第1話:幸福な牢獄
──柔らかい。
けれど、落ち着かない。
枕は羽毛が詰め込まれ、シーツは肌を吸い込むほど滑らかだ。
でも……空気が違う。
静かすぎる。鳥の声も、風の音も、何ひとつ聞こえない。
奴隷の……呻きさえも。
部屋を囲む壁は厚く、窓一つない。照明の光源がなければ、この部屋は闇に包まれたまま。
せっかくの豪華な飾り付けも……なんの意味もない。
ガリさんの好意で泊まらせてもらったこの部屋で、ぼくは妙な不安感に襲われていた。
最初は慣れていないからだと思った。
でも、この不安感はちがう。
思い返すのは、プリ姉と笑い合った昨日の出来事。
ぼくが生きてきた人生の中で、一番笑ったのが昨日だと思う。
──あまりにも幸せすぎた。
幸せすぎて、時が止まればいいとさえ思った。
元々、戦いが好きなわけじゃない。
もし、プリ姉と笑い合える暮らしが目の前にあるとしたら……ぼくは、死地に赴く事ができるだろうか?
『ミレイアの事は諦めて、戦いを放棄してしまおう』
──そんな考えが、ぼくの脳裏を過ぎる。
ありえない考えだ。
「……邪魔しないで」
これは、ぼくの考えじゃない。そう言い聞かせるように、ぼくはボソリと呟いた。
でも、その『考え』が少しずつ大きくなってくる。
ぼくを戦いから遠ざけようと、近づき、寄り添い、優しく、必死に……声をかけ続ける。
ぼくは耳を塞いだ。
諦めることなんてできない。
ぼくが生き返ったのは、ミレイアを助けるためなのだから。
『お願い……お兄ちゃんッ。私のことは忘れて、プリメッタお姉ちゃんと一緒に──』
聞いてられない。
ぼくは、堪らず走り出した。
ぼくを惑わす幻聴を、呪火で焼き払いながら……何も見えない闇の中を、一人駆けていった────
☆ ☆ ☆
「おっはよ〜! ドレーくん!」
「──うッ……ッ……」
元気な声と共に灯された優しい光で、ぼくは目を覚ました。
……ひどい汗だ。それに、身体が冷えきってるのか上手く動かない。
「ドレーくん、どうしたの?」
プリ姉が、心配そうな顔でぼくを覗き込んでくる。なんでもない事を伝えようと、ぼくはできる限りの笑顔で平静を装った。
「はは、ちょっと怖い夢を見て……でも大丈夫だよ」
「あらら。まぁ、この数日で色々あったからね。とりあえずお風呂に入ってきなよぉ。こんなこともあろうかと沸かしておいたんだ!」
なんて凄い先読みなんだろう。プリ姉にチェスで勝てたのは奇跡なんじゃないだろうか。
プリ姉にお礼を言って、ぼくはその言葉に甘えることにした──。
☆
湯に浸かりながら、ぼくは昨日と全く違う感情に落胆していた。
3日に一度の水浴びが基本だった。昨日は、数年ぶりのお湯に肌も感情も驚いていた。
でも今は、昨日ほどの感動はない。たった1日で、ぼくは贅沢に慣れてしまったのだろうか。
不安と共に罪悪感が込み上げてくる。
ミレイアが死んでしまったのに……ぼくのせいで死んでしまったのに……ぼくだけがこんな贅沢をして、笑っていていいのだろうか、と。
──こんな考えは、昨日のプリ姉との一時を穢す考えだってことは分かってる。
だからこそ嫌になる。
うじうじと考えてしまう自分が……。
戦わないといけないのに……幸せを感じている自分が嫌になる。
『戦い』を捨てて『平穏』に逃げる。そんな選択をしてしまうかもしれない自分が、本当に怖かった────。
「おーい、ドレーくん。入るよー!」
「……えッ!?」
突如扉の向こうからかけられた声に、半ば放心気味だったぼくは慌てて下を隠した。
すぐさま扉を開けて入ってきたのは、三角巾とエプロンを身に付け、髪をポニーテールにしたプリ姉だった。
「プリ姉ッ。ど、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだよぉ。なに悩んでるのさぁ」
「え……?」
今のぼくは、きっとマヌケな顔をしていることだろう。
でもプリ姉は……そんなぼくを包み込むように、元気で、暖かくて、明るくて──
「さ、お姉さんに話してごらん!」
──まるで太陽のような満面の笑みが、そこにはあった。




