第99話
彼女は敢えて跋を消して司と向き合う選択を取った。
「司くん。私たちの目的は空久良蓮さんを牢政に送検する事です。彼を徹底的に痛めつける事ではありませんし、殺そうとするなんて論外です」
「うるさい。そんな事分かってる!」
「分かってないから言ってるんじゃないですか!」
ユエルは司の真正面に立ち、彼を見上げながら本気で怒った。蓮に対して怒りを見せていた時よりも迫力があり、この時のユエルがいかに激昂していたかが窺える。
「いい加減に頭を冷やしてください。あと一歩遅かったら彼は死ぬところだったんですよ? そんな事になったら……」
「それがどうかしたんですか」
「……!」
ユエルは聞き間違いかと思った。いや聞き間違いであって欲しかった。いくら頭にきているとは言えその言葉が司の口から出たものだと信じたくはなかったのだ。
「あいつは蒼を殺して、空久良を殺して、この世界でまた蒼を殺そうとした。死の痛みを、恐怖を、味わうべき罪人じゃないですか。ただ牢政に送られて法の裁きを受けるだけなんて僕は認めない! そんな甘い結末、蒼と空久良が報われないしあまりにも理不尽だ。先輩……お願いだからそこをどいてください! 僕は……僕は二人の為に、絶対に蓮を殺す。そしてその罪を背負って生きていく。どんな裁きだって受ける。その覚悟ならできてるんだ!」
「……ッ!」
その瞬間、ユエルの中で何かが切れて気付いた時には司に対して鋭い平手打ちをしていた。パァンと音が響き渡り、司の頬にビリビリとした激痛を残す。
その衝撃で彼の顔はほぼ真横に向き、頭を急速に冷やしてくれた。
「……」
横を向いたまま司は口を堅く閉じて黙る。そんな司に対してユエルは俯きながらも怒りと悲しみが混じったような声で言葉を紡いだ。
「本気で言っているんですか? そんな事をして一体誰が喜ぶんですか? 蒼ちゃんですか? 空久良さんですか? 本当は分かっているはずです。今している事はただの自己満足だって。こんな事をしても結局報われないって。彼を許せないのは私も同じです。でもその感情に任せて彼を殺したとして、残るのは何ですか? ただの虚しさと蒼ちゃんの心に刻まれる深い傷だけじゃないですか」
「……っ……でも、僕は……」
自分でもこの感情をどう制御したら良いのか分からず、蒼が死んでからずっと我慢してきた悲痛な思いがここにきて溢れ出し、司の目から一筋の涙が流れた。
「司くん……」
ユエルはこれ以上辛そうな司を見続ける事ができなくて思わず彼を抱き締めた。ユエルは、彼が少し落ち着いてきた頃合いを見計らってから優しげな声で話す。
「私、蒼ちゃんにお願いされたんです。お兄ちゃんを止めて欲しいって。きっと蒼ちゃんの中の司くんは正義の味方なんだと思います。困ってる時はいつも助けに来てくれて、どんな事もスマートに解決する、妹思いの優しい自慢のお兄ちゃんなんだと思います。司くん……蒼ちゃんの為を思うならここで憎悪に呑まれちゃダメです。せっかく再会できたんですから、最後まで蒼ちゃんの大好きなお兄ちゃんでいてください。あんなに可愛い妹さんを悲しませるなんて、私許しませんよ」
「……」
ユエルの言葉を聞いて、そして彼女の温かさを感じて、徐々にではあるが司から敵意と殺意が消えていく。やがて遂に司から完全に消え去ったと同時に彼の姿が元に戻った。
司の中に蓮をどうにかしようとする気はもう無い証拠である。




