第四節 お渡りの知らせ~平安言葉ってホント難しい!
R15指定は、一応念のために設定。
(『源氏物語』を取り扱う関係上、恋愛・性愛関係描写が出てきてしまうため)
基本、ドタバタコメディー(時々シリアスあり)です。
※この小説はあくまでフィクションであり、登場する歴史的事件、人物、企業名、大学名などは実在する同名のものとは別存在であるとお考え下さい。
【2023年11月27日連載開始】
第四節 お渡りの知らせ~平安言葉ってホント難しい!
「姫様、風が心地ようございますので、こちら御格子、少しだけ上げますわね」
乳母がそう言いながら、室内換気のために窓に当たる場所へと移動していった。
初夏の若葉の匂いを乗せた一陣の風が舞い込み、あたりにふわりと漂う。
風の影響で御簾の先端に付けた赤い房が揺れると、室内飼いの黒猫がそれにじゃれつく。
私が手にした鞠を投げると、猫は今度はそちらに向かって突進して行ったと思うと、勢い余って木の床を滑り、部屋の隅まで流されていってしまう。
ゆっくりと立ち上がり、猫の転がっていった方に足を向ける。
少しかがんで手を出せば、猫は喜んでこちらに向かって来て、かと思えば捕まえようとしたその手をしゃっと前足で引っ掻こうとする。
その攻撃は見切り、かわしつつ、その黒い天鵞絨のような毛並みの背中から抱き上げる。
「はい、今日はお前の負け」
私は、猫にそう語りかけ、その鼻面を軽くポンと叩く。
その様子を見て、室内にいた女房達がいつもの如くさざめき合う。
「まあ、そんな風になさっている様のなんと美しいこと。絵師を呼び、描かせたい光景でございますこと」
「流石は『芙蓉の君』。その姿、芙蓉の花の如しと言われるだけありますわ」
「本当にお美しくなられて。当代一の美女と名高い母君様―北の方様に生き写しでいらっしゃる……。大殿も若殿も、さぞお喜びでいらっしゃいましょう」
「お美しいばかりでなく、ご幼少の頃から、並ぶ者なしと言われる才媛でいらっしゃいますし……」
「そして、人間以外のそうした生き物にも優しくていらっしゃる」
「姫様が考案された猫の胴着と、猫紐の結び方、女房の間でも評判でございます。また何か思いつかれましたら是非、ご教授くださいませ」
「姫様、本日は、お衣装に合わせてこちらの薫き物でいかがでしょうか。このよう夏の初めには相応しい香りかと思われます」
「姫様……」
「姫様……」
……なんで猫をあやして遊んでみたくらいで、こんな風におべっかやお追従の嵐が巻き起こるのだろう……と、正直思う。
このあたりおべっか使いの女房達は京へと呼び戻されてから新たに付けられた者たちで、未だに少し馴染めないというか、どう相対していけばいいのか、そのノリが分からない。
田舎暮らしの頃に付けられていた人員は、「とにかく未来のお后候補として最高級の教育を!」と気張った人たちばかりだったので、どちらかというと厳しく指導・躾けられるばかりで、褒められることもあるけれど、それはこちらが課題をもの凄く上手にこなした時のみ、回数で言うと百回に一回くらいといった調子だった。実際、その方が昭和末期生まれの私のド根性魂にも合致していて、やりやすくもあったしね。
それが京のお屋敷に来てからは、毎日毎日褒めそやされまくり。
昭和末期の「褒めない教育」が骨の髄まで染み渡っている私にはそれはあまりに大袈裟過ぎてなんだかとても座りが悪い。
過剰すぎてトゥーマッチ。これ以上はノーサンキューという感じなのです。
こちらの女房達が褒めそやすように、私の容貌、所作、立ち居振る舞いが一級品に見えているのなら、まあ、それは確かに父様や兄様の目論見通りなのだろうけれど。
「本日の姫様のげに麗しきご様子。やはり今宵にむけてのことと拝察申し上げます」
