表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/35

第八節 これはどういう状況なのか?

R15指定は、一応念のために設定。

(『源氏物語』を取り扱う関係上、恋愛・性愛関係描写が出てきてしまうため)

基本、ドタバタコメディー(時々シリアスあり)です。

※この小説はあくまでフィクションであり、登場する歴史的事件、人物、企業名、大学名などは実在する同名のものとは別存在であるとお考え下さい。


【2023年11月27日連載開始】

 第八節 これはどういう状況なのか?


 私が二の姫と呼ばれるのは、上に一の姫にあたる姉上がいるからなのだが、この姉上様、生母であられる人の身分が低いため、家の中での位置づけは私より一段落ちるとされる少々可哀想なお立場だった。

 しかも、その生母様、九条の典侍ないしのすけ様は、元は宮廷仕えの女官で女官現役時代、かなりその……恋愛方面がお盛んな方だったらしい。一度に恋人が複数人いるのもざらだったらしく、その為、その九条様から生まれてきた姉上について「本当に父の子なのか」と疑問視する人もあったと聞く。この時代、宮中女官は割とそういう「恋に生きる」人が多くて、世間の目もそれはよくあることと軽く受け流し、本来、あまり問題にならい筈なのだが、ただ、ことが単なる恋愛沙汰だけでなく子供の血筋問題となると後々の財産・跡目争いまで絡んでくる話になるから、この件、問題視する人は一定数いたようだ。

 そんな大人の事情・しがらみは関係なく、私と姉の一の姫は幼い頃から交流があり、私が田舎から上京する度に遊んで貰い、なつき倒していた―もとい姉として大変お慕い申し上げていた人なのだ。

 だが、女房たちの噂話によると、その方がこの度、宣旨を受け女御として入内することとなったというのだ。

 これには、私も本気で驚いて、急ぎ長兄を捕まえて問いただすことにした。

「兄様! 一の姉様が御入内なさるというなら、私の女御入内・立后話はどうなっちゃったの? まさか、姉妹揃って帝の寵を競うとか、そういう展開なのですか?」

「……はあ? なんだ、藪から棒に。何だって? お前の入内話と立后だ? はあ……お前、未だに、そんなことに拘ってたのか?」

「拘るも何も、私にそれを勧めてたの、お父様や兄様たちじゃないですか!」

「あー、まあ、確かに一時はそれも考えたな。だがな。親父殿ともちょっと話したんだが、お前、女御入内させるにはちょっと色々と問題があるんだよ。……まず、その鳥目とか、な。夜目が利かないとなると、後宮じゃ色々困るだろ、あそこは一応公的な場所だしな」

 その後に、兄はぼそりと「あとは何より、お前の、その性格、とかな……」と言い添えていた気がするが「夜間弱視傾向(鳥目)問題がそんなところでネックに!?」と、打ちのめされてガーンとなっていた私には、そのあたり、さらさら耳から耳へ流れ出ていた。

 ――た、確かに、言われてみれば、女御ってお役目は帝の夜の大殿よるのおとどに侍るわけだから、そこで女御様が目が見えなくて御帳台にガンとかぶつかったり、明かり取りの灯台をガチャンと倒したりしたら問題なわけだけれど……!

 我が家では、私の部屋は夜でもバンバンに灯りを焚いたり、私が変なところで転ばないよう色々気を配ったいわゆるバリアフリーな設えにしてくれている。だが、確かに儀礼づくめの宮中だと、夜寝るときの照度も一定のものと決まっているのかもしれない。そして、目の悪い一女御のために伝統ある宮殿の造りをバリアフリーに変えろなんて、ウチがいくら摂関家で権力持ってる家だからって言える筋ではないのだろう。

 ――だけど、だけど、この目の調子だって、その、日頃のガリ勉の証というか、お后教育頑張ったからこそ、悪くなってしまったという経緯があるわけだし! ……ショック! そ、そんな……! 今まで、あれだけ努力してお后教育頑張ってきたのに、こんなところで足を掬われるなんて!

