第10話:断鎖のドレイク
音が遠ざかる。
まるで世界が息を顰め、次に起きる何かを畏れているかのようだった。
鉄輪から現れた『それ』は、骨のように硬く、鎖のようにしなやかに、空を裂くように迸る。
首から頭へ、腕から胸へ、脚から腰へ……まるでドレイクの肉体を苗床にするかのように絡みつき、全身を包み込んでいく。
ドレイクを包み込んだ純白の鎧。骨で編まれたような鎧の白は、ただの白ではなかった。血に染まる前の花弁のように、凛とした静けさと死の気配をたたえている。
滑らかな曲線は華の美を宿し、鋭利な棘は刃のような殺意を纏う。
ニゴラを一瞬で両断した骨鎖の数は五本。
その全てが意思を持つかのように蠢き、しなるたびに空気を切り裂く音がする。
「裂けろッ……!」
次の瞬間、二つに切り裂かれたニゴラの肉体に切れ目が入り、血と煤が入り混じったような炎が噴出する。
全身を瞬く間に飲み込んでいく炎……それは、呻きと嗚咽を孕んだ黒紅の呪火。殺意によって生み出された呪火は質量を伴い、焼くだけでなく、肉体そのものを圧壊させていく。
肉が崩れ、血が蒸発し、骨がひしゃげる音だけが響く。
蒸発し高まっていく圧力。
だが、全身を覆う呪火がそれを逃がしはしない。
そして最期の時──限界を超えた圧力が、膨張するニゴラの身体を瞬時に圧し潰した。
残ったのは、奇妙なほど純白な骨の花。
白く、静かに、まるで咲いたように地面に転がっていた。
それを見た観客の誰かが、恐怖のあまり嘔吐する。伝播していく恐怖……一つの叫び声が引き金となり、悲鳴の奔流が闘技場に溢れかえった。
阿鼻叫喚となったエボル闘技場。
だが、戦の神タイロスは誰にも聞こえぬ嗤いをあげていた。
『フハハ……フワハハハァッ!! 我が神性が粟立つッ! 脂ぎった魂はよく燃えよるわ!!』
闘技場に咲く白き花を目にしたタイロスは、神ではなく一人の戦士としての興奮を露わにしている。
『肉体を焼き、感情を削り、魂すら塵へと帰す劫火。残された白骨は、穢れなき死の結晶……まさに【死の花】よな』
その残酷な花を見て喜んでいるのは、タイロスだけだった。
観戦者は悲鳴をあげながら逃げ始め、対戦者である二人の貴族は青ざめた顔で呆けている。
『今この時より、【断鎖のドレイク】の名は異なる意味と成った。このロヴァニア帝国における力の系譜……全てを超越する武の象徴としての異名にな』
出口へと逃げる人の流れに逆らい、一人の男が闘技場へと走り寄った。柵を掴み、客席から実況者に向かってがなりたてる。
「なにをしている! あれは魔導具だろう!? 反則だッ! 中止させろ!!」
マルデン男爵……ドレイクの対戦相手である貴族、エルガルトとセルヴィスの実父であった。
帝国軍において確固たる地位に就く権力者の怒声に、実況者も困惑の色が隠せない。
《え、いや、しかし……この回避戦に反則は──》
「もういい、貴様はクビだ! エルガルト、セルヴィス! 私が許可するッ。ゴーレムを使え!!」
奴隷に魔導具の携帯は許可されていない。だが、権利者の身内である二人は、その懐にある魔導具を隠し持っていた。
恐怖で固まっていた二人は父の声で正気に戻り、懐から光る石を取り出した。
この光る石こそが、ロヴァニア帝国の魔導技術を結集して創り上げた魔導兵器──ゴーレムの核となる魔石だった。
ドレイクの前方に二つの魔石が投げ込まれた。
魔石の輝きが増し、闘技場の砂が磁石に引かれるように凝縮し、異形の塊へと変貌していく。
パキパキと響く音が、構造体の異常な密度を物語っている。砂によって形成されたはずの体表は、光沢すら感じるほどに圧縮され、その重量が空気に伝わってくる。
その重量は、ただそこに『在る』だけで思考を鈍らせる。人では抗うことのできない力……それはまるで、質量そのものが脳を圧し潰すかのようだった。
ドレイクの影を飲み込むほどの巨体が二つ。立ちはだかるその姿は、鉄の守護者と呼ぶに相応しき威容だった。
「く、くそッ……やれ、ゴーレム! 叩き潰せ!!」
「は、早く殺せぇぇッ!!」
主人の命を受け、二体のゴーレムの目が仄かに光る。
ゴーレムに死の恐怖は無い。主人の命令を全うし、無慈悲に暴力を振るうただの殺戮兵器。
人の攻撃では打ち崩すことのできない鋼の装甲……だが、ゴーレムを見たタイロスは喉の奥から嗤いを漏らした。
『偽りのオルドフェルムを進んだ者の眼は、こうも濁るものか。真の玉璽保持者に、血も通わぬ木偶人形が通用すると思っているのか』
大地を揺らしながら、ゴーレムがドレイクとの距離を詰めていく。感情を持たず、ただ敵を殺す為に歩を進める。
だが、それはドレイクも同じだった。
向かい合うドレイクと二体のゴーレム。
回避戦は、ロヴァニア帝国を象徴する『力』を賭けた戦いへと移行していった────。