第6話:親友と呼べる日
エボル闘技場の地下に併設された奴隷居住区──アッシュゲート。
死という対価で一度は出たこの檻に、ぼくは戻ってきていた。
「……いてて」
ご丁寧にも、以前と同じ檻にぼくは入れられた。
我が家に帰ってきたような気持ちが少なからずあるのが、なんとも情けない。
「……プリ姉」
プリ姉は、無事に逃げることが出来ただろうか。
プリ姉が石壁の向こうに消えた後、ぼくは降伏のポーズをとったのだけれど、衛兵二人にしこたま殴られた。
顔が腫れ上がって身体中のあちこちが痛い。全身痣だらけだ。
もしプリ姉が捕まってたら、同じ目に遭ってたのかもしれない。
そう考えると、プリ姉が逃げてくれて本当に良かったと思う。
まぁ、見捨てられたのは少しショックだったけど……。
「ぼくは……どうしてこう、馬鹿なんだろう」
少し考えれば、自由に外を出歩いていい立場じゃないことは分かったはずだ。
それをぼくは……能天気に……舞い上がって……。
ミレイアが……死んだって言うのに。
(そうだ。ぼくはミレイアのために生き返ったんだ。浮かれてる暇なんてない……このオルドフェルムを勝ち進むんだ)
ぼくが皇帝になる──それが、ミレイアを生き返らせるための絶対条件。
そして、このオルドフェルムこそが皇帝の座へと通じる唯一の道。
(……とは思ったものの、ぼくは脱走奴隷扱いだ。もしかしたら闘技には参加させてもらえず、このまま処刑なんてことも──)
最悪の結末がチラつき、ぼくは頭を抱えて首を振った。
一人になった途端、嫌な考えばっかりが脳裏を過ぎる。
短い間だったけど、プリ姉の明るさにかなり助けられてたんだと、ぼくは実感した。
「会いたいなぁ」
会えるわけがない。見捨てられたんだから。
それよりも、無事を祈るべきなんだ。
……寂しいと感じていることに、自分自身驚いてる。
会って間もない人間に、ここまで心を寄せているなんて。
『一日で親友になれるんですか?』 なんて言ったけど、ぼくの中では本当に親友になっていたのかもしれない。
……そうだ。
性格は全然違うけど、プリ姉ってミレイアに雰囲気が似てるんだ。
一緒にいるだけで、心が癒されていく……そんな存在。
ここで一人の時間が大半だったから、なおさらそう感じる。プリ姉が声をかけてくれるだけで、ぼくは無条件に喜んでたんだ。
目を閉じると、プリ姉の笑顔と声が浮かんでくる。
「──ちょっとぉ、もう少し優しくしてよぉ」
そう、こんな感じだ。気怠いのか元気なのか分からない声だ。
「いだだだだッ! ギブギブ!!」
いや、やっぱり元気なんだな……って、うん?
「ギャン!!」
動物の悲鳴めいた声と、鉄格子が閉められた音がこだまする。
その音は隣の檻から聞こえてきた。
「え……ま、まさか」
「う〜……痛いよぉ」
苦悶混じりの声が隣から聞こえてくる。この声は、まさか──!
「プリ姉ッ……プリ姉なの!?」
「ふぇ? あれ……ドレーくん?」
やっぱりプリ姉だ!
な、なんでここに……!?
「お隣さんだったんだね……これからよろしく〜」
「ま、待ってよプリ姉! なんでここに……捕まっちゃったの!?」
ぼくが質問すると、バツが悪そうな乾いた笑い声が聞こえてくる。
「いやぁ、潜入して君を助けようと思ったんだけどね……思いのほか厳重でさぁ、捕まっちゃったよぉ」
「そんな……ぼくのために……?」
自分が恥ずかしい。
ぼくは、プリ姉に見捨てられたと思ってた。
でもプリ姉は……危険を冒してまでここに来てくれたんだ。
「ごめんねドレーくん……失敗しちゃったよぉ」
「そんな……ぼくのことはいいんだ! それよりも──」
さっきからプリ姉の発音が変だ……声に元気もない。
もしかして大怪我してるんじゃ……!?
ぼくがプリ姉の安否を確かめようと鉄格子に張り付いた瞬間、他の奴隷たちから怒号が発せられる。
「おい! なにくっちゃべってんだ!」
「眠れねぇだろうが──」
「うるさい黙ってろッ!!」
ぼくが一喝すると、小さな悲鳴と共に静寂が場を支配した。
悪いけど、君たちに構ってる余裕はないんだ!
「プリ姉、怪我してるんじゃ!?」
「あぁ……ちょっと腫れてるだけだよぉ」
「殴られたの……?」
「降参してるのにさぁ……この国の男は野蛮だよぉ」
声が掠れてきてる。軽い怪我なんかじゃない。
きっと、ぼくと同じか……それ以上に殴られたんだ。
「ドレーくん……泣いてるのぉ?」
なんて情けない男なんだ、ぼくは。
辛いのはプリ姉なのに、流れ落ちる涙を止めることが出来ない。
声を押し殺そうとしてるのに……嗚咽が内から溢れ出ていく。
「前言撤回……ドレーくんは優しいね」
その言葉を聞いた瞬間、ぼくの感情の堰は崩壊した。
「ごめんッ……ごめんよ……!」
「なんでドレーくんが謝るのさぁ」
「ぼくのせいでッ……こんな所に……」
「密着取材するって言ったでしょ……願ったり叶ったりだよぉ」
「でもッ……うぐ……でもぉ……」
「泣きすぎだよぉ……なにがそんなに悲しいのさぁ」
「親友が傷付けられて……黙ってなんていられないよッ……」
それからしばらくの間、ぼくの嗚咽だけがアッシュゲートに響き渡った。
子供のように泣きじゃくり、自省できるほどの冷静さを取り戻した頃──プリ姉の優しい声が静かに響く。
「ねぇ……ドレーくん。アタイら……知り合ってまだ一日なんだよぉ」
「……うん」
「一日で親友だよぉ」
「……うんッ」
──この後、プリ姉が返事をすることは無くなった。
耳を澄ますと、小さな寝息が聞こえてくる。
きっと、痛みで気を失ったんだと思う。
ぼくが泣き止むまで……ずっと待ってくれてたんだ。
ぼくは眠ることなく、ずっとその寝息を聞き続けた。寝息が聞こえなくなるかもしれないという、恐怖と戦いながら。
そして、胸の内から際限なく込み上げてくるドス黒い感情に……身を委ねようかと考え始めていた。
ここまで誰かを【殺したい】と思ったのは──
生まれて初めてだ。