「しかも、その一の姫、秋子の件だって、今、再度ひっくり返って大問題になってる。……ここでまさか伯父上から更なる横槍を食らうとは予想外もいいところだったからな。一応、押さえの手段は用意してあったのが幸いして逆転の再逆転は出来そうではあるが……。という訳で、正直、今、お前の件なぞ考えている余裕はない。だから、お前は大人しく琴の腕前を上げるべく精進しとけ。お前は、何か適当に無難なものにでも集中させとかないと本気で暴走が怖いからな。とにかくこれ以上問題起してくれるなよ、いいな!」

「そ、そんな……! だいたい、女御入内しないなら、私、これ以上のお后教育、必要ないじゃないですか! えーん、兄様のバカ! 嘘つきの、人でなし! 私がこれまでどれだけ努力してきたと思ってるんですか!!! その努力が全て水の泡だなんて……!」

「いや、そこで俺にあたられてもだな……。それに全部が全部水泡に帰するって訳でもないだろ。あっちで、色んな指南役にしごかれたことで、お前自身の教養や人間性には磨きがかかった訳だし、それはお前のこれからの人生でだって活かせるだろう? じゃじゃ馬さ加減もなんとか都に呼び戻しても差し障りない程度に落ち着いてきたようだし、ってもういないのか!? なんだ、結局、じゃじゃ馬はそのままなんじゃないか!」

 兄のぼやき声を背に、私はお姫様にあるまじべき勢いでドンドンと足音を立てて、東の対の自室へ戻って行った。


 ***


 兄に八つ当たりして自室に戻った後は、ひとしきり憤慨の言葉を天井に向かって吐き散らし、その後、いっそもっと目の悪くなることしてやれ! と、私が二〇世紀時代一番目が悪くなると思っていたこと(刺繍とレース編み)に取り組んでみたりした。

 どうやら、あの宇治の薬草園を私から取り上げた伯父様がまた何かしてきたみたいだし、家を取り巻く情勢がやはり何か微妙なことになってるらしい空気もあったけれど、もうそれだってどうだっていい。というか、一の姉上が時の帝のところに行くというなら、それはそれで我が家的には安泰のはずだろう。

 そう、もともと、左大臣家全体としみれば、女御入内するのは私じゃなくたっていい話ではあるのだ。

 単に私の長年の努力が無駄になるって話なだけで!!! 

 レース編みと刺繍は、何も考えずに没頭出来るという意味では良い作業だった。

 数時間打ち込んだ結果、こちらの世界でそんなの使えもしないのに、無駄に大きいドイリーやエッジングレースを何枚も作ってしまった。

 そして、その翌日からは、気分を入れ替えるために、いったん私がもと居た讃岐の荘園の田舎屋敷に戻ることにした。ちょうどそちらに残してきた者たちの身の振り方や残務整理で私の判断を仰ぎたいという問い合わせの使いが来ていたところでもあり、渡りに舟でもあった。

 ――目的もなく堅苦しい規律だらけの京の本宅にいるより、田舎で地物のお魚や朝取れ野菜でも食べてのんびりしている方がずっといいもんね!

 そうして一年ぶりに讃岐に下向してみれば、田舎屋敷には残務整理とは言えないほどのトラブルや改善課題が山積み状態で、このままでは、我が家の財政にもだいぶひびきそうだった。貴族の収入は朝廷から貰うお給料の他に、自分の家が私有する荘園の収入が大きいのだが、私の暮らしていた田舎屋敷が管理していた荘園はその中でも特に生産力が高く、収穫物の利鞘も大きいところだったので、ここがコケると左大臣系の家計は大変マズイことになる。これは、本腰入れて対処しなくては……。

 という訳で、その後も、結局、私は居心地の良さ問題から―もとい様々な理由から地方荘園側にいることが多くなり、京の本邸には年に何度か顔を出す程度へとなっていった。


 ***


 そして時が過ぎること三年と少し。私は十七歳の春を迎えていた。

 十七歳と言えば、現代では高校二年生、進路希望届けなどを出していた頃だ。

 勿論、私の場合、東大一択だった訳で、結果難関国立理系コースという進振りクラス編成となり、選択科目も理系科目へと偏向していくことになる転換期でもあった。あの時文系コースにして日本史を修めていればというのは今更言っても遅いわけなのだが、実はその日本史よりももっと重要度が高く、必修にて学んでおくべき領域があったのではということが、この頃、判明した。

 そう、この頃、私は、ある「()()()()()()()()」に気付いてしまったのだ。

 これまでも何度か、敢えて問いただすほどではないけれど「???」と疑問に思う言葉や、場の雰囲気や、間合いはあったのだ。

 そうした浮かんでは消えていった些末な疑問符の数々を統合し、かつこれまであったこと全体を俯瞰的に見渡すと、結論的に「そう」としか思えなくなる。

 天啓が降りてきたが如く突然訪れた、気づきの瞬間。

 認知科学の本に出てくる「老婆と若い女」と呼ばれる図に表されるような、ダブルイメージの反転。

 きっかけは、京の本邸に戻っていると必然的に聞くことになる、例のおべんちゃら集団の会話からだった。

 その日は、春から夏への衣替えにあたる日で各対屋では倉や塗り籠めから出して来た夏物衣装を天日干ししたり、虫食い穴やほつれなどがないか確認したりと朝から忙しかった。私の直属となっている東の対の女房達だけでは足りず、人員に余裕のあるお母様のところ(北の対)の女房も借り出しての作業だ。

