12話 広がる波紋
「エンフィールド姉妹?! あの姿は?!」
「デ、デイジー嬢?!」
ダリアさんに葡萄酒をかけられた私たちは、休憩室を脱出して、まるで大量の血しぶきが飛び散ったかのような染みだらけのドレスのまま、威風堂々と廊下を歩きました。
すれ違った者たちは皆、ギョッとした顔をしています。
「やめてよ! そんな恰好で行かないでよ!」
ダリアさんが見苦しくも追いすがって来ました。
デイジーが睨みを利かせているので、手を出す勇気はないようですが、しつこくつきまとって来ます。
ダリアさんよりさらに後方に、ダリアさんのお仲間のアイリスさん、ピオニーさん、エリカさんの三人がこそこそと身を縮めるようにして付いて来ています。
三人とも伯爵以上の爵位の家の娘ですのに、迷い込んだ平民のようにおどおどしていて見苦しいこと。
私はダリアさんに微笑みかけ、少し大きめの声で言いました。
「ダリアさんが私たちに、このように葡萄酒をお振舞いくださったのですもの。ぜひ皆さんに自慢したいわぁ」
「やめてよ!」
聞き耳を立てていた周囲が、私たちの事情を素早く察して目を剥きました。
それぞれ連れ立っている者たちと視線だけで会話するかのように、目を見交わし合っています。
「デイジー嬢! そのお姿はどうなされたのです!」
木っ端貴族の令息が血相を変えた顔で私たちの前に出て、身の程もわきまえず気安くデイジーに声を掛けました。
雑魚の名前は知りません。
主だった貴族のことは知っていますが、末端の貴族のさらにその令息たちのことまではさすがに知りませんの。
「ダリアさんが葡萄酒を振舞ってくれたんですよぉ」
デイジーは血まみれのような猟奇的な姿で、その美貌に天使のように愛らしい微笑みを浮かべて、木っ端貴族の令息に答えました。
格下のくせに声を掛けて来る無礼者など捨て置くべきなのですが、まあ、今は好都合なので良しとしましょう。
「それで今までお部屋に閉じ込められていたんですけどぉ。やっと抜け出せたんですよぉ」
「閉じ込められた、って……?」
木っ端貴族の令息は、デイジーが発した物騒な言葉に顔色を変えました。
私たちに追いすがってきたダリアさんがそこへ割り込んで、必死にそれを否定しました。
「違うの! 誤解よ!」
「まあ、ダリアさんったら」
私は社交的な笑顔でダリアさんに言いました。
「ご親切にも、ウィード公爵家の葡萄酒の味をこのように、たーっぷりと、私たちに教えてくださったのはダリアさんですもの。ご謙遜なさらず、ご自分の行いを誇ったらよろしいのよ。とてもご立派な行いですものね!」
「あ、謝るわよ! 謝るからもうやめてっ! 部屋に戻って!」
「私たちが静かに休めるようにと、ご親切に、『扉の封鎖』までしていただいて、感謝しております。ですが『扉の封鎖』までしていただかなくても、私たちはウィード公爵にご挨拶したらすぐにお暇いたしますので、どうかこれ以上はお気遣いなく。『扉の封鎖』をした静かなお部屋をわざわざご用意していだだく必要はございませんのよ?」
大事なことなので、私は『扉の封鎖』を念入りに言いました。
無言で聞き耳を立てていた周囲は監禁を察したようで、驚愕の表情で目を剝きました。
「アンタたちが着替えないからいけないんじゃない!」
「……!」
ダリアさんが「アンタ」と言ったので、私はつい吃驚して言葉を失ってしまいました。
そのような汚い言葉を口走るなんて、ダリアさんは一体どういう生活をしているのでしょう。
下賤な者たちとの付き合いがあるのでしょうか。
「……ウィード公爵家の『古着』はご立派すぎて、私にもデイジーにも似合いそうにありませんからご遠慮申し上げたはずです」
少し吃驚してしまいましたが、私はすぐに気を取り直して、ダリアさんの勧めを辞退しました。
「先を急ぎますの。ごめんあそばせ。さあ、デイジー、行きましょう」
「はい、お姉様」
私はデイジーを促し、会場に向かい歩を進めました。
周囲の貴族たちが私たちのその様子を見てヒソヒソと囁き合っています。
「ダリア嬢が、エンフィールド姉妹に葡萄酒をかけたのか?!」
「まさか、今まで監禁されていたの……?!」
「それが本当なら恐ろしいことよ……」
「いくら王太子の婚約者でも、公爵家の娘を監禁したらただでは済まされないぞ……!」
何が起こったかを察した大抵の者は眉を顰めていますが、中にはほくそ笑んでいる方々もいらっしゃいます。
「ダリア嬢は喧嘩を売る相手を間違えたわね」
「エンフィールドが相手で、身分を盾にするいつもの手がどこまで通用するかしら?」
「相手も公爵家ですものね」
「デイジー嬢が平民の出身だからと侮ったのでしょう」
「これは見物ね」
◆
「デイジー! その姿はどうした!」
「何があったんです!」
会場に入ると、デイジーの囲いの男性たちが早速、人垣をかき分けて現れました。
好奇心からか、廊下から私たちについて来た人々が私たちを遠巻きにしてこの様子を注視して聞き耳を立てています。
会場に現れた私たちの姿を目にした人々も、驚愕に呆けた表情でこの様子を見ています。
私たちに追いすがって来たダリアさんは会場の手前で足を止めてしまいました。
ダリアさんは会場である大広間の大扉のあたりで、卑しい小物のように背を丸めて縮こまって、悲愴な表情でこちらの様子を見ています。
「ダリアさんが、私とお姉様に葡萄酒を振舞ってくださったのよ」
デイジーは天使の美貌でにっこりと微笑み、アイヴィー王子殿下を始めとする囲いの男性たちに言いました。
「貴族には、お客様に頭から葡萄酒を浴びせかけるお作法があったんですね。私、平民育ちなので知らなくて、吃驚しちゃいましたぁ」