第96話
立ち上がった司は未だに放心状態の蓮に対し呟くような声で怒りを露わにする。大声を上げて感情を剥き出しにしたりはしていないが、静かにキレているといった具合だ。
その威圧感にユエルは恐怖で慄き、彼にこれ以上話し掛ける事ができなかった。
仮に彼の名を呼んでも恐らくユエルの声はもう届かないだろう。そう思わせてしまう程に彼は豹変していた。
いつもの司から感じられる優しく温かみのある雰囲気を今は微塵も感じられない。感じるのは冷たい殺意だけだ。
「本当は御法度だけど、そんな事はもうどうでも良い……。お前だけは絶対に許さない。蒼と同じ苦痛を、今から味わわせてあげるよ」
一歩ずつゆっくりと蓮との距離を縮めていく司を見た蓮は、無意識の内に後退る。その行動は彼の意思とは全く関係無く引き起こされ、一人の人間としての本能からくる防衛反応だった。
やがて自分が司に対して恐怖を感じていると気付いた蓮は無理やり己を奮い立たせ、大した事無いと見栄を張る。
「それがお前の來冥者としての姿か。随分と自信あるみたいだな。絶対に自分は負けない來冥者だとでも言いたげだ……その圧倒的な自信……『リバーシ』のメンバーのつもりか?」
「……」
蓮の言葉に司は何も反応しない。変わらず蓮を睨みながら歩みを進めて着実に近付いて行く。
「 (リバーシ……) 」
ユエルは蒼の治療を続けながらもその組織について考える。
さすがにレベル五の『治癒』を使用しているせいか、蒼の容体は大分良くなってきており多少なりとも思考の余裕が生まれたのだ。
リバーシは以前琴葉たちと夕食を共にした時に一回だけ話題に上がった。その時司は自分がそのメンバーだったらどうすると冗談を言ったが、あれは本当に冗談だったのかと改めてユエルは疑念を抱く。
諜報機関であるリバーシは全員が高い來冥力を所持しており、協会や牢政の人間が手も足も出ない桁違いの強さである事が知られている。
リバーシという組織名の由来は、多くの人が知っているであろうあの白と黒のボードゲームから来ている。特に捻りなど無くその点に関しては至ってシンプルだ。
アルカナ・ヘヴンを牛耳る五大機関のトップ『エンペル・ギア』にとって――もっとよく言えばエンペル・ギア総帥にとって、彼らはまさに盤上の駒に過ぎない。
有利な『駒』を盤面に置き、そして時には潜入先の大物の弱みを握って逆にこちら側の駒にする。だが一歩間違えれば相手の駒にされかねない。その構図から発足当時に『リバーシ』と名付けられたそうだ。
司の今の姿は全身が白で、まるでリバーシにおける白駒のように見えるが、仮に彼がリバーシメンバーであったとしてもそれは単なる偶然だ。來冥者形態の時の容姿の色に規則性など無く、無論エンペル・ギアもリバーシという名前に合うように白か黒の來冥者だけを加入させている訳では無い。
これらの知識は関係者で無くとも知っている人は少なからず居るレベルで知れ渡っている事であり、蓮も一応知ってはいた。だが当然ながら誰がメンバーなのかは把握していないし、司がその一人なのか見極める事もできない。
恐らく蓮は司の白を基調とした來冥者形態を見てリバーシの白駒が頭を過り、そのような発言をしたのだろう。司はそんな蓮の言葉には一切無反応だったが。
緊張感が場を支配し、ユエルが司とリバーシについてあれやこれやと考えている中、蓮が動き出した。
自分の中の動揺を消す為に、そして先手必勝を信じて彼は弾き出された剣を自分の手元に引き戻し、司目掛けて駆け出した。
だが。
「が……ぁ……」
必要最低限の動作で難なく蓮の攻撃を避けた司は彼の腹部に拳をめり込ませた。
臓器が破壊されたのではと思う程の衝撃と激痛が広がり、彼は口から血を吐いて必死に腹を抑える。その場にうずくまらないのはせめてもの意地というやつだろう。




