第69話
鯨夢の都は巨大な鯨の上に造られた都だ。海を浮上しながら亀の如くゆっくりと移動するそれは、まさに動く海上都市のようだ。ここで過ごしていると豪華客船で生涯旅をしているような錯覚に陥る。
パノン内での設定では名前は認知されているものの何千年の間も人々の目に触れる事が無かった、まさに幻の都として登場する。そんな幻の都だが、ある日突然目撃情報が世界中に広まり、主人公の蒼は仲間と共に鯨夢の都の謎を解き明かす為、世界各地を巡る事になる訳だ。
そしてその旅の途中で蒼は司に会う事に。
司は蒼と同じくパノンに転生した設定で登場し、現在は鯨夢の都を拠点にしていると彼女に告げる手はずとなっている。
このストーリーにおいては蒼の実兄が登場する事が何よりも重要なのだ。他のラスボス役では蒼に対してこれ以上の衝撃展開を与える事は難しいだろう。
皮肉にも協会がタブーとしている事は、やはり異世界運用において本来作れるはずの物語の一つを潰しているのかも知れない。
「問題無さそうだね。じゃあこの通信が終わったら主人公さんをパノンに送り込むから、後はストーリーに沿って各自演技よろしくねー」
「了解」
「んじゃあ切るぞ。まぁ頑張ってくれ。ユエルは司のサポート頼むぞ」
「任せてください!」
それを最後にカムリィはヘッドセットを外して通信を切るが、暦はまだヘッドセットを外していない。この行動の違いが、大変な事態へと繋がる事になる。
暦はこの間にもノアに届いた別タスクを片手間で片付けており、終わるまで残り一分もかからない状態にあった。彼女はそれが終わったらヘッドセットを外すかと考えていたのだ。特に理由は無くただの気紛れで。
そんな時まだ暦との通信が繋がっているとは思っていないであろう司とユエルの会話が聞こえてきた。
「蒼ちゃんってもうパノンに転生したんでしょうか。早く会って殺人犯の名前を聞き出せると良いですね!」
「焦っちゃダメですよ。ストーリー的に僕が蒼と出会う予定なのはまだ大分先なんですから。少なくとも蒼たちがボスキャラを四体倒した後です」
「た、確かに。司くん、私より落ち着いてますね。えっと……それじゃあどうします? もし良ければ実際に蒼ちゃんに会った時のやり取りを練習しておきましょうか? 普段はこういうのやらないんですけど、司くん初めてですし暇潰しも兼ねて! 私、蒼ちゃん役やりますよ。蒼ちゃんの一人称と、司くんの呼び方を教えてください!」
「本当ですか? ぜひお願いします! 蒼の一人称は『私』で、僕の事は『お兄ちゃん』って呼びますね」
「分かりました。えっと……その……演技とは言え、司くんを『お兄ちゃん』って呼ぶのは、何かくすぐったい感じがしますね」
「それを言うなら呼ばれる僕の方がもっとくすぐったいですよ」
「ふふ、確かにそうだね、お兄ちゃん!」
「今のは演技の練習とかじゃなくて僕をからかいましたね?」
「あ、分かっちゃいました?」
それは暦からしたら衝撃の会話内容だった。練習するのは別に全然良いし気にするポイントでは無い。問題はユエルの一番最初の発言だ。彼女は何と言っただろうか。
「 (殺人犯の名前を聞く……?) 」
間違いなくユエルはそう言ったのだ。
ノアを操作する手が止まり、暦はこの言葉の意味について考察する。その結果何かを決意したかのような目になり、スッとヘッドセットを外してカムリィ同様に通信を切った。




