぶりな事を言ってみただけで、何を「解っている」のかは父本人にも解らないと思うのですが。
アイヴィー王子殿下には解ったようです。
凄いですね。
「ダリアとは婚約破棄する。そしてこの件は王家が責任を持って調査して、しかるべき対応をする」
アイヴィー王子殿下は、父の思わせぶりな言葉にそう答えました。
それを聞いたウィード公爵が、歯軋りするようにぎりっと顔を歪めました。
これで、王家とウィード公爵家の間に、確執ができましたね。
そして……。
他でも、小競り合いが始まっています。
「オレガノ君、いくら何でも薄情ではないかね!」
騎士オレガノ様と、オレガノ様の婚約者エリカさんの父クテナンテ伯爵も言い合いを始めています。
「今まで誰が援助してやっていたと思っているのだ!」
「援助には感謝している」
「エリカがどうしてもというから君との婚約を許し、援助までしてやったというのに。恩を仇で返すつもりか!」
「エリカはエンフィールド公爵令嬢を害したのだ。そのような女と結婚できるわけがなかろう。非はそちらにある」
「エリカをエスコートしていたのは君だ。君の責任だろう。君がエリカをしっかりエスコートしてくれていれば起こらなかったことだ!」
伯爵令嬢のエリカさんが、たかが騎士と婚約しているのは釣り合わないとは思っていましたが。
エリカさんの希望でしたか。
しかもオレガノ様は伯爵家から施しを受けていたのですね。
物乞いの身で、よくもデイジーに慣れ慣れしくできたものです。
そして、その他にも……。
「ルピナス殿、我がカポック家を裏切るのですか?!」
ルピナス様と、その婚約者ピオニー様の父カポック伯爵も言い合いを始めています。
「エンフィールドの恨みを買ったピオニーが悪いのだ。共倒れする気はない」
「元はといえば、ルピナス殿の不義理が原因でしょう!」
ふふふ……。
争え、争え。
貴族の婚姻は、お互いの家が仲良くするために結ぶ契約です。
それが一方的に破壊されたら、当然争うことになるでしょう。
せいぜい足の引っ張り合いをするが良いわ。
私のデイジーを貶めて、エンフィールドの家門を侮辱した代償は、高くつきましてよ?
まあ、公爵家の娘を攻撃したのですから、無傷で帰れるわけがないのは当たり前ですよね。
こんな騒動が起きて、ウィード公爵家の夜会は大失敗。
ウィード公爵家の面子を潰して、王子殿下とも婚約破棄されたら、ダリアさんはこれからどうなるのかしら?