第1話:眠るシスター
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──ここは……どこだろう。
窓から差し込む光に刺激されて、ぼくはゆっくりと目を開いた。
ベッドで横たわるぼくの上には、真白い布がかけられている。
上体を起こし、服をめくって傷を確認してみる。
でも、やっぱり傷なんてどこにもなかった。
「……鉄輪もないや」
ぼくに嵌められていた四つの鉄輪。あの忌まわしき枷の姿は、影も形もなかった。
「夢じゃ……ないんだね」
ぼくは闘技場で死んで、タイロス神の傭兵となって生き返った。
鉄輪が外れた状態で、こんなところで寝ているのが何よりの証拠だ。
タイロス神との契約……それは、皇帝の座に就くこと。ロヴァニア帝国を正しい姿に戻せば、タイロス神の力も元に戻る。
そして、ミレイアを生き返らせてくれる。
「……やるしかないんだ」
ベッドから降りたぼくは、部屋の外へと歩き出した。
とにかく家主さんを探そう。状況は分からないけど、きっとぼくを介抱してくれんだと思う。
部屋を出たぼくは、短い廊下を抜けて広間へと足を踏み入れた。
──そこは、古びた礼拝堂だった。
小さな祭壇の上に女神の像が祀られていて、信者用のベンチがいくつか用意されている。
そのベンチの上で、一人のシスターが横になっていた。
亜麻色の髪が目元を完全に隠しているけど、大きく開いた口は隠しようがない。
腕と足を背もたれに引っ掛け、大股を開いて気持ちよさそうに寝ている。
「……くか〜……くか〜……」
「あ、あの……」
間違いなくここは修道院だ。あの女神像は、異国の女神様だったと思う。
であれば、今ぼくの目の前で寝ているのが、この修道院のシスターさんのはずだ。
……しかし、なんてだらしない格好なんだ。
ぼくの中でのシスター像が崩れていく。ぼくにとって、シスターのイメージはミレイアだからね。
ミレイアは優しくて、お淑やかで、可愛くて、しかも治癒魔法まで独学で会得している。兄として誇りに……ってそれどころじゃないか。
「あの、もしもし」
「……んん……なぁに、礼拝? そこに像があるから勝手に祈っといてよ……いまいそがし〜の……」
起きたと思ったら、シスターさんは女神像を指さしてから手で振り払う所作をした。
そして、体勢を変えて再び眠りにつこうとしている。
あれ……もしかして、ここって修道院じゃない?
神聖さのかけらも感じないんだけど、ぼくの感性がおかしいのかな。奴隷生活も長かったしなぁ……。
「いえッ、違うんです。ぼくは──」
「……うるさいな〜。こちとら空腹を睡眠で誤魔化そうとしてるんだよぉ。お布施だけ置いてさっさと──」
目を擦りながらジロリとぼくを睨みつける。
髪で隠れた瞳が一瞬だけ見えた。この国ではあまり見ない瞳の色……ラベンダーのような綺麗な紫色の瞳だった。
「……ん? おや……あれあれ?」
角度を変えながら、何度もぼくの顔を覗き込んでくる。
息遣いを感じるほどに接近されてるんだけど、人の距離感ってこれが適正なのかな……。
「おぉ! なんだ起きたの!? いやぁ〜、心配したんだよぉ。心配しすぎて夜も眠れなくてさぁ!!」
「そ、そうですか」
「昨日、仕方なく礼拝堂の掃除でもしようとしたら、でっかいゴミが落ちててさぁ! よく見たら君だったんだよ! んで、アタイがベッドに運んであげたんだ。いやぁ〜、重かったよぉ!!」
「ありがとうございます……」
ゴミ扱いは悲しいなぁ。でも、このシスターさんが介抱してくれたので間違いないみたいだね。
口は少し悪いけど、優しい人なのかも。
「死体だったらこっそり隣の敷地に移動させようと思ったんだけどさぁ。取材もできないしね。生きてるんなら行き倒れの経緯とか面白い話を聞かせてもらえると思ってね! んでんで、何があったの?」
ぐいぐい来るなぁ、この人。
しかも聖職者とは思えない発言をしてるし。取材ってなんだろう?
とはいえ、なんて説明したらいいだろうか。
死んだけど、タイロス神に生き返らせてもらいました……なんて説明しても、正気を疑われそうだし。
「実は、よく憶えてなくて……」
「え〜、記憶喪失〜? じゃあ死体と変わんないじゃん! 助けて損したよぉ」
「ご、ごめんなさい……」
シスターさんは、がっくりと肩を落として消沈している。
嘘をついてごめんなさい。でも、ぼくもそれなりに落ち込んでます。
「あの、助けてくれてありがとうございます。ぼく、ドレイクって言います」
「あぁ、名前は憶えてるんだね! アタイはプリメッタ。年はいくつ〜?」
「16歳です」
「じゃあアタイの方が一個上だね! アタイは17歳!」
正直言って年下かと思った。背も150㎝なさそうだし、何より落ち着きがない。
ミレイア(14)と同じくらいかと……。
「そうなんですね。じゃあ改めて……プリメッタさん、ありがとうございました」
ぼくがぺこりと頭を下げると、プリメッタさんは信じられないといった表情をしながら、腕を震わせている。
なにか失礼なことでもしてしまったのだろうか……。
「ちょっとぉ! なぁにその他人行儀な話し方! アタイら親友でしょ!?」
「えッ!?」
親友!?
もしかして、ぼくは何かを忘れているのだろうか?
「アタイらは一夜を共にした仲。そして自己紹介も済ませた。これはもう、親友と呼んで差し支えないでしょ!?」
「知り合って一日も経ってないのに、親友になれるんですか……?」
親友ってそんな簡単になれちゃうの?
まさかぼくに、モーガン以外の親友ができるなんて夢にも思ってなかった。
困惑するぼくを見て、プリメッタさんはニヤリと笑い、あろうことか祭壇に腰掛けて手を差し出してきた。
「よろしくね、ドレーくん。アタイのことは、プリ姉って呼んでね!」
色々とツッコみたいことはある。
生き返って早々、この距離感がおかしいシスターさんに圧倒されっぱなしだ。
でも……でも、ぼくは──
「うでがおもいぃ〜! はやぐじでぇ〜!」
──テンション高く握手を催促するこのシスターさんが、血塗られた道を往くぼくの足跡を……戦いの行く末を見届けてくれる。
そんな気がした。
「よろしくお願いします……プリ姉さん」
その言葉通り、ぼくはお願いをするように……プリ姉さんの小さな手を、少しだけ強く握り返した。