「かしこきところよりも、本日はかくあらんとの思し召し」
「あら、まあ。それは、よきこと。では、昼の間は、今の薫き物でよろしいかと存じますが、夕になりましたらこちらの燻りが、より相応しくございましょう。芙蓉の名に相応しく艶やかに聞こゆる香にてございます」
「思し召しどおり、香りはごく控えめに、控えめに」
「若紫のほそく匂い立つが如しといった風情が宜しいかと」
「あなをかし」
「あなをかし」
……もうこのあたりになってくると、女房達が何を言っているのかよく分からない。
都会風の雅やかな女房言葉というのは、省略と抽象表現の極みなのだ。しかも語尾は大抵消え入るように濁されているし。
仕方がないので、後で乳母に何と言っていたのか、通訳を頼もう。
私は、敢えて、少しツンとした作り声をして、ゆったりと告げる。
「風に当たりすぎたのか、少し頭が痛みます。休みたいので、乳母とあての君を残し、他は下がってくださいな。あとは、よしなに。ああ、そうですね、つ……少納言の君も呼んで下さい」
あての君というのは黒猫の名前。
そして少納言の君というのは乳母の実子で、私より一つ年上の年齢の娘のことだ。
つまり、あとは下がって自由にしてよいという許可の形式を取りながら、猫と乳母とその娘のみをそばに置くことにして、残りの気の張る連中を追い払ったわけだ。
「ああ、疲れた……。相変わらず、あの人達、何を言っているのかよく分からないし……」
私はそう言いながら、肘置きである脇息にもたれ、大きなため息をつく。
室内から人の数が減った分、風の通りも良く、先程より更に涼しく感じる。
その心地よい風を吸い込みながら、自分なりに「お上品」に見える範囲内で腕を伸ばしたり首を回したりして、リラックス体勢をとる。(この「お上品」見える範囲での柔軟大層を行う技、習得するまでには、お作法の先生方に何度桧扇ビンタを食らったことか……!)
「皆様、姫様のことを良く思って下さってますよ。そして、私どもにも良くして下さってます。おおもとの性根は良い方たちなのです。まあ、少し、おしゃべりと詮索が過ぎるときがあるとは思いますが」
乳母の楓の君が、たしなめるようにそう言う。
「で、あの、楓先生、いつもの通訳、お願いします。特に後半、何を言っているのかまるで分からなかったです」
楓もまた私の先生の一人なので「楓先生」と私は呼んでいる。……というか、昔そう呼べと指定された。厳しい乳母なのである。
私が成人して以降は、対外的に主従関係をはっきりさせるために逆に「楓」と呼び捨てか女房名の「中納言」の方にしろと新たに指定されたけれど、辺りに自分たちくらいしか人がいない時に、特に「お願いごと」をする時には、未だに「先生」と呼んでいる。
「そうですわね……。わたくしも、かしこきところ、つまり宮中のどなたかの思し召しについては、存じ上げなかったのですが、想像するにたぶん……」
「そうそう、そうでーす。本日は”お渡り”があるというお知らせがきたんです。つい先程、禁中、から」
と、少し息を切らしながら、会話に途中参加してきたのは、先程呼びにやらせた少納言の君だ。乳母の実子なので私には乳姉妹にあたる。私は幼い頃より「椿」という名で呼んでいたのだが、この屋敷では女房は皆本名では呼ばず、通称としての女房名が必要ということで急遽「少納言」と改めることになった。……これも未だに呼び慣れず、私は皆の前でもちょいちょい、椿の「つ」くらいまでの発音してしまってから言い直すことが多い。(ちなみに楓は「少納言=椿」の母で「少納言」より偉いってことで「中納言」。でも、乳母の君と呼ばれることの方が多く、中納言の方はあまり使われないかなー。)
