第9話:アーギルの戦士【前編】
神の加護を受けない『祝福なき国』と呼ばれる国々。
その一国であるバロン王国は、万能の石・ルミタイトが産出される事でロヴァニア帝国に目をつけられた。
バロン王国には、屈強な戦士たちが存在した。
だが帝国は、ゴーレムによる全てを標的としたジェノサイドを勧告する。思案の末に、国王は全面降伏を決意……帝国の属国となった。
この降伏によって、民への被害は最小限に抑えられた。国王の判断を、英断と称賛する声も多い。
だが、余力を残したままの降伏は、バロンの戦士にとって耐え難い屈辱であった。
ドレイクの決意から数日後。エボル闘技場とは違う、別の地にある闘技場……その地下に、バロンの戦士はいた。
燻り続ける己の力に身悶え、帝国に対する怒りと憎しみを内包したまま──。
★ ★ ★
「おい衛兵! いつまで閉じ込めておく気だよッ!?」
アッシュゲートに、檻を蹴りあげる音が響き渡る。
衛兵は身体を一瞬震わせたが、目を合わせようともしない。まるで怯えているかのような衛兵の態度に、声の主は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「けッ。ロヴァニア人は腰抜けばかりかよ。ゴーレムと人質がなけりゃ、足枷のついた奴隷一人も相手にできねぇのかよッ」
殺気立った獣のような毛髪が、その男の気性を表していた。年は若く、鍛え抜かれた肉体は瑞々しさを残しながらも、鋼のように筋張っている。
そして何よりも特徴的なのが、全身に暗色の入れ墨が施されていることだった。
「俺たちゃ奴隷戦士なんだろ? だったら戦わせろよ! ゴーレムを使ったっていいんだぜッ」
男の殺気に呼応し、入れ墨がうっすらと蒼白い光を放ち始めた。その光に気付いた衛兵が、慌てて槍を構え牽制する。
「おいッ、大人しくしろ!」
「お、武器を向けやがったな? 戦闘開始ってわけだ」
男が鉄格子に手を掛けた瞬間、金属が冷たい悲鳴を上げた。硬質なはずの檻が、まるで粘土のように形を変えていく。
目の前で、檻という『秩序』が崩れていく。震える衛兵が一歩後ずさった時には、既に男が通るに十分な歪みが生じていた。
不敵な笑みを浮かべ、男が檻から一歩踏み出そうとした──その時だった。
「グレイ、止せ」
別の檻から発せられた低く、そして静かな声。グレイと呼ばれた若者はピタリと動きを止め、踏み出そうとしていた足を檻の中に戻し、両手を上げて笑ってみせた。
「冗談っすよ、バルドリク隊長。あまりにも暇だから、ちょっと遊んだだけっすよ」
檻の中で静かに座する一人の男。バルドリクは、壮年と呼ぶに相応しい年齢だった。
年を重ねた肉体は、若者のような瑞々しさこそ失っているが、その代わりに無駄という概念そのものを削ぎ落としたかのような完成度を備えている。
濃灰色の髪には、わずかに白が混じり、深く刻まれた目尻の皺は老いではなく、数え切れぬ戦場を潜り抜けてきた証のように見えた。
全身に刻まれた入れ墨は、グレイのものとは対照的だった。
主張するように輝くことはなく、皮膚の下に溶け込むかのように沈み、必要な時にのみ確かな存在感を示す。
それは、力を誇示する者の紋ではない。
力を制することを知る者の紋だった。
「すまなかった。こいつには私から言い聞かせる。ここは──」
「あ、あぁ」
バルドリクの落ち着き払った声に、衛兵は槍を下ろしため息をついた。
当のグレイは、悪びれる様子もなくドカりと座り込み、鼻歌を口ずさんでいる。
「弁えろ、グレイ。我らは奴隷戦士。秩序を破れば、その対価として罰を受ける事になるのだぞ」
「ただの冗談じゃないっすか。それに暇つぶしになるなら、罰でもなんでも俺は歓迎っすけどね」
「お前の軽薄な行動が、姫様の命を危うくするとは考えぬのか」
「う……」
「我らはバロン王国の姫、カティナ様の親衛隊なのだ。それを忘れるな」
「忘れてないっすよ。でも……カティナ様も仲間も散り散りで、生きてるのかどうかも分からないじゃないっすか」
「ならばこそ慎め。我らの愚行が、何処かにおられるカティナ様の咎になるかもしれんのだ」
「だからって、このまま何もせず飼い殺し状態っすか? 」
繰り返される問答の中で、グレイの入れ墨が再び青白い光を灯し始める。
『魔術紋アーギル』──バロン王国が編み出した、神に頼らぬ人間の秘術。
融解させた万能の石ルミタイトを、血管・筋肉・神経に沿って彫り入れていく事で、術者の魔力量と身体能力を著しく向上させることができる。
ただし、その術式には多大な苦痛を伴う。その試練を乗り越えた者だけが、強大な力を宿した戦士になり得た。
アーギルは年月と共に薄まり、やがて消えていく。
しかし、それこそが紋と肉体が一体化した証。戦士として完成された証明だった。
ルミタイトの産出に富むバロン王国ならではの秘術。だが、それ故にロヴァニア帝国に目を付けられたのだが──。
「俺は戦える……戦えたんだッ。それなのに……」
「グレイ……」
力を奮うことなく終わった戦争。
親衛隊として、王族を守ることこそが最大の使命。だが、それは時に戦士の矜恃とは相反する。
守る為に降伏するのではなく、守る為に戦いたかった。
その境界で苦しむ若き戦士と同じく、バルドリクも静かに拳を握り締めた。
その強さ故に、解放を恐れる貴族によって戦う機会は奪われた。
ただの枷では拘束することもできない。それ故に、彼らの光である『カティナ姫』を人質として枷を嵌めた。
帝国が持て余す【アーギルの戦士】。
いつ訪れるかも分からぬ好転の機だけを信じ、二人の戦士は終わらぬ幽閉の日々を過ごすのみだった──。




