第11話:アーギルの戦士【後編】
闘技場は、あまりにも静かだった。
先ほどまで命のやり取りが行われていたとは思えぬほど、風の音ひとつ響かない。
観客席は空で、歓声も罵声も存在しない。ただ、石段と砂地が広がるだけの巨大な器が、沈黙を抱え込んでいる。
やがて、ガリノミアが軽く咳払いをする。その音が、不自然なほど大きく響いた。
「さて、では改めまして。わたくしはガリノミア・レイス。ここではない、別の闘技場を治める公爵でございます」
「公爵だと? そのような者が、私たちに一体……」
「貴方たちには、わたくしが治める闘技場へと移籍してもらいます。そして、そこで『ある者』と戦って欲しいのです」
「あぁ? なんだよ、そのある者ってのは」
不機嫌に言い放ったグレイだが、反抗する素振りはなく、地に座り込み、ガリノミアの話を大人しく聞いている。
その殊勝な態度に、ガリノミアもどこか嬉しげだった。
「その者は16歳の少年です。名はドレイク。6年に渡り、奴隷戦士として戦い続けてきました」
「6年だとッ?」
通常、奴隷戦士である期間は長くても1年程度。その間に上へ昇るか、淘汰されるかが決まる。6年もの間、奴隷戦士であり続けること自体が異常なのだ。
その常軌を逸した数字に、バルドリクは驚嘆の声を上げた。
そして、それはグレイも同じだった。汗が頬を伝い、意図せず喉を鳴らしてしまう。
「……10歳のガキが戦い続けてきたってのかよ」
「そうです。大人の戦士に混じり、彼は今日まで剣を振るい生き延びて来ました」
「分からないな。それだけの実力があるなら、とっくに奴隷戦士から脱していてもおかしくないと思うが。我々のように戦う相手がいない、というのなら話は別だが」
「そこには、様々な事情があったとだけ言っておきましょう。ですが、貴方の仰る通り……ドレイク殿には戦う相手がいないのです」
バルドリクとグレイは顔を見合せた。
異常とも言える期間を戦い続けてきた少年。そして、それでもなお生きている。
同じなのだと悟った。
自分たちと同じく、『強すぎる』が故に、戦う相手がいないのだと──。
「ドレイク殿はオルドフェルムを勝ち進み、やがては皇帝となられる御方。だからこそ、戦士として自己を高める為に、強者を求めています。貴方たちに声をかけた理由は、これでお分かりですね?」
皇帝を目指す少年。
この堕落したロヴァニア帝国では、一笑に付される夢物語。だが、ガリノミアの言葉から伝わる熱は、その夢を笑い飛ばすことを許さなかった。
「理由は分かった。だが、貴公はこれを取引だと言った。我々に対する見返りはなんだ?」
「貴方たちの姫君であるカティナ様、そしてバロン王国の返還です」
「なに!?」
「ま、マジかよ……」
想像の遥か上をいく見返りに、二人は再び顔を見合せ、声を震わせた。
「カティナ様は無事なのかよ?」
「実は、既にここへお連れしているのですよ。後で引き合わせましょう」
「……そうか。カティナ様は生きておられたか」
「カティナ様も奴隷戦士として登録されてはいましたが、その強さ故に対戦相手に不自由しておられたようで。貴方たちと同じですな」
「ははッ! そりゃそうだろうよ! 親衛隊要らずだなんて言われるくらいだからな、あのお転婆姫様はよッ」
「グレイ、不敬だぞ。……ふふ。事実ではあるがな」
姫の安否が分かり、自然と笑みがこぼれる。
バルドリクはガリノミアへと向き直り、姿勢と言葉を正す礼を取った。
「公爵殿、我らにとってはこの上ない条件。しかし、ただ戦えばいい……というわけではないのですな?」
「ほっほっほ。察しが良くて助かりますよ。ドレイク殿が求めておられるのは真剣勝負です。それゆえに、条件を付け加えさせてもらいます」
「その条件とは?」
「バルドリク殿、グレイ殿。そしてカティナ様にドレイク殿と戦っていただきます。戦う順番はこちらで決めますが、貴方たちの誰か一人でも勝利すれば、バロン王国を返還致しましょう。無論、貴方たち全員を奴隷戦士から解放することもお約束します」
「おいおい、カティナ様も戦うのかよ」
「不安でしたら、カティナ様には辞退していただいても構いません。グレイ殿、後で進言して頂けますか?」
「いや、無理だろ。ぜってぇ聞かねぇよ、あの人」
グレイの脳内では、進言を足蹴にし、嬉々として武器を手に取るカティナ姫の姿が想像されていた。
そしてそれはバルドリクも同じだったようで、くすりと笑いを漏らしている。
「公爵殿、その条件をカティナ様は?」
「無論、了承されております」
「ふむ……しかし──」
「何か懸念が?」
「失礼だが、いかに公爵と言えども、属国を返還する権力があるとは思えぬのだが……」
「有る、とだけ申しておきましょう。残念ながら、その点に関しては信じていただく他ありません」
その場しのぎで誤魔化している者の目ではない。
そう判断したバルドリクは、静かに目を閉じ小さく頷いた。
「委細承知した。グレイ、構わないな?」
「構わないっすよ〜」
「商談成立ですな! では、カティナ様の元へ参りましょうか」
歩き出したガリノミアとミルタンに続き、バルドリクが後を追う。
しかしグレイは、その場に立ち尽くし何かを考えていた。
肌が粟立ち、身体が震える。
今にも暴れだしそうなアーギル紋を抑え込むように、強く拳を握り締める。
突如訪れた好転の機。
この戦いは、ただの試合ではない。国と国の未来を懸けた戦いなのだ。
そう。これは、国と国の代理戦争。
その戦争に、今度は当事者として闘技場に立つ。
「楽しみにしてるぜぇ……皇帝候補さんよぉ」
握り締めた拳を解き、グレイは一歩、前へと踏み出した。
その足取りに、迷いはない。背中に宿るのは、これから訪れる戦いへの渇望だった。
まだ見ぬ敵に恋焦がれ、胸の奥で何かが蠢くのを感じ取る。それはまだ形を成してはいない。だが、いずれ顕れる。
そう告げるように、アーギル紋から放たれる青白い光が、僅かに金色を帯び始めていた──。




