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第87話

「それじゃあ、大人しくここに居るんだよ。何か異変を感じたら僕たちの事は気にせずに最優先でこの場から離れる事。良いね?」


「う、うん……」


 伏し目がちに弱々しく返事をする蒼。恐らく蓮との戦いへの参戦を禁じられた事に納得がいっていないのだろう。


 一応この世界においては自分が主役である自覚があったのか、戦闘に参加させてもらえない守られるだけの人間である事が悔しいのかも知れない。


 そんな彼女の気持ちを察してか司は彼女の頭に手を置いて優しく話しかけた。


「蒼」


「な……何?」


「僕の願いはただ一つ。今度こそ、蒼には楽しい人生を送って欲しい……それだけだよ」


「え?」


「蒼が生きていた時、強い來冥者だった事は僕も覚えてる。でもこの世界では使える來冥力は極端に落ち、生前の実力は発揮できないんだ。こういう事は言いたくないけど、蒼に今の状況をしっかり理解してもらう為にはっきり言うね。蒼がここまで来れたのも、全て協会が良い具合に調整した敵を配置したからだよ。戦力外通告されたみたいで悔しいのは分かるけど、今回は僕たちに任せて欲しい。ここでもし蒼が死んだらもうこの世界では生きていけないし、二回目の異世界転生が不可能な以上、そこで終わりなんだ」


「……」


「その沈黙は取り敢えず理解はしてくれたと解釈するね。とにかく絶対にここに居なよ。もし蓮との戦いの場に戻って来たら、本気で怒るからね」


 そう言って司はユエルと蓮が死闘を繰り広げているであろう先程の広場へと向かって脱兎の如く駆け出した。


 本当は蒼が完全に納得するまで説得した方が良かったのだろうが、これ以上ユエルを一人にする訳にもいかない。


 一瞬で見えなくなった司の行く先を呆然と眺めていた蒼は握り拳を作って震えていた。


「昔からお兄ちゃんはそうだったよね。私の為に全力で守ってくれて、私が困ってた時はいつだって助けに来てくれた。ねぇ、お兄ちゃん……私だって、お兄ちゃんの役に立ちたい。生前ではそんなの無理だったけど、でも……でも……!」


 息を大きく吸い込み、吐いた蒼は目つきが変わった。それは迷いや恐怖を取り払い、一つの決断をした人間の強い意志が宿った目だ。


 恐怖心に縛られていた蒼の姿はどこにも無く、一歩また一歩と足を動かして前へと進んで行った。


 司は異世界転生した主人公の來冥力は極端に落ちていると言っていたが、その落ちた状態であってももしかしたら蓮やガルムに通用するかも知れないと蒼は考えた。


 協会の敵調整が上手過ぎて逆に自分の実力がどれだけ生前と比べて落ちているか把握できずにいる蒼は、司の指示を無視して彼の後を追いかけた。


 きっと怒られるだろう。戦闘後は頬をぶたれるかも知れない。それでも司たちに少しでも貢献したいという気持ちが先走り、それが蒼の動力源となった。


 だがこの役に立てるかもという気持ちは自分に対する過信以外の何物でも無かった。


 蒼の兄である司は蒼の『今』の來冥力がどれほどのものか、どこまでの敵に通用するのかを熟知しており、その上で絶対に蓮との戦いには通用しないと判断していたのだ。


 この異世界運用では主人公が必ずしも生前、高い來冥力を扱えた來冥者であるとは限らない。異世界転生者の來冥力はある一定の水準まで下がりはするが、実は全員が全員寸分の狂い無く同じでは無い。僅差ではあるがやはり生前來冥者であった転生者は比較的高い來冥力を扱えたりする。


 協会が異世界の敵を用意したり、ラスボス役が演技戦闘を行う際は、この『僅かな差』をしっかりと計算に組み込んだ上で配置する敵のレベルを調整したり、戦闘を実施する必要があるのだ。


 もしその調整をミスした場合、変に難易度が低い戦闘になるか、異世界生活を楽しむ余裕が全くない程のギリギリの苦しい戦闘を強いられてしまう。


 当然パノンも特殊な異世界運用ではあるが、その点は例外無くキッチリ調整・把握済みとなっている。これまで蒼が気持ちの良い戦闘を繰り広げて勝利を掴んで来れたのは、協会が積み上げて来たナレッジと司の蒼に対する熟知度の高さのおかげなのだ。


 だが司に言われただけではその事を完全に納得できなかった蒼は、ついに自分が兄の役に立てる日がきたのかも知れないと興奮しながら戦地へと走るのだった。

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