第9話:王の力
《回避戦開始ぃッッ!!》
実況の掛け声と共に、耳をつんざく銅鑼の音が響き渡った。
合図と共に槍を構えるニゴラだが、ひどく狼狽した様子だ。
その原因は、傍観を決め込む二人の貴族だった。
「お、おい! 三人で一気にやっちまおうぜ!!」
「あぁ? お前、なに偉そうに言ってんだよ。俺たちゃ上流貴族の子息様だぜ。運よく選ばれたお前とは違うんだよ」
「私たちはこれで終わりだが、君のオルドフェルムはまだ続くんだろう? これを機に、一人で敵を倒せるようになって欲しいという私たちの気遣いだよ」
「そ、そんなッ……」
「それに、私たちは血で手を汚したくないのだよ」
「ははっ。汚れ役は奴隷の役目ってね」
ニゴラの実力は、圧倒的にドレイクより劣っている。
一対一ともなると、不意打ちでもしなければ勝つことはできない。
そして、その不意打ちはもう通用しない。
予定の狂ったニゴラは、その場で手をこまねくことしかできなかった。
一方、ドレイクも動こうとしなかった。
それはまるで、機を待っているかのように────
『──ドレイクよ』
(……タイロス神)
脳内に響く雇い主の声。
その声に動揺することなく、ドレイクは静かに前を見据えている。
『我が力は限られている。貴様と言葉を交わすのは、これが最後となろう』
(そうですか)
『見よ、ドレイク。奴らの醜悪な顔を──』
二人の貴族は、自分たちが負けるなど微塵も思っていない。同じ奴隷戦士でありながらニゴラを見下し、その狼狽ぶりを歪んだ顔で眺めている。
ドレイクを殺したニゴラは、自分の強運に酔いしれ慢心し、逆境に立たされるやいなや醜い懇願を続けている。
『あれが、貴様が生かし続けてきた存在。あれこそが、このロヴァニアの腐敗の象徴。あのような愚物は剪定しなければならぬ』
(えぇ。彼らはこのロヴァニアに……いや、世界に必要ない)
ドレイクの言葉に、タイロスが僅かに笑いを漏らす。
厳格な神であるタイロスが笑いを漏らすなど、タイロス自身が驚いたことだろう。
『ドレイクよ、なぜ攻めぬ? 今の奴らなら、簡単に仕留められるぞ』
(待ってるんですよ。彼らがぼくに攻撃するのを……敵意を向けるのを)
『それは何故だ?』
(ぼくから攻撃はしません。だって、それだとぼくが悪くなるでしょ? ぼくは悪くない。ぼくを殺そうとする……彼らが悪いんだ)
『ククク、どこまでも傲慢な男よ。だが、それでいい。貴様は既に理解しているようだな……貴様が持つ【共鳴魔力】を──』
(共鳴魔力……?)
もはや笑いを隠そうともしないタイロスの声には、興奮とも取れる色が混ざっていた。
そして、タイロスは手向けのようにドレイクへ語りかける。
『知らぬのも無理はない。堕落したロヴァニアでは、失われて久しくない力だからな。ドレイクよ、人間は誰しも内に共鳴する力を宿している。神が、信仰によって力を得るようにな』
(共鳴する力……)
『共鳴魔力を駆使し発動させる【共鳴魔法】。ある者は火を操り、ある者は風を操る。だが、それは入り口に過ぎぬ』
未だ動かぬ両者に、実況が苦言を呈し、観客からはブーイングが起き始めていた。
だが、ドレイクは動じることなくタイロスの言葉に耳を傾けている。
『敵を倒そうという意志。溢れ出る殺意を制御し、共鳴魔力と共に発現させる王の力──それが【レガリア】だ』
(レガ……リア……)
『そしてドレイクよ。 貴様の共鳴魔力は【殺意】。殺意を力に変える貴様は、まさに玉璽保持者となる為に生まれてきたのだ』
──ブーイングを受け、二人の援護を諦めたニゴラが遂に動き出す。
(くそッ、やるしかないか。こっちは槍でドレイクは素手だ……リーチの差でなんとかなるだろ。それにいざとなりゃ、あいつらの後ろに逃げたらいいしな)
ニゴラが槍を構え、その切先をドレイクに向ける。
殺意をドレイクに向ける……それが、これから起こる惨劇の合図となってしまった。
『さぁ、見せてやれドレイク。 腐りきった豚どもに、真なる王の力を──貴様のレガリアをな!』
(────ッッ!!)
ニゴラの殺意に反応したドレイクが、まるで四足獣のように身を屈める。
その身体からは赤黒い瘴気が溢れ始め、ドレイクの瞳が金色へと変貌していく。
その異様な光景に、誰もが息を呑み言葉を失った。
「ぐッ……がぁぁぁぁ……ッッ」
呻きのような声をあげ、溢れ出る瘴気が具現化し形を成していく。
「な、なんだあれ……」
「骨……?」
「せ、背骨か……?」
ドレイクの鉄輪から顕現した物体……それは観客が形容したように、まさしく骨だった。
背骨のように連なった白き結晶が、蠢くように鎌首をもたげている。
突如出現したこの白き結晶には、見るものを魅了するほどの神性が秘められていた。
だが、その神性はすぐに瓦解することとなる。
ドレイクから発せられる瘴気を纏い、みるみる骨鎖が赤黒く変色していく。
骨鎖から発せられる尋常ではない力に、ニゴラは反転して二人の元へ駆け出した。
だが、もう遅い。
ドレイクに槍を向けた時点で、ニゴラの命運は尽きていたのだ。
「があああああッッ!!」
咆哮と共にドレイクが右手を薙ぎ払う。
観客の視界に、黒線が刹那に煌めいた。
──闇の一閃。
必死に逃げるニゴラ。
そんなニゴラが最後に見た光景──それは、闘技場もろとも抉り取られ、吹き飛ばされる自分の下半身だった。