15話 飛び出した小娘
「エンフィールド公爵令嬢?!」
「そ、そのお姿は、どうさなさったの?!」
私はウィロウに、デイジーはバジル様にエスコートされて、ウィード公爵夫妻の前に出ました。
ウィード公爵夫妻は私たちの姿を見て目を剥き、顔色を悪くしました。
私もデイジーもバジル様も葡萄酒を浴びた酷い姿ですものね。
それまでウィード公爵夫妻と歓談していらした方々も驚愕に目を見開いていらっしゃいます。
また、私たちの後に、アイヴィー王子殿下を始めとするデイジーの囲いの皆様もぞろぞろと付いていらしています。
ウィード公爵夫妻は彼らにも素早く目線を走らせました。
さらに遠巻きではありますが、大勢の方々がこちらにいらして、私たちに注目しています。
今や、ウィード公爵夫妻と対峙している私たちは、大きな渦の中心となっていました。
ウィード公爵夫妻は何故このような事態になっているのか把握できずに、目を白黒させています。
「ウィード公爵ならびにウィード公爵夫人、葡萄酒のお礼にまいりました」
私がそう言うと、ウィード公爵夫妻は狼狽えました。
「葡萄酒……。い、一体、何があったのだ……?」
ウィード公爵は葡萄酒まみれの私たちを見て、事件があったことは察したようです。
「ウィード公爵のご令嬢、ダリアさんに、このように、葡萄酒を振舞っていただきました。よもや、頭から葡萄酒を浴びせかける歓迎の仕方があるとは思いもよらず、大変驚きました」
私が社交的な微笑を浮かべて言うと、ウィード公爵夫妻は大きく動揺しました。
「ダリアが?! 馬鹿な!」
「そんな、まさか!」
「ウィード公爵、私からも貴殿に礼を言いたい」
バジル様が生真面目なお顔で言いました。
「このような斬新な歓迎の仕方を教えてもらえて嬉しい。ダリア嬢は随分と教養が高いのだな。こんな歓迎の仕方があったとは、私は知らなかった」
王族であるバジル様のその言葉に、ウィード公爵夫妻は蒼白になりました。
嫡子とはいえエンフィールド公爵の娘でしかない私と、爵位を持つウィード公爵本人とでは、ウィード公爵のほうが身分は上です。
しかしバジル様は王子の称号は持たなくとも国王陛下の甥ですので、ウィード公爵より格上の存在なのです。
私の婚約者ですが侯爵令息で少々身分が足りないウィロウはすまし顔で控えています。
公爵家の娘になったとはいえ半分平民のデイジーも淑女らしく笑顔の仮面を張り付けたまま大人しくしていました。
「ダリアが、まさか……」
ウィード公爵は必死に思考しているのか、目を泳がせながら私たちに言いました。
「な、何かの間違いでございましょう……。一体誰がそんな粗相を……! す、すぐにお着替えをご用意いたします……!」
「ダリアさんです」
私は微笑みながら、少し声を張り上げて言いました。
「ダリアさんが手ずから私たちに葡萄酒を振舞ってくださいました」
「そういうわけだ、ウィード公爵。ダリア嬢は随分と作法に詳しいのだな。こんな作法があるとは初めて知った」
私とバジル様が念を押すようにダリアさんの名前を連呼すると、ウィード公爵はこのままでは言い逃れできないと思ったのか戦法を変えて来ました。
「何か行き違いがあったのでしょう」
ウィード公爵は視線を鋭くして、私たちを威圧するかのような態度で言いました。
「メイドが大変な粗相をしたようで、お詫び申し上げます。ダリアがメイドの監督を怠ったことは不手際でございました。メイドは処罰いたしますゆえ、ここは、どうか……」
ウィード公爵がメイドに責任転嫁しようと弁舌を振るいはじめた、そのとき。
「そうよ!」
ダリアさんの声が響きました。
大扉のところで縮こまっていたはずのダリアさんは、いつのまにかここにやって来ていたようです。
ダリアさんは素早く両親であるウィード公爵夫妻にすり寄り、そして両親を盾にして私たちに言い放ちました。
「私はそんな酷いことしてないわ!」
ダリアさんはしゃあしゃあと嘘を吐き始めました。
「リナリアさんとデイジーさんが、ご自分で葡萄酒を浴びたのよ! それを私のせいにするなんて、酷いわ!」
ダリアさんは眉を下げ哀れっぽい表情で被害者を装いました。
「お父様、エンフィールド姉妹は私を陥れようとしているのよ……!」
ダリアさんはみっともなくも泣きべそをかきはじめました。
ダリアさんは嘘を吐いていますが、涙は嘘ではないでしょう。
私たちにこてんぱんにされて、泣きたくもなる状況でしょうから。
それにしても、このような場で泣き出すとは、町娘でもあるまいに見苦しいことです。
「ダリア、それは本当か?!」
ウィード公爵がダリアさんの嘘に乗りました。
「ううっ……! お父様、本当よ……! リナリアさんとデイジーさんは自分で葡萄酒を浴びたの!」
ダリアさんは泣きべそをかきながら、さらにペラペラとまくしたてました。
「それにバジル様は関係ないわ……! バジル様はあの場にいなかったもの。バジル様は私を陥れようとするためにわざと葡萄酒を浴びたのよ……! バジル様がご自分で葡萄酒を浴びているところを見ていた人は大勢いるもの!」
そこは、そのとおりです。
バジル様はデイジーの味方をするため、ダリアさんを糾弾する目的で自ら葡萄酒を浴びられたのですもの。
「ダリア嬢が教えてくれた作法を、私も実践したまでです」
バジル様は生真面目なお顔でそうおっしゃいましたが、ダリアさんはキッとバジル様を睨みつけると言いました。
「バジル様はデイジーさんの嘘を鵜呑みになさっただけでしょう! 証拠もないのにデイジーさんの話を鵜呑みにして、私を悪者にするなんて、一方的すぎるわ!」
証拠ですか。
そういえばあの休憩室には木っ端貴族どもがいて、私とダリアさんの争いを見てぶるぶる震えていましたね。
ウィード公爵が手を回す前に、証人として確保しておいたほうが良さそうです。
木っ端貴族の夫人や令嬢の顔などいちいち覚えていませんが、見知った顔はいたので、そこから探しましょうか。
私がそう考えを巡らせたとき。
「証拠ならあります!」
一人の小娘が声を上げました。
王族を交えた公爵家同士の争いの、この渦中に、なんと下位貴族の小娘が割り込んで来ました。
上位貴族の娘であれば見知っているので、私が知らない顔は下位貴族です。
装いも、礼を欠かない程度は保っていますが、上位貴族のような高級品は身に付けていないので下位で間違いないでしょう。
「エンフィールド家のご姉妹に葡萄酒をかけたのは、ウィード公爵令嬢です!」
下位貴族の小娘は、二階から飛び降りようとしているかのような必死の形相で、半ば叫ぶようにして言いました。
「休憩室でダリア嬢が、エンフィールド家のご姉妹に葡萄酒を浴びせたのです! 私、休憩室にいたので見ていました! 他にも見ていた人は何人もいます!」