終章:友愛の存在
回避戦を終え、ドレイクとプリメッタがアッシュゲートへと戻った夜のこと。
従来の形で終えなかった回避戦の勝敗は曖昧なままであり、ドレイクの鉄輪も減ってはいない。
だが、看守はドレイクの一挙一動に怯え、プリメッタを伴った帰還に異を唱えるものは皆無だった。
絶対的強者の出現に、アッシュゲートの湿った空気も変わり始めていた。
檻に鍵はかけられていない。自由に出入りできる檻に二人で入り、ドレイクは膝を抱えて座り込んだ。
そして──
「……死にたい」
「急にどうした!?」
完全に塞ぎ込んでいるドレイクに、流石のプリメッタも驚愕の声を上げた。
ドレイクの周りには、殺意とは違う陰鬱で湿ったオーラが漂っている。
「ちょっとちょっとぉ! こんな狭い空間で美少女と二人っきりなんだよぉ!? もっと嬉しそうにせんかい!」
「……よく考えたら、ぼくと一緒なんて嫌だよね」
「アタイが別の檻にいると心配だからでしょ? それに、アタイは一緒でもイヤじゃないよぉ」
「……プリ姉はホントに優しいね。でも……その優しさがぼくを責め立てるんだ……」
「なんだこいつ」
ドレイクが自分を責めるのはいつものことである。
だが、これはあまりにも度が過ぎている。
明らかにおかしいドレイクに、プリメッタはタイロス神の言葉を思い出していた。
(強い力には代償が伴う……もしかして、タイちゃんが言ってた代償ってこの事? 感情を武器に戦ったせいで、感情のバランスがおかしくなってるのかも)
このプリメッタの考えが正解なのかは定かではないが、ここに至るまでの経緯、ニゴラの殺害、強気な発言、プリメッタをお姫様抱っこ──ありとあらゆる事象が、ドレイクの中で黒歴史となっていた。
悲壮・羞恥・後悔・自己嫌悪……あらゆる負の感情が押し寄せてくる。
もしこの場にプリメッタがいなければ、ドレイクは本当に自死していたかもしれない。それほどまでに危険な状態だった。
「……まったく、とんだ甘えん坊やだよぉ」
ことを重くみたプリメッタは、塞ぎ込むドレイクの頭を自分の太ももへと引き寄せた。
「ぷ、プリ姉……?」
「ほらほら。なにをウジウジ悩んでるのさ? 聞いてあげるから言ってごらん」
ドレイクの黒髪に手を乗せ、優しく撫でる姿はまるで聖女のようだった。
目を閉じ、静かにドレイクが話すのを待ち続けている。
その雰囲気に絆され、ドレイクは重い口を静かに開き、懺悔の言葉を口にするのだった。
「……殺したんだ、人を……ぼくが……この手で……」
「アタイを守るためにね。アタイのために、あんなに怒ってくれたんだね」
「ニゴラも……必死だったんだッ。死にたくなくて、生きるために必死だったんだ……それなのにぼくは……」
「あの人にドレーくん殺されたんでしょ? じゃあ、これでおあいこじゃん」
「お、おあいこって……そんなのでいいのかな……?」
「いいのいいの。あのニゴラって人も、今頃どっかに転生してよろしくやってるよ」
聖女とは程遠い発言。
しかしそれでも、ドレイクの声に調子が戻っていく。
「プリ姉は、ぼくが怖くないの? あんな力まで見せたのに……」
「くっふっふ。井の中の蛙だね、ドレーくん。アタイはジャーナリストだよぉ? 12歳の頃から世界を飛び回って、色んな玉璽保持者に会ってきたから目は肥えてるんだよぉ」
「12歳で世界を……そっか。世界的に見れば、ぼくの力なんて大したことないんだね」
「ううん。世界的に見ても、ドレーくんはトップクラスに強いと思うよぉ」
「そうなの?」
「玉璽保持者は確かに強いけど、それでもピンキリだからね。ロヴァニアに来る前に取材した女の子は、とんでもなく強かったけど」
「女の子なんだ。どれくらい強かったの?」
「一人で国を二つ滅ぼしてたね。あ、ちなみにその子から修道服もらったんだ。ロヴァニアに入る手伝いもしてくれたんだよぉ」
「そうなんだ……優しい子なんだね。ふふ……でも、二つも国を滅ぼしたんなら優しくないのかな?」
それは、母が子供に夢物語を聞かせるようだった。ドレイクの瞼が微睡を帯びていく。
プリメッタから感じる体温、言葉から伝わる慈しみの波長が、疲れ切ったドレイクの身体に安らぎをもたらしていた。
「優しいから戦う人もいるってことだね。だから、アタイはその子がちっとも怖くなかった。だからアタイは……ドレーくんも怖くないよ」
ドレイクの瞼は閉じかかっている。
抗う必要はない……そう言い聞かせるように、プリメッタは両手で優しくドレイクを包み込んだ。
「ドレーくん。玉璽保持者は、みんなレガリアに名前を付けてるんだよ。それは決意や戒め……言葉には力が宿るからね」
「そっか……でも、ぼくじゃいい名前は思い浮かばないよ……プリ姉が考えてくれない……?」
自分の魂ともいうべきレガリアの名前を託す……それは、自分という存在を他者に預けるようなもの。
ドレイクにそこまでの考えはなかったかもしれない。だが、プリメッタは満足気に頷きそれを了承した。
「そう言うと思って、実はもう考えてあるんだ。やっぱり名前がないと、サマにならないし記事にもしにくいからね」
「そっかぁ……プリ姉は、ホントに凄いなぁ……」
瞼は閉じられ、意識が希薄になっていく。
だがそれでも、ドレイクはプリメッタの言葉に最後まで耳を傾け続けた。
「ドレーくんのレガリアの名前は、【刹骸のレガリア アミカ・ゼイン】。刹那に現れ、骸となって消える……カッコよくない?」
「刹骸……なんだか物騒だなぁ……それに……」
それは偶然か必然か。
プリメッタが名付けたゼインという名は、ドレイクの失われた家名と一緒だったのだ。
「アミカ・ゼインは『友愛の存在』って意味があるんだよぉ。忘れちゃダメだからね」
意図せずして、失われた家名が還ってきた。それも、攻撃的な側面と優しさを伴って。
夢現ながらもドレイクは、決して忘れぬように……その名前を何度も何度も反芻した。
「怖いのか優しいのか、よく分からないけど……プリ姉が付けてくれたんだもん。忘れないよ……絶対に──」
「うん。おやすみ、ドレーくん」
その言葉を皮切りに、ドレイクは静かに寝息を立て始めた。
目が覚めれば、新たな戦いが幕を開けるだろう。
血塗られた未来……だが、安らかなドレイクの寝顔からは、そんな血生臭さは一片たりとも感じない。
聖女に見守られながら眠る奴隷の図。
それは一枚の絵画のように美しく、優麗な聖域であった────。