第11話:王の編纂者
一体のゴーレムが、鈍重な腕を振り上げた。巨岩すら粉砕するであろう一撃が、唸りを上げてドレイクへと振り下ろされる。
だが次の瞬間、腕は止まっていた。
ドレイクの片腕が、事も無げに鉄の腕を掴み取っていたのだ。
衝撃は、地を震わせていた。
しかし、ドレイクの膂力は揺るがない。ドレイクの掌に握られたゴーレムの腕が、まるで陶器のように軋んだ音を立てている。
骨鎧の手甲が喰い込み、指が閉じる。圧縮された構造体がたまらず爆ぜ、砂と魔力の破片が飛び散った。
横合いから、もう一体のゴーレムが襲いかかる。
破城槌のような一撃をドレイクへと撃ち出すが、ドレイクは動かない。
代わりに、骨鎖が唸りを上げて疾った。獲物を求める蛇のようにうねり、二本が交差し鋼鉄の巨体へと巻きつく。
──瞬間、ゴーレムの巨体は引き裂かれた。
節を刻んだ骨の刃が、激しい金属音と共にゴーレムの体表を走り、何百本もの鋭利な牙で噛み付くように削り取っていく。
それは切断ではない。
粉砕と破断の連続による、構造体そのものの解体だった。
骨鎖によって分断されたゴーレムの残骸が、地面に転がる。だが、破壊はまだ終わっていない。
黒紅の呪火が、ゴーレムを包み込んでいく。
鋼鉄の体は徐々に軋み、熱によって融解が始まる。
しかし、それは真の圧縮の前触れに過ぎなかった。
殺意の炎がゴーレムを密閉し、強烈な圧力が押し寄せる。鋼の塊は内へと引き裂かれ、静かに崩れていく。
やがて燃え盛る炎の中から、その巨体は瞬時に内へと吸い込まれ、跡形もなく消えていった。
──ただひとつ、光り輝く無垢の結晶だけを残して。
★
『殺意を燃料とする呪火。感情を持たぬ人形すら燃やすとは……なるほどな。己の殺意を伝播し、強制的に敵として仕立て上げたか。ますます傲慢な男よ』
「ねぇねぇ、なんであれ潰れてくの?」
『あれはただの炎ではない。あの呪火は敵を焼くだけでなく、実体と質量を有している。それによって膨張する敵を密閉し、極限まで高めた圧力で爆縮を引き起こしているのだ』
「はえ〜、すっごい」
ドレイクの戦いを分析していたタイロスは、投げかけられた質問に何気なく答えた。
そして、数秒の沈黙が流れ──
『……貴様、何者だ?』
「アタイはプリメッタ! ドレーくんの専属記者だよぉ! これでアタイら神友だね!!」
『そうではない。何故、我に話しかけているッ』
「だって衛兵も逃げちゃったし、アタイ一人ぼっちなんだもん。あ、今ならヨユーで逃げれるかなぁ。タイちゃんどう思う?」
『話が通じぬ。狂人の類か? どうやって我に話しかけているのかと聞いているのだ』
「誰が狂人じゃい!! いくら神様とはいえ、その暴言は聞き捨てならないよぉ。いったい何様のつもり?」
タイロスの声はドレイクにしか届かぬはず。
だが、平然と会話に割り込んでくるプリメッタに、流石のタイロスも困惑の色が隠せない。
「おーい! そこは『神様です』って言うところだよぉ!」
『なんだこいつは……』
「アタイって一応シスターだし〜、信仰の成せる業ってやつかな?」
『貴様からは一片の信仰心も感じられぬ』
「アタイ耳がいいんだ。バカ笑いも聞こえたよぉ。『まさに! モルス! フローリス! なりぃ!』ってね」
『……そのような言い方はしていない。それに聴覚の問題でもない。我は契約によってドレイクの魂に宿った残滓のようなもの。ドレイクの心を覗かぬ限り、我の声を聞くことなど──』
──できるはずがない。そう言いかけて、タイロスは言葉を止めた。
タイロスには一つだけ心当たりがあった。人間の中には、ごく稀に千変の魔力を持って生まれてくる者が存在するということを。
『……魔力同調。他者に寄り添い、癒しを与える慈愛の存在。ミレイアと同じ存在に出会っているとは……ククク、面白い』
「おもしろくね〜よぉ。なになに、アタイって癒し系ってこと? 分かるように言ってよぉ」
『瑣末な事よ、気にするな。ただ一つ言えるのは、ドレイクが貴様には心を許しているということだ』
「ま、まぁアタイら親友だしぃ? いまさら当たり前のこと言われても嬉しくないしぃ?」
くねくねと身体を捩らせるプリメッタに、タイロスは静かに笑いを漏らした。
その笑いの意味はなんだったのか……タイロスは、神でありながら運命というものを感じていた。
『気に入ったぞ、娘よ。プリメッタ、貴様の望みはなんだ?』
「アタイはジャーナリストだよ! ドレーくんが皇帝になるのを密着取材して、世界に発信するんだよぉ!」
『世界に、我がロヴァニア帝国の威光を広めるか』
「まずは腐敗ぶりからだね。こんな美少女に暴力を振るうなんてッ……包み隠さず脚色して書いてやるよぉ!」
『口の減らぬ娘よ。だが、よかろう。記録せよ──ドレイクが玉座へと至る一部始終をな』
「神様の言質ゲットぉ! これで誰にも遠慮することないね!!」
タイロスとプリメッタがやり取りしている間に、ドレイクがもう一体のゴーレムを撃破していた。
奥の手を容易く葬られた貴族の二人が、父の叫び声に応じその場から逃げ出したところのようだ。
『戦いはもう終わる。プリメッタよ、貴様にこの戦いの真の名を教えてやろう』
「回避戦の真の名?」
『五個の鉄輪を嵌めた状態で三人の敵と対峙する。この圧倒的不利な極限状態こそが、人が持つ真の力を呼び覚ます。これは弱者に与えられた最後の転機────【再誕戦】。これこそが、この戦いの真の名だ』
「再誕戦……」
『ドレイクはレガリアに目覚め生まれ変わった。だが、強すぎる力には代償が伴う。ドレイクの試練は今から始まるのだ』
「代償って?」
『それは貴様が見極めよ。そして、貴様がドレイクの光となるのだ。ドレイクが皇帝となった暁には、貴様にも褒美を取らせると約束しよう。無論、その時に貴様が生きていればの話だがな』
「縁起でもないこと言う神様だよぉ」
残された力を使い切り、タイロスの気配が希薄になっていく。だが……遠ざかっていくタイロスの声は最後まで確信と威厳に満ちていた。
『王の編纂者よ、見届けるがよい。そしてドレイクに伝えよ。玉座にて待つ、とな────』
その言葉を最後に、タイロスの声は静かに途絶えた。
闘技場に立つドレイクの姿に、もはや殺意の面影はない。
見る者の目を奪う……白亜の騎士となっていた。
鎖に繋がれたプリメッタに、ドレイクが歩み寄る。
『すぐ終わるから待っててね』
あの時かけられた言葉を反芻し、プリメッタはドレイクが助けに来るのを待ち続けたのであった────。