「椿、いえ、少納言、そのように、息を切らして、はしたない。世に名だたる紋所の姫君付一の女房として恥ずかしくないよう振る舞いなさいといつも言っているでしょう」
すかさず、実母であり厳しいお作法の先生でもある楓から叱責の言葉が飛ぶ。
「紋所の姫君」というのは、私の数多い異名のうちの一つだ。
他にも、さっきのおべっかお追従の中に出て来た「芙蓉の君」とか、「竹姫(または竹割姫)」とか、「ねばねばオクラ姫」とか、色々ある。色々あるのだが、外聞があまり宜しくない呼び名も多いので(特に「ねばねばオクラ姫」とか)、ここに来るとき乳母の楓が「芙蓉の君」と「紋所姫」の二つに絞ったのだ。
そして、そんな仰々しい異名を使わない時は、私は通常「三条の二の姫」と呼ばれることが多い。(貴族というのは、実生活の上で、本名にあたる「藤原の○○子」みたいな言い方はほぼ使わないのだ)
「申し訳ございません、楓様、以後、気を付けます」
椿が楓に丁寧に頭を下げた。実母といえども仕事上は上司役にあたるので、椿も楓に対して敬称の「様」を付けて呼ぶのが常となっている。
「さて、少納言。さきほどお前の申したことがまことであるならば、我々もうかうかとはしておられませぬ。早速、お渡りにあたっての準備せねばなりませぬ」
「そうでした! まずはお湯の準備ですよね。姫様をそれこそ光輝くように磨きあげないと! それで、今日こそは、あちらさんを唸らせて、負けを認めさせないと!」
「少納言。そのような物言い、許されませぬよ」
「だって、母上、よりによって、あの人、私のことを、臭いとか言ったんですよ! 臭いって! その上、姫様のことも色々言ってくれちゃいましたし!」
「少納言、この場では、わたくしとあなたは、母でも子でもありませぬ。ただ、姫様に付き従う数ならぬ者たちのうちの一人です。姫様がお美しく麗しく、決して”厚く化粧を塗りたくり、腐臭漂う、白塗りの化け物”などではないということには、私も激しく同意いたしますが。ましてや欠陥品の大年増などでは有り得ませぬ。……ついでに申せば、私の生んだ、其方も、決して臭くなどはありません」
「そうですよ、ここのお屋敷、お湯殿はおはしたの者まで全員毎日使っていいんだし、私、絶対に臭くなんてありませんもの! それにしても、なーんだ、結局、母上の方が拘ってるじゃないですか! あいつの言った一言一句間違ってないし! そうですよね、本当にもう許せない! 姫様、私、今日のお支度、本当に頑張りますから! 光輝くって言葉は本来うちの姫様専用なんだって、今日こそあちらさんに分からせてやりましょうよ!」
「少納言、ですから母ではないと……。それに、いかに不満があろうと主筋の方に対してそのような物言いは……!」
二人はそうやって賑やかに言い合いながら、退出して行った。
後に残された私は、再度、脇息に寄りかかって、ふっとまた息を吐き、手持ち無沙汰に膝に乗った黒猫の顎裏を掻き始めた。
「うーん、平安言葉が難しすぎて結局よく分からなかったけど、やっぱり、この状態って、そう、なんだよねえ……」
私が、そう独り言を呟くと、膝の黒猫はばっと飛び起き、室外へと駆け出して行った。
私としては、もうちょっと独り言の相手をして欲しかったのだが。
「ねえ、アテネちゃん、私ってやっぱりさ……」
猫の去り際に声を掛ける。猫の「あての君」は、本当は「アテネ」が正式名称なのだ。
私が入内・立后を勝ち取るぞ!と決意した日に貰った猫なので、知略の女神アテネにちなんでそう名を付けてみた。
「結局、私、過去に転生したっていう訳でもなく、あの有名物語の中に入り込んじゃってるんだよ、ねえ……」
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