第5.5話:魔導具ゴーレム
『解放戦』──それは、全ての鉄輪を外した勝者だけが挑むことのできる、帝国軍へと進むための試練。
この戦いに勝利することで、ロヴァニア帝国の中枢へと足を踏み入れることができる。
薄暗い曇天の中、このエボル闘技場で一人の男の解放戦が行われようとしていた。
男は若く、鍛え抜かれた筋肉に無駄はない。まるで研ぎ澄まされた獣のように、筋繊維の流れが肌の下で蠢くのが見てとれた。
無骨ではない。だが、甘さもない。若さに似合わぬ威圧感と、洗練された動作に観客も息を呑んだ。
ドレイクに土をつけられたことを除いて、男は連勝でここまで上がってきた。
その一度の敗北でさえ、己の非を悟り、ドレイクに感謝の意を述べ、自身の成長へと繋げた。
恐ろしいほどの吸収力と柔軟性を併せ持った戦士……今のロヴァニア帝国では珍しい、『武』でのしあがろうとする気骨ある男。
そんな男に、観客は期待に目を輝かせていた。
この男が泣き叫び、肉塊と化す瞬間を想像して────
★
『解放戦』と『回避戦』では実況を務める者も入り、誇張された言葉で闘技場を大いに盛り上げていた。
そんなヒートアップする会場の熱とは反対に、男の対戦相手は微動だにせず、ただ冷たく沈黙している。
【魔導具ゴーレム】
ロヴァニア帝国が開発した、魔石を媒介に生み出される鉄の従者。
その鋼の装甲は剣や弓で傷つけることはできず、砲弾すらも跳ね返す。巨腕から生み出される力は絶大で、ヒグマですら一撃で叩き潰すという。
実況者の言葉と共に、開始の銅鑼の音が響き渡る。
その音と同時に、ゴーレムの目を彩る魔石が光り輝いた。
男は即座に走り出し、重低音を響かせながら動き始めたゴーレムの足元へと潜り込む。
ゴーレムの弱点はコアとなる魔石……つまり『目』だ。
だが、巨大なゴーレムの頭部に対して十分な威力の打撃を加えるのは困難を極める。
だからこそ男は武器にメイスを選び、まずは脚を重点的に狙い体勢を崩そうとしたのだ。
男がゴーレムの脚に渾身の打撃を加える。
甲高い金属音が闘技場に響き渡り、いかにゴーレムが頑丈なのかが空気を通して伝わっていく。
ゴーレムの鈍く光る装甲に僅かな凹みが生じる。
『傷つけられない相手ではない』……そう確信した男は、雄叫びを上げながら何度も同じ箇所を攻撃し続けた。
そんな男の攻撃をものともせず、ゴーレムは腕を上げて、男に向かってハンマーのように打ち下ろす。
地響きが鳴り、闘技場の砂が舞い上がる。
だが、男はその鈍重な攻撃を躱し、背後に回り込んで再び脚を狙い始める。
何度も響く金属音。
時折やってくる致命の一撃を躱し、男は汗を散らしながら攻撃し続けた。男の力のこもった攻撃を受け続け、ゴーレムの脚が歪になっていく。
そして、その時はきた。
変形した脚で自重を支えきれなくなったゴーレムは、バランスを崩しその場に倒れ込んだ。
その最大のチャンスを逃す男ではない。助走をつけ、ゴーレムの弱点である魔石に向かってメイスを振りかぶる。
魔石を破壊すればゴーレムは自壊する。
男は痺れる両手に全ての力を込め、勝利の一撃をゴーレムへと叩き込んだ──
──男は勝利を確信し、無意識のまま笑みを浮かべた。
それに呼応するように、観客の笑い声が不気味にこだまする。
それは賞賛ではない。崖から突き落とされた道化を笑うような声。
闘技場に溢れる、嘲笑ともとれる笑いに男は困惑した。
そして、男は両手を伝って全身に走る異常な痺れに、恐々としながらゴーレムへと視線を向けた。
弱点であるはずの魔石へ、最高のタイミングと最高の力で打撃を加えたはずだった。
だが、魔石には傷一つ付いていない。
男の顔は青ざめ、痺れる手を見ながら一歩後ずさる。
この異常な痺れが、魔石が鋼の装甲以上の硬度を誇っていることを物語っていた。
ロヴァニア帝国のゴーレムは進化し続けている。
ある天才魔導具技師によってゴーレムの弱点は、既に克服されていたのだ。
予想外の結果に、男の意識が一瞬だけ逸れた……その時だった。
ゴーレムが男の右足を掴み取り、まるで人形を扱うように逆さに持ち上げる。
闘技場に響く男の絶叫。
ゴーレムの巨大な手からは、まるで圧搾器にかけられた果物のように、赤い果汁が溢れ落ちている。
武器を振り回し、男は可能な限りの抵抗を続けるが、握りしめたゴーレムの手が解かれる気配はない。
暴れ続ける男の左足をも圧搾し、ゴーレムはやっと男を血溜まりの中へと解放した。
凹み、歪んでいたゴーレムの脚は、既に元通りの形になっている。
ずりずりと這いずり、男はゴーレムから逃げ出した。
震える声で、降参の意を何度も何度も叫び、涙を流した。
……だが、その声は誰にも届かなかった。
いや、きっと届いていた。
それでも、試合が中断されることはなかった。
這いずる男に、ゴーレムが一歩……また一歩と近づいていく。
影に男が完全に隠れる頃、ゴーレムはその巨大な腕を天高く振り上げた。
ロヴァニア帝国を支配するのは、保守派と呼ばれる上流貴族たち。
その保守派にとって力とは金であり、この魔導具ゴーレムこそが金で買える武力だった。
個人の武など必要ない。むしろ、卓越した武は邪魔以外の何ものでもない。
今のロヴァニア帝国にとって男の武は、自分たちを脅かす邪魔な存在でしかなかったのだ。
傀儡となるよう取引を持ちかける貴族も存在した。
だが、男は己の信念に従い拒否してきた。
男には慎みが足りなかった。
もう省みることも、後悔することもできない。
地響きと共に弾けるような音が響き渡る。
会場は静まり返っていた。誰もが歪んだ顔で言葉を失い、闘技場の中心を見つめている。
観客の視線の先──そこには、血で描かれた巨大な赤い花が咲いていた。