文綴る、十六夜の姫
『十六夜』とは、陰暦十六日、またはその夜のことをさす。
有名な十五夜の翌日のことである──。
***
私は下級の貴族の生まれで、幼い頃にお母様を病気で亡くしました。
まだ四歳だった私には大変辛く、部屋にしばらく閉じこもってしまったのです。
食事も喉を通らず、お父様と侍女のお夏だけに会う日々。
そして、お母様の死から数日後、私は声が出なくなってしまうのです。
そんな幼少期を過ごし、ようやく六歳の時に人に会うようになりました。
それでも内気で人と会うのに積極的になれなかった私は、人に会うのは月に一度お母様の亡くなった十六日に、簾越しに筆と紙で会話をするのみ。
そんな私はいつしか巷で、『十六夜姫』と呼ばれていました──。
そうして十二歳のある日から、一人の少年が訪問するようになりました。
「姫様、先ほど活けた花たちです。これをあなた様へ贈ります」
少年は簾の前に置くと、ゆっくりとお辞儀をして去っていきました。
お夏がいうには、近くの領主のご子息様だということでした。
これが私と少年の出会いでした。
それから毎月、十六日に少年は私のもとを訪れるようになりました。
「お元気ですか? 今日は町でまつりがあるそうですよ」
私は手紙をそっと彼に渡します。
*****
祭りばやしが遠くから聞こえてきますね。
あなた様も行かれるのですか?
*****
私の手紙に彼は笑顔で頷きました。
「行ったことがありますよ。夜の雰囲気も昼のにぎやかさも素晴らしいです」
(この声……とても好き……安心するお声……)
私はいつしか毎月来てくださる彼と会うのが楽しみになっていました。
十五歳になった時、彼はあるお菓子を持ってきてくださいました。
「今日は都で噂の甘い菓子を持ってまいりました。姫のお口に合うと良いのですが……」
いただいたお菓子をつまむと、なんとも芳醇な香りが口いっぱいに広がります。
(甘い……! とても美味しい!)
すぐにでもこの感動を伝えたいのに、私には声が出ません。
急いで手紙を書いているうちに、彼は立ち上がりました。
(え……?)
「申し訳ございません。本日はこの後所用がありまして、こちらで失礼いたします」
(ああ、行ってしまわれる……美味しいと伝えたいのに、それにもっとあなた様のお声が聞きたい、お話を聞いていたいのに……)
私の願いも虚しく、彼は足早に去って行かれました。
そして翌月、私のもとに彼は現れませんでした──。
(お声が聴きたい……もう三ヶ月はいらっしゃってない……)
私の中で彼の存在はこんなにも大きなものになっていて、心の支えに、生きる支えになっていたのだと、この時はじめて感じました。
心の中にぽかりと空いた穴。
(こんなにも会えないことが苦しいなんて……)
仕方がない。
もう彼のことは忘れてしまいましょう。
そうして私は眠りについたのです──。
***
そんな思い出を振り返った私にお父様は声をかける。
「お前にお客人が来ている、通してもよいか?」
私は頷きました。
すると、そこに現れたのは、恋焦がれたあの方でした。
(あ……あなた様は……)
ですが、私の知っている彼ではありませんでした。
彼はいつも私に会いに来てくださっていた御着物ではなく、皇族のお衣装を着ていらっしゃったのです。
「姫、このような形で身分を明かすことになってしまい、誠に申し訳ございません」
簾の向こうで三年前と変わらぬ佇まいで話しかけてくださいます。
ですが、いつかの彼よりも背も伸び、凛々しくなられていらっしゃいました。
「私は、第一皇子、伊織と申します。政務が忙しく、三年前都に戻っておりました。元々、この土地には静養で来ておりまして、立場上都に戻らねばならぬことになったのです。そして、これ以降も私は都で政務を執り行うことになるでしょう」
それはつまり私と彼との永遠の別れを意味していました。
「姫、私はあなたをお慕いしておりました。それだけお伝えしたく。お元気でお過ごしください」
そう言って彼は私に背を向けました。
(だめ……行かないで……)
そう思って筆をとりますが、手が震えてうまく文字をかけません。
(早く、早く……! 伊織皇子がいってしまわれる……)
「自分の言葉をもう伝えられない」と、そう思った瞬間、私の体は動いていました。
「わ、私もお慕いしておりました!!」
十年ぶりに絞り出した声は彼に届いただろうか。
少しでも想いが伝わればいい。
それだけでいい。
簾から姿を現した私に、彼は微笑む。
「ずっと聞きたかった。あなたの声を、そしてその声で教えていただけませんか。あなたの本当の名前を」
私は頷いて口を開いた──。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
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