 私は作業に参加することは許されず、監督をするのみ。そして、女房たちは忙しなく手を動かしつつ、相変わらずのベタ褒めで自らの主人を持ち上げることに精を出していた。

「姫様におかれましては、最近ますますお美しさに磨きがかかられて。それもこれも若殿のご寵愛の賜物でありましょうな」

「先の除目では、またご昇進あそばされたとか。お喜び申し上げます」

「飛ぶ鳥落とす勢いはまさにこのこと」

「ほんに、光輝くという御名そのままに」

「本日もお二人の合奏をお聴き出来るのでしょうか」

「お二人並べば、まさに、お雛様のよう」

「まさに。まさに。比翼の鳥と連理の枝とはかくあるべく」

「あとは、水天宮さまのお授けをお待ち申し上げるばかり」

「寺への寄進も必要なのではないですかしら? 大宮様も近々、石山詣でをなさるご意向であらせられると、北の対の女房から伝え聞いております」

「まあ、それは是非私もご一緒したく存じますわ……」

「私も……」

「私も……」

 最初のうちは相変わらず、話の流れがまるで掴めないなと思っていた。

 私のことを褒めたり、兄の昇進を言祝いだり(確かに兄は、今年の始めの除目という昇進の機会に四位という位に上がり、称号も少将から中将となったらしい)、その後は急に、琴のレッスンの話が出て、最後には石山詣でときたもんだ。

 この時代、現代のように映画館や遊園地なんて娯楽はないので寺社仏閣にお参りに行くことが一大エンターテインメントで、有名なお寺へ何泊かかけてお参りすることは最大の娯楽の一つ。しかもお金のある貴族にとってはその道中にどれだけ派手なお参りの行列を作って参拝したかというのが、ある種のステイタスシンボルともされている。雅を愛するお母様がそれを計画中だと言うなら、一緒に行きたがる女房も多いというのは分かる。たぶん、相当豪華で、同行できた女房たちは帰京後には得意満面で「何々が素晴らしかった」「これそれが美味しかった」と近隣別宅勤めの女房たちに自慢の文を送るだろう。

 あと、途中の「お二人の合奏」というのは、たぶん、兄様と少年師匠の合奏のことだろう。少年は、四年の間にかなり成長してもう少年というのも変なくらいの姿形になってしまったけれどね。

 ――でも、あれ? 今日、兄様、いらしたかな? 宮中宿直の当番だって言ってなかったかしら? ん? じゃあ、まさか、その合奏って、私と師匠のじゃないよね? ははは、おべんちゃら言うにしても、私の腕なんてまだまだで、いくら修行をかさねようとも兄様+師匠の組み合わせでの合奏に期待されるレベルには到底及ばないのだから……。

 で、この辺りで、私はこの話全体に酷い違和感を覚えた。

 その違和感とは、つまり一連の気付きの始まりで……。

 ――ん? でも「二人並べばお雛様」? このフレーズで兄様と少年の男同士の組み合わせは少し変じゃない? いや、転生前の二〇世紀世界でもありましたけどね。男✕男のキャラの組み合わせを愛でる会が。クラスの女子にある一定程度必ず存在するその手の嗜好。そして、この世界でも「お稚児さん趣味」というのは聞くし、女房たちもそれできゃあきゃあ言ってるの?

 ――ん? いや、もしかして、それ、私と少年のことを言ってるの? いや、確かに少年は非常に綺麗な子ではあるけれど、私、その手趣味、これまた二〇世紀世界でクラス女子にある一定程度いる、半ズボンラヴァーな方々のような嗜好はないわけで……。それに、あれから四年半、少年は背丈が目測三〇センチくらいは伸びて、本当にもう少年って感じではなくなってしまっているし。

 ――え? じゃあ、ちょっと待って、この話、最初から少年と私のこと言ってる!? 確かに一番最初の方に言ってた「若殿のご寵愛の賜物」って部分、兄様が私を可愛がる(「小突き回す」が正確だとは思うけど)様子をして「ご寵愛」ってフレーズ使うものかなのなあ、それが京方式なの?って思ったけど。

 ――ねえ、ちょっと待って! つまり、今、この女房達の言ってる「若殿」って、少年師匠のことなの!?

