第4話:虚飾の晩餐
まるで夢のようだった。
湿った檻の中で暮らしてきたぼくにとって、この空間は天国そのもので、目の前がぼやけてしまうほど現実味がなかった。
「では、浴場へ案内致します」
「いえーい! ドレーくん、一緒に入ろっか!」
「うん、そうだね。入ろう入ろう!」
久しぶりのお風呂に、柄にもなくウキウキしてしまう。プリ姉の提案を快諾し、ミルタンさんに付いていこうとすると……
「なにすんなり入ろうとしとるんじゃい! そこは動揺するところでしょ!」
「え、プリ姉はぼくと入るのイヤなの?」
奴隷になる前は、ミレイアとよく一緒に入っていた。
頭を洗ってあげると、目を閉じながらニコニコと笑うミレイアが可愛くて……プリ姉もお世話になってるんだし、背中を流すくらいはするんだけどなぁ。
「い、イヤじゃないけどッ……そういうのは夫婦になってからなの!」
「ご、ごめん。だってプリ姉が一緒に入ろうって言うから……」
「冗談でしょ! ……ったく、なんでアタイが動揺しなきゃいけないんだよぉ」
ぶつぶつと文句を言いながら、プリ姉はミルタンさんに案内されて浴場へと向かった。
なんでプリ姉が怒ったのかはさておき、お風呂まで付いてるなんて……この部屋は一体なんなんだろう?
☆
──お風呂から戻ったプリ姉はバスローブに身を包み、紅潮した頬に満面の笑みを浮かべていた。修道服はミルタンさんが洗っておいてくれるらしい。
プリ姉に促されて、ぼくも怖気つきながらもお風呂へと向かった。
生き返った時に、以前の汚れは落ちていた。それでも、やっぱり戦いのあとは薄汚れてしまっている。
ぼくは念入りに身体を洗って汚れを落とし、温かな湯に身体を沈めた。
久しぶりのお湯に、肌がじんわりと痺れるようだった。でも、それが心地よくて……ぼくの口から、自然と大きなため息が溢れ出た。
「ドレイク様。お召し物はこちらを」
ミルタンさんから渡されたのは、手触りの良い真っ白な服だった。
奴隷戦士が着ているゴワゴワとした繊維質な服とは次元が違う。
浴場を後にしてリビングへ戻ると、円卓の上には見たこともないご馳走が並べられていた。
既にプリ姉は着席していて、ぼくが戻ってくるのを心待ちにしていたみたいだ。
「ドレーくん、これ食べてもいいんだって!」
「わぁ……すごいねこれッ」
すごいとしか言いようがなかった。
中心には金色に輝く鶏が丸々一羽。多分ローストチキンなんだろうけど、羽を模した野菜らしき飾り付けに銀色の爪まで施されている。
三色の層で構成されたクリーム寄せ。かけられた銀色の粉が、照明に反射してキラキラと光っている。
大きめの皿には煮込み料理が盛られている。ホロリと柔らかく煮込まれた様子が見て取れ、湯気と共に香草の香りが部屋中に充満する。
その他にも色々と料理が用意されていて、ぼくら二人じゃとても食べきれない量だ。いや、プリ姉なら余裕かな?
「ドレイク様、お取りしましょうか?」
「え、えと……」
ほ、ほんとに食べていいんですか?
「じゃあ……その鶏を……」
「かしこまりました。プリメッタ様もどうぞ」
「んむ。苦しゅうないぞ」
ミルタンさんが手際よく鶏をナイフで捌き、その肉を純白の平皿に上品に盛り付けてくれる。
金色の衣を纏った神々しい鶏肉に、ぼくの喉が自然と音を鳴らした。
手に持ったフォークが、緊張のせいか震える。
がっつきたい気持ちを抑え、その一片を口へと恐る恐る運んだ。
「……」
思い出すのは、家族と共に囲んだ食卓だった。
ずっと忘れていた……ロヴァニア料理の味だ。
その懐かしき味に、ぼくの目から一雫の涙がこぼれ落ちた。
そしてプリ姉も、感極まったのか目端に涙を滲ませている。
そんなぼくらを見るミルタンさんも、無表情ながらそこはかとなく嬉しそうだ。
「プリ姉、美味しいね──」
「……不味いよぉ」
「「……えッ!?」」
ぼくだけでなく、ミルタンさんも前のめりになって驚愕の声を上げた。
額に汗を浮かべて明らかに動揺している。
その気持ちも分かる。こんなに見事な料理を食べて、一体どうしたら不味いなんて意見が……。
「プリメッタ様……なにか不手際でも?」
「不味いんだよぉ。この料理がまずくてマズくて……鶏さんが可哀想なんだよぉ」
「そ、そんなッ!?」
慌てたミルタンさんは、一欠片の肉を摘み上げ口に含んだ。細かく口を動かし、徹底的に原因を探ろうとしている。
でも、原因が分からなかったのか困った表情でぼくを見ている。
「プリ姉、そんなに不味い?」
「不味いよぉ! 焼きすぎでパサパサ、変な香草の匂いばっかりで肉の風味も台無しだし、おまけにこれ金粉じゃん! パサパサの肉に金粉とか拷問だよぉ!」
「それは見た目にこだわった装飾でして──」
「まずは味でしょ! 余計なことしすぎぃ! うぇー、口が気持ち悪い……その羽に見立てた野菜ちょうだい」
「それはあくまで飾りでして、鉱物なので食べられません。ゴーレム生成技術を応用した見事な装飾でございましょう。まるで新鮮な野菜そのものの風合いを──」
「なめとんのかぃ!!」
ぼくにもミルタンさんにも、プリ姉のダメ出しの原因が分からない。
ぼくはこういった料理が普通だと思っていた。プリ姉曰く、これはただの虚飾料理……ハリボテご飯だという。
もしかして……ロヴァニア人の味覚っておかしい?
「この三色のやつも、なにこれ……」
「三色豆のクリーム寄せでございます。上層が赤豆、中層が白豆、下層が緑豆を──」
「ぶぉえ! ボソボソと泥みたいで舌触りも最悪! 青臭い上に味も塩だけ……しかも、なんでこれに銀粉かけるんだよぉ!?」
「……映えますので」
「映えてどうすんじゃい!!」
「……ぷッ」
二人のやり取りがあまりにも明るくて、愉快で……ぼくは手を動かすのを忘れて聞き入ってしまった。
今朝も思った事だけど、プリ姉がいるだけで不味い食事も楽しくなる。
……いや、ぼくは不味いと思ってないんだけどね?
「──やぁやぁ、楽しんで頂けているかな?」
食事を楽しむ(?)ぼくらの部屋に、優雅な衣装に身を包んだ小太りの男性が姿を現した。
その男性を見て、ミルタンさんが姿勢を正して頭を下げる。
「ご主人様。お待ちしておりました」
ご主人様?
ってことは……この人がぼくらをこの部屋に呼んだ人なのだろうか。
ご主人様と呼ばれた男性は紳士的な振る舞いで、ぼくらに向かって一礼した。
「わたくしの名はガリノミア・レイス。この資源地帯一帯を治める公爵でございます」