  うちの兄者はいつ「若殿」を引退したんだ? ってツッコミはこの際ちょっと横に置くとして……。

 ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 この世界で「殿」とは、貴族男性に対する尊称として一般的に使われるものだけれど、屋敷勤めの女房たちにとって「殿」というとそれは屋敷の主そのものに対する固有名詞的な使われ方をするし、その息子たちが「若殿」と呼ばれる。だから、私は普通「若殿」というと兄たちのことだと思っていた。

 けれど、ここでまた「殿」という言葉の用法には、結婚した相手への呼びかけ、二〇世紀世界でいうと「あなた」にあたるような意味合いで使われることも多いのだ。また、女房達からしてみたら、直接の主人たる私がもし結婚したとしたらその相手は「殿」または「若殿」と呼称するようになるだろうが。現代語では「旦那様」や「若旦那」という尊称がこれに近いだろうか。

 ――あ、ちょっと待って、ちょっと待って!

 そういえば、今回ではない別の回のおべんちゃら大会の時に「姫様のセノキミサマ」って言い方をしてる女房も確かいたような気がする。

 扇で口を隠しながら囁かれる言葉なので、セノキミの発音部分が曖昧にぶれて聞こえていたこともあり、かつ私は少年の背の高さが私(姫様)と並んで同じくらいになってきましたね、とかその手のことを古語表現や女房言葉で言うとそうなるのかな、と流していたんだけれど。

 だけど、違う……、セノキミサマ、セノキミとは、「背の君」で、ダイレクトに結婚相手である男君のことだ。現代語で「お婿さん」という言葉が一番近いかも知れない。

 って、そうだ、女房達が行きたいと盛り上がってる石山寺でってたしか、「子宝祈願」でも有名な場所だ!

 ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 ……ねえ、私と熱血少年師匠って、結婚してるの? え、いつから? っていうか、本当に? え? なんで!?

 いつ、どこで、誰と誰が(これは私と少年が)、どういう理由で、何をした? 

 5W1H、ほとんど全部が分からない!

 そもそも、この世界だと、結婚式みたいなのってないんだっけ?

 いや、でもそれこそ「お雛様」が結婚式の様子を表したお人形セットですよねえ!?

 ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 私はこの時、持てる記憶力をフル回転させて、社会科資料集及び国語便覧の該当ページを思い出した。

 そう、「お雛様」は、まさに天皇への女御入内をイメージした結婚式の様子だ。

 天皇という特別な存在への輿入れであるため、三人官女が打ち揃い、右大臣左大臣が見守る中、あのような大々的な儀式をする。

 かつて私が目指していた「女御入内」というのは、まさにこのお雛様の儀式を自分自身が体験することであった訳なのだ。

 けれど、一般貴族の結婚はもっとひそやかで、女性のもとに男性が三日三晩通ってきて、三日目の朝、「後朝きぬぎぬの歌」だっけな、そんな名前の結婚記念の和歌を送り合えばそれで成立といった感じで、割と現代で言う事実婚に近い形だったはずだ。離婚も割と簡単で、通ってこなくなったらそれではい終わり。大昔なんだけど逆にそのあたりの結婚観は現代のそれに近く「両性の合意に基づく」婚姻が多かった、と、確か、そう古文担当の先生が言っていた気がする。

 ただ、あのですね、そうですよ、その日本国憲法の文言にもある「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」ってやつですが、私、合意してない気がする。気がするというか、絶対してないよー、合意なんて。

 しかも、婚姻って、夫婦って、ナニですか? 

 私と少年の間に、そんな夫婦の契りに値するナニかなんて、全くもって存在しないのだ。

 したことがない!

 ……ナニソレ、コレハ、私が記憶喪失とかそういうネタなのですか!?

  ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 ……いや、でも、そうだ、ことは摂関家。

 その、いきなり始まる恋愛結婚みたいなのは、摂関家ほどの上流になると、あんまり許されないんじゃなかった?

 摂関家の子女の第一目標は帝の元へ輿入れ、それに尽きるだろうけれど、そうじゃない場合は、えーと、確か、有名古典でもそういう場面があって……。

 そう! 『源氏物語』の主人公・光源氏最初の結婚がそんな感じで、時の帝の第二皇子だった光る君は元服と同時に、左大臣家の娘で「葵の上」という年上のちょっとツンとしたお姫様と、お見合い結婚というか半強制的に結婚させられていた。

 確か「添い伏し」って言ったかな、天皇の息子のような高貴な生まれの男子は成人する時に、指南役の意味を含め少し年上の女性が妻に選ばれることが多いって古文の先生が……。

 このあたりで、私は顔からサーッと血の気が引いていくのを自覚した。

 ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 ……え、ねえ、ちょっと、待って! これって、そのまんまなんじゃない!?

  ……帝の第二皇子。

 ……ちょっと年上の左大臣家の姫。

 ……(指南役ってのは、逆転していて、私の琴の指南役が師匠な訳だけど……)。

 ……、……。

 ……、……。

 ……、……。

 しかも、結婚関連+源氏物語で、もう一つ思い出したことがある。

 平安世界での一般的な「結婚の儀」の必要条件って、後朝の歌っていう和歌の贈り合いもそうだけど、もう一つ重要な儀式があって……。

 それは、ある意味、ちょっと可愛い平安貴族の習慣。

 婚姻の誓いを行う男女は、男性が女性のもとへ三日三晩通った最終日の朝、一緒に「お祝いのお餅を食べる」という儀式を行うのだ。

 そして、我が身を振り返ってみれば……。

 ――ねえ、もしや、あのスポ根完徹での琴修行の果てに、朝焼け空の下、腰に手をあてながら一緒に食べたあの串焼き餅が、ソレ、だったりするのーーーーー!?

 あとは、もしや、もしや、あのスポ根・琴修行の成果発表会だった「望月の宴」、あれが、まさかの世間様へのお披露目的な……?

 ――あ、あああああ! お、思い出した! お母さまがチラっとだけ言っていた「ところあらわし」という用語、あれ、漢字で書くと「所顕し」で、平安時代の結婚披露宴のことじゃない!?

 ――っていうか、じゃあ、最初から「そう」だって予告されてた訳で! それに気付かないなんて……。気付いてたら、絶対に阻止したのに、そんな無理やり、あんな変な形で、け、け、け、結婚なんて……!

 ――ああ、私の馬鹿! 確かに、これは、一の兄様の言うように「何を今更」だわ!うわぁ! 本当に「ところあらわし」=「所顕し」に気付かないなんて、ガリ勉優等生が聞いて呆れる! お前なんて、東大受けるのなんて止めちまえってんだ、この!(実際、もう受けられませんがね。そして、取り乱しているが故、似非江戸っ子みたいな口調になってしまったこと、平にご容赦下さい)。

 ――あと、蛇足でもう一個! 師匠が初めてうちに来た日、兄様、退路を塞ぐかのように少年の靴の泥を払ってどっかに持って行っちゃってたけど、あれも今思えば……国語便覧の「貴族の結婚」のこぼれ話的なコラムにあった気がする。結婚初日の夜、花嫁にあたる姫君の父親または兄が「婿の足が遠のきませんように」という願いを込め、「婿君の靴((くつ))を抱いて寝る習慣がある」、と、そう国語便覧には書いてあった。現代人的にはちょっと不衛生な習慣に思えたけど、もしかして、兄様、あのあと、あの靴、抱いて寝たの!? それともお父様が!? あの時、妙に念入りに泥払ってるな、とは思ったけどさ! いや、あのですね、平安お貴族さまというと雅に見えるかもしれませんが、そして実際雅の道を究めんとしてる方が私の身近にもいらっしゃったりもしますが、でもね! そもそも牛車などに乗って移動していくってだけでナニが起こるか、ちょっと想像してみて下さいよ……、絶対、あの靴裏、牛糞とか付いてたよね~~!


 ***


 という訳で。

 十八の春を迎えた、とある昼下がり。

「も、もしかして、私って知らない内に、結婚させられてる~~!?」

 私に訪れたその「気付き」はあまりに衝撃的で、にわかには信じられない、信じたくないものだった。

しかも、これは一連の「気付き」の第一幕にすぎないなんて、この時の私は、まだ知る由もないのだった。

次回更新予定:この後すぐ(連続投稿)


補記:2024年1月20日、文中の女房達会話部分の時期を端午の節句⇒衣替えに変更。(後々の空蝉の段のあたりとの日程関係を鑑みての変更)



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] このルールで「思い当た」れるのが凄い!(笑)
[良い点] 笑えました!受験生あおいちゃん博識すぎます!ただの受験生じゃないですね....。
[良い点] やっぱり………(爆笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